第七話 血族 4

 ククルとユルが宿に帰ると、トゥチが心配そうな顔をして駆け寄って来た。


「ククル! ユルくん! あなた達、どこに行ってたの。――どうして、泣いているの」


 声を出さずに涙をぽろぽろ流しているククルを見て、トゥチはちらりとユルに目をやった。


「あー……話すと長くなる。まず、こいつを一人にしてやってくれ」


 思いがけないユルの気遣いにより、ククルは先に部屋に引き上げることとなった。




 暗い部屋に膝を抱えて座り、遠くで響く波の音に耳を傾ける。


(ひどい)


 その言葉しか、浮かばなかった。


 ティンは、とても優しかった。誰にでも好かれていた。けれど……無理に、そうして笑っていたのかもしれないと思うと、胸が潰れるほど苦しかった。


 クムの心情は、いかばかりだったろう。


 奪われた息子が、若くして亡くなったなんて――。


 祈りが足りずにティンを殺してしまった自分が、いっそう極悪人のように思えて来る。


『ククル、ククル。泣かないで。私は、お前が泣いていたら哀しいよ』


 そうやって慰めてくれたティンは、母を想って泣くことすら出来なかったかもしれないのに。


 祖母を責めたくてたまらなかった。どうしてティンを奪ったのかと。本当なら、死ななくても良かったかもしれないのに――。




 いつの間にか泣き疲れて、畳の上でじかに眠ってしまっていたらしい。


 ふわりと抱き上げられる心地がして目をうっすら開けると、カジが淋しそうに笑って、敷かれた布団の上にククルを降ろした。


「ユルから話、聞いたぜ。ククル、あんまり自分を責めるんじゃないぞ」


「そうよ。――今日は疲れたでしょう。もう何も考えず、お眠りなさい」


 優しい、カジとトゥチ。カジはティンの親友だった。トゥチはティンの婚約者だった。彼らに優しくされる権利なんて、どこにもないのに――。




 翌朝、目覚めると目の周りが熱かった。


(絶対、腫れてる……)


 のそりと起き出し、手早く着替える。階下に降りると、トゥチから声を掛けられた。


「あら、ククルおはよう。顔を洗ってらっしゃい。目の周り冷やさないと、もっと腫れるわよ」


 明るい口調に空々しさを感じ、ククルは無理矢理笑ってみせた。


「うん、そうだね」


 ククルは答えながらも、心に決めていることがあった。


(ばば様を、問い詰めるために……島に帰るんだ)


 決意の形をして浮かんで来た想いを心の中でもう一度噛み締め、ククルは拳を握り締めたのだった。




 ククルは、まずはユルに言わなければいけないとわかっていたが、どうせトゥチやカジにもいずれ告げるべきことなので――朝食の時に、決意を口にした。


「私、ばば様に会いに戻る」


 カタン、と音を立ててユルが茶碗を置く。


「戻って、どうするつもりだ」


「――どうするって」


 今から言うんだよ、とククルが言い掛けたところでユルに睨まれる。


「戻ってババアを問い詰めて、答えを得て――どうするってんだよ。答えなんか、もうわかってるだろ」


「わかってる?」


「ババアはティンが必要だったんだ。兄が何代も生まれてなかったから、神の家としての地位が危なくなったんだろ。それだけのこと聞いて、ババア責めて何か変わるのか?」


 辛辣とも言える真っ直ぐな言葉の応酬にうつむき、ククルは涙を湛えた目をユルに向けた。


「変わらないよ。でも、もやもや残したまま都に行くなんて!」


「おい、忘れるなよ。お前の使命はまだ終わっちゃいないんだ。挨拶回り、全部終わったのか?」


 答えは……もちろん終わっていない。最後には、聞得大君きこえのおおきみのところまで行かねばならないのだ。


「問い詰めるのは、その後でも良いだろう。道の半ばで戻るなんざ、一番しちゃいけないことだろ」


 ユルの言うことは、正論だった。だけど、正論で心の中のわだかまりは整理出来ない。ぬるい涙が、握り締めた手の甲に落ちる。


「ククル……気持ちはわかるわ。私達もその……昨日あったことと、ティン様の出自についてユルくんから聞いたんだけど」


 トゥチはためらいがちに、ククルの肩を抱いて静かに語った。


「私はティン様とあなたが本当の兄妹でないことを、カジ兄さんから聞いて知ってた……と言ったでしょう。兄さんに、そのことを詳しく聞いてみたの」


 今度は、カジが口を開く番だった。


「……ティンは確かに、実母と引き裂かれたことは哀しかったと言ってた……。だがククル、お前の兄になれてよかったとも言っていたんだ」


 ククルが驚きに目を見開いた拍子に、はらりと涙が落ちた。




 ティンが亡くなる二週間ほど前に、彼はカジに真実を告げた。もしかすると、彼は己の死を予期していたのかもしれない。


「それはもう、初めは辛かったさ。母に会いたくてたまらなかった。最初、赤子のククルに引き会わされた時も、憎いとさえ思ったよ」


 でもね、とティンは続けた。


「あの子は、霊力セヂが高すぎてね。小さい頃は特に、制御ができなかった。彼女の体は、抑えきれぬ霊力のせいで、常時熱を持っていた。抱くのも苦労するぐらい、熱かった。そのせいで、あの子の両親は娘を恐れるようになった。祖母もね……どこか、他人に接するように、距離を置いた」


