第一話 覚醒 8
冷蔵庫からペットボトルの水を二本取って来て、ククルはユルの部屋に戻った。
二人並んでベッドに腰かけて、話を始める。
「何でお前、学校を抜けたんだよ?」
聞かれるだろうと思っていたことだった。
「……」
ククルは一口水を飲んで、うつむく。
説明して、いいのだろうか。
「……言わなくちゃ、だめだよね」
「そりゃそうだ。さっさと吐け」
言いにくいことだったが、事情を説明せねばユルは納得しないだろう。
そうして、ククルは語った。美奈と綾香に協力を頼まれたこと。カフェでユルとお揃いの首飾りを持っているところを目撃され、それを報告されたこと。結果、美奈と綾香が怒ってしまったこと――。
話し終え、ククルはユルの横顔を見る。ユルは何とも言えない、複雑そうな表情になっていた。
「それで、私――とても辛くなっちゃって。昨日見た兄様みたいな人を思い出して、彼を捜そうと学校を出たんだよ。今考えたら、どうしてそういう発想になったかわからないんだけど……もう幻惑されてたのかな」
ユルはぐっと水をあおってから、ようやく口を開いた。
「まあ……事情はわかった。正直、どう言えばいいかわからねえけど……とにかく、お前はそれで衝撃を受けて、心が弱って
「そうだね」
「とりあえず、話を進めるか。オレの傷を治したのは、お前だよな?」
ユルに問われ、ククルは頷いた。
「うん。――
呼ぶと、またあの小刀が手に現れた。
「これで、治したんだよ。癒しの力があるみたい」
ユルは驚いたように、小刀を見た。
「
ユルも静かに、あの名前を呼ぶ。彼の手に、刀が顕現する。
「この刀は、魔物を斬れるみたいだな。どういうことなんだ?」
「よくわからないけど――私たちは兄妹神として、色々なことができたけど、魔をも断つ攻撃の力と癒しの力が一番大きかったよね。その力を、神様が分離させて残してくれたってことかな」
ククルは考え込み、力を抜いた。すると、命薬は消え失せた。
「……どうして、オレたちはこの力を残されたんだろうな」
ユルがすっと手を放すと、天河も消えてしまう。
二人とも、首飾りの宝石を見下ろしていた。太刀と小刀は、それぞれの宝石から現れたようだ。名を呼べば、顕現する。
「わからないなあ……。神の力はなくなったとはいえ、神の血は残っているわけだから、身を守る力を残してくれたのかもね」
「……ああ、なるほど」
ユルはため息をついて、後ろに寝転んだ。
「考えても仕方ないか。その内、思い出すかもしれないし」
「そうだね」
「――それより、話は戻るが……その、お前の友達の件どうする?」
「友達?」
聞き返して、美奈と綾香のことを言っているのだと一歩遅れて気付く。
「あ……ええと」
どうすればいいのだろう、とククルは自分の手の甲を見やる。
「どうしようもない気がする……。首飾りのこと、言い訳できなかったもの」
「まあ、そうだよな。……一応オレから、話しておくか」
「う、ううん。それはいい。私が告げ口したみたいになっちゃうじゃん」
ククルは勢いよく、首を横に振った。
「それにね、ユル。私――ちゃんと、自分から言うよ。親戚なんだけど、恋人じゃないけど、大切な存在なんだって。だから首飾り、お揃いの持ってるんだって。それで納得してもらえなかったら、仕方ない」
「……それで、いいのか?」
「うん」
ククルはしっかりと、頷いた。
まだ体が怠いというので、ユルは翌日学校を休んだ。
ククルは初めて一人で登校した。
授業が始まる前に、美奈と綾香を廊下に呼び出す。
「ごめんなさい。私とユルは親戚だけど、大切な存在なの。だから、お揃いの首飾りを持ってる。恋人とかじゃないけど……それでも、ただの親戚とは言えない。だから――」
そこまでまくしたてたところで、美奈と綾香は顔を見合わせた。
「言ってること、よくわからないわ」
美奈が静かに、ククルに告げる。
「引き受けたのが間違いだった。協力は、できない」
はっきり口に出すと、意志が固まった。そうだ、ククルは本当は嫌だった。ユルを利用して友達を作ったみたいで嫌だったし、ユルの気持ちを無視して協力というのも嫌だった。
心の奥底の感情に気付かないふりをして、提示された友情に飛びついてしまった。
「ごめんね」
謝ると、美奈は不快そうに顔をしかめた。綾香はどうしていいかわからないかのように、戸惑っている。
「もちろん、邪魔はしないから。でも、ユルが好きなら自力で頑張って。私を通さないでほしいの。邪魔はしないけど、応援できない。ユルは私の――」
兄だから、と言いかけてククルは考え直した。
「大事な、人だから」
言ってしまうとすっきりして。ククルは頭を下げて、教室に戻った。
