第十二話 住居 3



 事務所を後にし、物件を見にいく前に昼食を取ることになった。


 事務所近くの、やたらおしゃれなカフェに入る。ククルはメニュー写真を見てもよくわからないのでランチAを頼んだら、キッシュという未知の食べ物がやってきた。


 キッシュを切り分けて口に運ぶ。甘いのかと思ったら、少し塩辛い。美味ではあったので、満足してククルは微笑む。


「……悪かったな」


 正面のユルが、大ぶりのサンドイッチを手にしながら、ククルに謝る。


「ううん。びっくりしたけど、ユルのせいじゃないし……。あのひと、ユルのことナハトって呼んでたよね。どうして?」


「ナハトは、独逸ドイツ語で『夜』って意味なんだ。だから、ナハト」


「へえ……」


 ヨルにナハトに。ユルは好きに呼ばせているらしい。


(私だったら、ココロさんとかハートさんとか呼ばれたら嫌だけどなあ)


 そんなことを思いながら、紅茶をすすった。


 ユルは、音より漢字のイメージが先行するのかもしれない。


「……エルザさんって、ユルに懐いてたんだね」


「ああ。英語も教わってたし」


 端的に答えて、ユルはアイスコーヒーのストローを口に含む。


(河東さんが言ってた通り……か。あの様子見る限り、恋人じゃなかったんだろうな)


 そこでホッとしている自分に気づいて、ククルはにわかに慌てた。


「……どうした?」


「え? あ? ううん。この紅茶、おいしいなーって思って」


 ごまかすべく、まだ熱い紅茶をがぶ飲みすると、舌を少しやけどしてしまった。


「所長の申し出は、断っていい。オレから言っておく」


「でも」


「お前、去年オレたちの戦いを見ただろ。あれができるか?」


「…………無理、だね」


 ククルの力はそもそも、魔物退治には向いていないのだ。


「でも、所長さんがあそこまで言うってことは……必要な場面があるのかも。もし、どうしても私の力が必要なら協力するって、伝えておいてくれる?」


 ククルの意見に呆れたらしいユルは、大きなため息をついていた。


「所長も、何を考えてるんだか」


 呟き、ユルは付け合わせのフライドポテトにフォークを突き刺していた。


「そもそも、どうしてエルザさんは私に敵意を?」


「さあな。オレのこと気に入ってるって言ってたから、嫉妬じゃねえか?」


 原因になっているにも関わらず、ユルは淡々としていた。


「私に、嫉妬」


 そう思うと、なんだか面はゆかった。


「家に遊びに来てた友達って、エルザさんのことだったんだね」


「ああ。押しの強いやつでな」


「たまに泊まったり、したの?」


 そこで微妙な沈黙が流れた。


「勝手に酔っ払って来て、眠り込んでいったことはあった」


 嘘をついている様子は、なかった。


「ごはんも、食べたり?」


「ああ。琉球料理食べさせろって、押しかけてきたから……一度食べさせてやったら、気に入ったらしくてな。英語を習う代金みたいな感じで、作ってやってた」


「……なあんだ」


 思わず、声が漏れて心に安堵が広がった。


 本当に、ユルとエルザは友達以上の関係ではないらしい。


 さっきのような接触ばかりしていれば、恋人と勘違いされても不思議ではないだろう。


 しかし、実際に会うまでにエルザの話を一切しなかったのは、面白くない。


(まあでも、ユルならそんなことは言わないか)


 先ほどはエルザの対応に衝撃を受けて元気をなくしてしまったが、嫉妬と思えば彼女への恐怖は少し消えた。


(協力できるときは、しよう)


 そう決めて頷き、ククルはまたキッシュを一切れ口に放り込んだ。




 店を出た後に不動産屋に行って、営業の男性とともに候補の下見に向かった。


 一軒目はやや手狭そうで、二軒目はユルの大学から距離があった。どちらもいまいちだな、と思いながら三軒目に向かう。


 場所はユルの大学に近く、ククルの行く予備校にもそこそこ近い。


 ククルは建物の外観を見て、驚いた。随分、きれいなアパートだ。いや、これはアパートとは言えまい。マンションに入るのではなかろうか。


「ユル。ここだけ高いんじゃない?」


「いや、値段は前二つと同じだ」


「へ?」


「安さには理由がある。察しろ」


 そう言い捨てて、ユルは営業の男性に続いてマンションの入り口をくぐっていく。ククルも、慌てて続いた。


 


 ククルは入った瞬間、寒気を感じた。営業の説明も耳に入ってこなくて、ふらふらと奥の部屋に向かう。


「あっ! だめですよ!」


 止められたときにはもう、扉を開いていた。


 がらんとした白い部屋に浮かんでいたのは、ククルよりも年上の女性だった。


死霊シニマブイだ)


 これが安さの理由かと納得したとき、ユルが後ろから入ってきた。


「あれ、営業さんは?」


「この部屋には入りたくないらしい。あからさまだよな。……どうする? オレならこいつを斬れるけど」


 さらりとユルが口にすると、幽霊は『いやーっ!』と叫んだ。


『あなたたち、霊媒師!? やめて!」


「ノロ……巫女みたいなものだけど、霊媒師ではないよ。この世に未練があるの?」


『ええ……ええ……それはもう』


 幽霊は祥子しょうこと名乗り、事情を語り始めた。


 


 なんでも祥子はブラック企業に就職して、過労死してしまったらしい。


『未練は、たくさんあるわ。私、オタクだったの。観たいアニメが溜まっていたし、出したい同人誌もたくさんあった。買いたい同人誌も山ほど……っていうか、イベント行きたかったあああ! 晩年は全然行けなくって……』


 ククルにはいまいち事情がわからなかったが、なんとなしに同情を覚えた。


『悪さはしないわ。約束する。その代わり、私の未練を晴らすのを手伝ってほしいの』


「それで、オレたちに得があるのか?」


『うっ。そ、そうね。この部屋が格安で借りられる。それだけ、だけど……』


 祥子はユルを恐ろしそうに見やった後、ククルに近づいてきた。


「未練を晴らすって、どうすればいいの?」


『一緒にアニメを観てくれたり、漫画を読んでくれたりすればいいわ。この体じゃ、もう無理だし。地縛霊だから、本屋にも行けないし』


「それだけでいいのなら、いいんじゃないかなあ」


 ククルは祥子の条件を呑んでもいいと思ったが、ユルは渋い顔をしていた。


「未練をなくして消えるのが一番いいんだよ。無理矢理の浄霊は、よくない」


 ククルが説得すると、ユルはため息をついて頷いた。


「わかった。でも、少しでも悪さをしようとするなら、叩っ斬るからな」


 ユルの脅しに祥子は『ひい!』と叫んで、ククルの後ろに回っていた。


 そういうわけで、ククルとユルの新しい住まいが決まったのであった。――奇妙な同居人付きで。


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