 ククルに対する家族の態度は、どうしてああなのだろうと幾度も首を傾げたことがあったので、カジはここでようやく得心がいった。


「私は半神だったからだろうか。彼女の力を鎮め、普通に触れられた。それで、私だけがあの子の面倒を見るようになっていったんだ。初めは仕方なく、だったけど――段々、無条件に私に懐いてくれるようになると、愛しくなってね。そしてあの子の、無垢さに気付いたんだ。そうして、私が守れるなら守ってやろうと思った」


 それで、とティンは一呼吸を置く。


「私は神に挑むよ。あの子を、妹として慈しむために」


 決意を告げ、振り返ったティンの顔は月光を浴びて、一層凛々しく映った。


 


 カジが話し終えると、沈黙が満ちた。


 ククルは泣くのも忘れて、カジに質問をぶつける。


「――カジ兄様、それって一体どういう意味だったの?」


「俺にもわからねえ。俺も聞いたけど、ティンは全てを話してはくれなかったんだ」


 カジはため息をつき、トゥチが青ざめていることに気付いた。


「トゥチ、どうしたんだ」


「いえ……。ちょっと気分が。外に行って来るわ」


 トゥチが逃げるようにして部屋を出て行く。彼女を見送った後、カジはきまり悪そうに頭を掻いた。


「まあ……なんだ。ククル、俺が言いたかったのは、ティンはお前を恨んじゃいなかったってことだ。色々と意味深なことも言ってたけど、受け止めて欲しいのはそこの部分だ」


「うん……」


 ククルはまた緩む涙腺に呆れながらも、素直に涙を流した。


(兄様は……本当に優しい人だった……)


 オナリ神として、自分が兄を守っているつもりだったのに。本当は、ティンがずっとククルを守ってくれていたのだ……。


「あと、ティンはお前に妹がいるって言ってたんだ。生まれてすぐ養女に行ったから、お前は知らないだろうが……とも」


 え、とククルは間抜けな声をあげてしまう。一体、どういうことだろう。ティンが言っていたなら真実だったのだろうが……。ククルは自分の家の事情もろくに知らなかったのだ、と自覚してうつむいた。




 トゥチが外に出て、浜へと向かった。長い黒髪を海風になぶらせ、トゥチはうつむく。


 どのくらい、足元の砂を見つめていただろう。気配を感じて振り向くと、ユルが立っていた。


「ユルくん……。あなたは、あのことも既に知っていたのね?」


 責める口調ではなかったが、トゥチは真っ直ぐにユルへ質問を投げた。


「――知ってたら、どうなんだ」


「……ティン様が、神の怒りを買って亡くなったと言ったわね。カジ兄さんに、神に挑むと告げたことに……関係があるのね」


 ユルは黙っていたが、トゥチはそれを肯定と取りユルの肩を掴んだ。


「どうして、ククルに言っちゃいけないの!? 一番、知りたいのはあの子よ? 自分の力不足がティン様を殺したと思ってて――」


 ユルは沈黙したままで、トゥチの必死な形相にも応えなかった。


「どうして、何も答えないのよ。あなたは何者なの?」


 なじるように問い詰められ、仕方なさそうに吐かれた台詞はユル自身に関することではなかった。


「オレは、ククルの祈りが足りなかったのではなく、神の怒りを買ったせいでティンが死んだと言っただけだ」


 トゥチは一旦動きを止めたが、言葉の意味を呑みこんでハッとした。


「つまり……」


「神に挑んだ理由には、ククルが絡んでいる。だが、あいつ自身には、どうしようもないことだった」


「――そんな……。ああ、だから言ってはいけないのね」


 トゥチはうつむき、すぐに顔を上げた。


「なら、私には言えるのではないの? 私は――知りたいわ。ティン様が、どうして死んだのか」


 気丈にも涙を堪えて、トゥチは胸を手で抑えた。痛みを、堪えるかのように。


 だが、ユルは冷たく告げた。


「あんたにも、言わない」


「――どうしてよ。どうして、言ってくれないの……。どうして他人のあなたが、ティン様が死んだ理由を知っているのよ」


 子供の駄々にも似た呟きを漏らし、トゥチは今度こそ泣きそうになってしまった。


「さあな」


 ユルは呆然とするトゥチを置いて、そのまま立ち去ってしまった。




 結局は、ユルの意見が通って戻らずに進むことになった。


 ククルも、頭ではわかっていた。ユルの方が正しいのだと。帰って祖母と喧嘩して――何になるというのだろう。本島へ行く気力など、消えてなくなってしまうに違いない。


 されど、もやもやする想いを殺せないまま、ククルはユルと共に親戚への挨拶に赴く。


 頭を下げて、ティンの死と“兄”の代替わりを告げた。


 親戚は哀しげに顔を歪め、事実を受け止める。そこでククルはふと、衝動に駆られて口を開いた。


「あの、クムさんて……ご存知ですか。ティン兄様の、本当のお母さん」


 親戚の夫婦はぎょっとしてククルを見た。


(やっぱり、同じ島だから知ってるよね……)


