第七話 血族 2
ククルが目を覚ますと、じっとりとした熱気が体に絡んだ。この暑さからすると、もう日は高く昇ってしまっているのだろう。
ユルもトゥチもカジも、傍に居なかった。
寝ぼけ
「あ、お客さん。伝言預かってますわ。港の店に居ると。もしそこに行きたいなら、案内しますけど?」
「それを言ったのは……」
「優美な女性と、いかつい男性ですわ。ご夫婦?」
トゥチが聞いたら顔を真っ赤にして怒りそうなことを尋ねられたが、ククルは苦笑して首を横に振った。やはり、あの兄妹は似ていない。
「あの、私ぐらいの年の、男の子は見掛けませんでしたか?」
「さあ……。その人達と一緒には、居ませんでしたけどね」
ではユルはカジ達とは別行動で、どこかに行ってしまったのか。
「そうですか。ありがとうございます」
礼を述べると、彼女はにっこり笑って問うてきた。
「昼食にしますか?」
「はい」
「では、一階の食堂に来て下さい」
言われたままに、とんとんと階段を降りながら、ユルはどこに行ってしまったのだろう、とククルは疑問を胸に抱いた。
食事の後に
(そうだ。この島にも親戚が居るんだった。挨拶に行かなくちゃいけないのに、ユルが居ないんじゃ、どうしようもないなあ……。ユルを捜してから、挨拶に行こうかな)
ククルにとって、挨拶回りは気の重いことであった。ティンが死んだと告げ、“兄”がユルに変わったと言うこと。
何度やっても慣れない。またティンの死を思い知らされる。
ここはこんなにもティンの空気が濃いから、尚更――。
宿を出て、ククルは歩を進める。昼下がりの日差しはきつく、じりじりと肌を焼いた。
ククルはあまり肌が強くない。日焼けすると赤くなってしまうのが悩みだった。それで家に居ることが多かったのだが、旅をしているとそうも言っていられない。旅立つ前に比べて、いくぶん肌の色が濃くなった気がした。
さすがに
知らない人達に混じり、一人で歩くのは心細い。早くユルが見付からないかと首を巡らせていると、いきなり手首を掴まれた。
「お嬢ちゃん、迷子かい。案内してあげようか?」
親切そうな老人の顔を見て、ククルはホッと息をつく。
「あの、迷子じゃなくて。人を捜しているの」
「人捜し? ならば、
ククルは躊躇った。ユタに頼んでまで捜してもらわなくても、ユルは見付かるだろうし、もし見付からなくても宿で落ち合うことは可能だ。
「あの、でも……」
「まあまあ、良いじゃないか。おいでおいで」
煮え切らないククルに痺れを切らしたように、老人はククルの腕を引いてどんどん進んで行ってしまった。道を外れ、藪の中に入る。
「あの、どこへ……」
「ユタは集落の外れに住んでいるんだよ。なに、
老人に誘導されるがままに小走りで進んで行くと、突然開けた場所に出て――大きな家が見えた。
大きな家ではあるが、手入れがろくにされていないことがありありとわかるほどに、さびれた家だった。
「――誰を連れて来たのです?」
女の声がして目をやると、縁側にぼさぼさの髪をした女が座っていた。髪で隠され、その面は見えない。
「クム様。人を捜したいという少女が居ましてな」
「そう」
「それでは、お邪魔をせぬように、わしは
どうやら老人はこのユタと知り合い――いや、仕える立場らしい。客を案内したのが誇らしいのか、満足した様子で行ってしまった。
「人捜しね。安くしておくわ」
つい、と手のひらを出されてククルは戸惑ったが、懐に入れていた袋を取り出した。お金が入っていることを確認してから、言われた値をそのまま払う。相場は知らないが、それほど高くはなかった。
「それで、誰を捜しているの?」
「私の――兄です」
少しの逡巡の後、ククルはユルを兄と言った。
「そう。それでは、あなたの血縁ね。あなたの血から辿ることにしましょう」
クムはそう言って小刀を取り出したが、ククルは慌てて首を振った。
「ご、ごめんなさい。血はつながってないんです」
「え? あらそう。ならば――その子の持ち物は?」
ユルの持ち物など、持っていなかった。
「あの、えと」
「持っていないの?」
「ごめんなさい。宿に置いているので――取って来て、良いですか?」
「構わないわよ」