帰り道に商店でシークワーサーゼリーを買ってから、ククルは家に帰った。
「ただいまー。入っていい?」
ユルの部屋の扉を叩いて呼びかけると、「ああ」と短い返事があった。
扉を開き、中に入る。ユルは、ベッドに座って本を読んでいるところだった。
「おかえり。何だそれ?」
「シークワーサーゼリー。お見舞いだよ。おいしそうでしょ」
ユルの隣に座り、袋からゼリーとスプーンを取り出し彼に渡した。
「どうも」と礼を言って、ユルはゼリーを食べ始めた。
ククルも自分の分を取り出し、食べながらぼうっと天井を見上げた。
「……お前、今日話したのか」
問われ、ククルは小さく頷く。
「うん。協力できないって、ちゃんと言ったよ」
「怒ってなかったか?」
「怒ってたけど、仕方ない」
「……そうか」
ユルは複雑そうな表情をしていた。ユルからしてみれば、口を出しにくい話題だろう。
「でも、ユルもとやかく言われたらごめんね」
その言葉に、ユルは虚を突かれたような表情になって、こちらを見た。
「どういうことだ?」
「私――恋人じゃないけど、大事な存在だって言いきっちゃったから。噂されるかも」
「お前……結構大胆なこと言うなあ」
ユルは呆れて笑っていた。
「でも、もう兄妹って言うのも違うし……友達とも親友とも違うし」
他にどう言えばいいのかわからなかった。だから、ああ言ってしまった。
「別に噂されたりとやかく言われても、オレはどうでもいい。お前もそう思ったから、そう言ったんだろ?」
笑って顔を覗き込まれて、ククルもつられて微笑んだ。
「うん!」
喧嘩をしながら、一緒に旅をして。手をつないで、一緒にニライカナイに行った。そんな二人の絆は、誰にどう言われようが揺るがない。
ユルも同じ気持ちなのだと知って、ククルは嬉しくてたまらなかった。
結局、美奈と綾香は話しかけて来なくなった。だが、意地悪をされるというわけでもないので、ククルはどこかホッとした気持ちで日々を過ごしていた。
休み時間に、先日買った漫画を読んでみる。台詞に片仮名の大和語が多くて、よくわからなかった。辞書を引きながら読んでいると、隣席の女生徒が話しかけて来た。
「あ……それ、私も今読んでるの」
驚き、顔を上げる。
「そ、そうなんだ。まだ私、ちょっとしか読んでないんだけど」
「私は最新刊まで読んだよ。二巻からびっくりな展開になるんだよ」
「そうなの!?」
話が盛り上がりかけた時、教師が入って来た。
「……あ、先生来たね。また後で話そう」
「うん!」
ククルは、心からの笑みを浮かべた。
結局、おすすめの漫画を貸してもらう約束まで取り付け、ククルはご機嫌で帰路についた。
「なんだか嬉しそうだな、お前」
隣を歩くユルは不思議そうに、ククルを見下ろす。
「ふふふ」
ククルはにこにこ笑い、歩を進める。ふと、通りすがる人に兄――ティンの面影を感じ、思わず振り返った。
「どうした?」
「……ううん、何でも」
ティンは生まれ変わっているのだろうか。カジやトゥチも、転生したのだろうか。
どうしても、過去の人たちを捜してしまう。ここにいないと、わかっているのに。
(懐かしく思っても、いい。淋しくなることがあったって、いい。でも……)
過去に捕らわれては、いけないのだ。それは彼らが望まないことだから。
たとえ彼らが生まれ変わってこの時代に生きていても、ククルのことは覚えていないだろう。関わることもないのかもしれない。
それで、いい。
「ユル。またあの、かふぃーの店行こうよ」
「また?」
「……嫌なら、一人で行くけど」
「わかったわかった。付き合ってやるよ」
渋々了承したユルの様がおかしくて、ククルは思わず笑ってしまった。
兄様へ――
心の中で、この手紙をしたためます。
兄様はまだニライカナイにいるのか、それとも生まれ変わって現世に戻ったのか、私にはわかりません。
でも、願っています。あなたの
どうか兄様の魂に、たくさんの幸福が訪れますように。
もしかしたら兄様が心配しているかもしれないから、近況報告を。
この時代にはびっくりです。色々なものが変わっています。私は昔からのんびり屋だから、付いて行くのに一苦労です。
でも、カジ兄様の子孫の方々が助けてくれています。何より、共にニライカナイに行って時代を超えたユルが一緒にいるので、心強いです。
……そういえば、兄様はユルのことが嫌いだったんですね。もしかしたらユルと一緒にいるの、心配だったりします?
あのね、兄様。わかりにくいけど、ユルは優しいです。だから大丈夫。
では、また。この心の手紙が届きますように。
――ククル
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