「あの、ばば様から言付かって来たんです。クムさんにとても酷いことをしたから、よくしてあげたいって。でも同じ島じゃないから……あなた方に頼めないかって。もちろん、お礼はするって」


 すると、妻の方が潤んだ目で頷いた。


「本当にね。……私達も気にはしていたんだよ。でも本家に逆らうのは怖くてね……。大ばあさんからそんなお話があったなら、喜んで」


 それを聞いて安堵し、ククルは「よろしくお願いします」と頭を下げた。おや、と思ったのはユルも一緒に頭を下げてくれたことだった。




 挨拶を終えた二人が外に出ると、ちょうど日が傾き始めたところだった。町へと続く道には、アカバナが咲き乱れている。


 花の香りを意識しながら、ククルはユルと並んで歩く。


「――偽善かな」


 ぽつりと呟いたククルの横顔を凝視してから、ユルは息をついた。


「さあ。お前が良いと思ったんなら、良いんじゃねえの」


「……そっか」


 ククルはすうっと息を吸って、ユルの方を向いた。


「ユルの言う通りだね。今、戻っても、どうにもならない。先に、使命を終わらせないと。――早く、都に行こう。戻るのは、それからでも良いよね」


 にこっ、とククルは花開くように笑う。無理をした笑顔ではなかった。


「さあ、日が暮れちゃうし急ごう! お腹空いちゃったよ!」


 小走りで歩を進めるククルの背中を見ながら、ユルは小さく呟いた。


「馬鹿な奴……。一緒に戻ることなんてないのに」


 もちろんその言葉は、ククルの耳に入ることはなかった。




 それから七日後のこと。一行を乗せた商船は、信覚島しがきじまを出立した。


 皆が寝静まっていることを確認して、ユルは船室からこっそり出る。


「ティン」


 夜の海を眺めて名前を呼ぶと、ユルは横に気配を感じ取った。


 淡い燐光をまとったその姿を睨み付け、ユルは毒を吐く。


「お前なあ。オレに尻拭いさせんなよ。お前からククルやトゥチに言ってやれ。やり辛いったらねえぜ」


『それは出来ないと、言っているだろう』


 ユルに負けず劣らず、ティンも不機嫌なようだった。


『ところでお前、とうとう私の忠告を聞かなかったな』


「――当たり前だ。オレがお前の頼みを聞いてやったのも、オレのためなんだからな」


『どうあっても、引き返さないのか』


「ふん。散々、邪魔してくれたようだけどな。お前がククル達を傷付けられないってのが、幸いだったぜ」


 出立の前に船の調子が悪くなった理由は、間違いなくティンのせいだとユルは決めつけていた。


『私はそんな小さいことはしない』


「毎夜毎夜、夢に現れて、行くなって言って来たじゃねえか!」


 おかげさまで寝不足だ、とユルは吐き捨てた。


『お前がどうしても、と言うなら仕方がない。私がお前を止めるには、殺すしかなさそうだからな』


「物騒なこと言いやがって。本当にいけ好かない奴だ」


『――それでも、行くんだな。お前にとって、辛い結末になるはずだ』


 ティンの言葉に、ユルは舌打ちした。


「どうしてわかる」


『ククルは、そんなことに力を貸さないからだ。――残念だよ、ユル』


 ティンはふわりと跳躍して、月光に溶けて消えてしまった。


 もう誰も居ない虚空を見据え、ユルは真っ直ぐな目をして告げた。


「それでもオレは――カタを付けに行くんだ」


 言葉は潮騒に紛れ、誰の耳にも入ることはなかった。


 どこからか子守唄が聴こえて、ユルは顔を上げた。どうして、クムの声に聴こえたのかはわからないが、ユルは哀れな女の姿を思い浮かべた。


 いにしえより続く、血の糸。母が見せる子への執着。まざまざと眼にして、ユルは疲れてしまった。


(この諸島ともおさらばか……)


 夜であることも手伝って、もう島影は見えない。都から遠く離れた島々には、古きものがたくさん生き続けていた。


 ユルはただただ、海を眺め続ける。


(きっと、ここには戻らない)


 改めて決意を固め、彼は海に背を向けたのだった。





 八重山編 完結  本島編に続く


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