素っ気ない口調ではあったが気を悪くした様子はなく、ククルはホッとして立ち上がった。
クムが髪をかき上げた際に、ちらりと彼女の顔が見える。ハッとするほど、端麗な面立ちだった。年若くはないだろうが、品のある美しさは年を経ても褪せないものなのだと、感嘆してしまう。
(綺麗な人。でも誰かに、似てるような――)
「じゃあ、取って来ますね」
ククルはクムにそう告げて、一旦その家を後にした。
宿に戻ってもユルの姿は見付からなかったが、代わりにカジが宿の主人と話している光景に出くわした。
「カジ兄様」
「おう、ククル。気分はましになったか?」
「うん。あのね、ユルどこか知らない? 捜してるんだけど……」
「ユル? さあ……。一緒じゃなかったのか」
カジは眉をひそめて、ククルと目線を合わせるために屈んだ。
「俺がここを出る時には、呑気に朝飯食ってたけどな」
「じゃあ、カジ兄様とトゥチ姉様が出た後に、どこか行っちゃったのかな」
「だろうな。一緒に捜そうか?」
「ううん、大丈夫。兄様、商いで忙しいでしょう? 頑張ってね」
「おう……」
カジは尚も心配そうではあったが、ククルの笑顔を見て安心したように息をついていた。
ククルは部屋に置いてあったユルの手ぬぐいを拝借し、クムの所に持って行った。
クムは手ぬぐいを触った途端に、動きを止めた。
「これは――」
「どうかしたの?」
「あなたの兄は、何者?」
率直な質問にごくりと喉を鳴らし、ククルは言葉を捜した。ユルが何者か、一番知りたいのは自分だった。
「この霊力は――あなたの兄の名前は何と言うの!?」
凄まじい剣幕にククルは気圧されながらも、なんとか答えを口にした。
「――ユル」
名を口にした途端にクムの表情から必死さが、かき消える。
「ごめんなさい――取り乱して。何者かはもう聞かないわ。詮索はしない方が良いのでしょう?」
「は、はい」
ククルはともかく、ユルはきっと嫌がるはずだ。ユルを怒らせたくはなかった。
(でも、私って本当にユルのこと何にも知らないんだな……)
ククルがぼんやりそんなことを考えている内に、クムは彼の居場所を掴んだらしくククルに手ぬぐいを差し出した。
「わかったから、返すわね。あなたの兄は今、市に居るわ。行ってごらんなさい」
「はい。ありがとうございました!」
ククルは手ぬぐいを受け取った後、クムに頭を下げて走り出した。
後ろから哀しそうなため息が聞こえて来て、ククルは振り向きたくなった。だけど何故か見てはいけないような気がして、敢えて堪えてククルは走る速度を上げた。
市は人でごった返していたが、ククルは不思議とすぐにユルを見分けることが出来た。
「ユル!」
名前を大声で叫ぶと、ユルは警戒したように眉をひそめて振り返った。ククルの姿を認めると少し表情を和らげる。
「よう。気分はどうだ」
「うん、大分ましになった。どこに行ってたの?」
「――ちょっと、用があってな。それより」
ユルはつい、と顔を背けてさり気なく話題を変えてしまった。
「よく、オレがここだってわかったな」
「ええっと、それは……ユタに捜してもらったからなのです」
ククルの発言を聞いて、ユルは呆れた表情を浮かべた。
「お前、ノロなんだろ。お前も霊能力者だってのに、ユタに頼み事するの変じゃねえ?」
「まあ、あんまりないことだけど……おじいさんに連れられて、つい」
「お前なあ。まんまと客引きに掴まるなよ。金がいくらあっても足りないぞ」
「はいはい」
説教はもう聞きたくないとばかりに適当に相槌を打つと、ユルは舌打ちしていた。
「大体、この時間にあんまり歩くなよ。ただでさえ体調悪いのに、ぶっ倒れても知らねえぞ?」
ククルは瞬きをして、笑みを漏らした。何かと思ったら、強い日差しを気にしてくれたらしい。
「やっぱり変なの」
「何がやっぱり変なんだよ」
「ユルって、やっぱり優しいんだ。突き放したり利用しろとか言う割に優しいから、変なのー」
「馬鹿っ。どうでも良いこと気にすんな」
ユルが珍しく形相を変えて怒って来たが、却ってそれがおかしくてククルはもっと、からかいたくなってしまった。
「まるで、好かれたくないみたいだね」
図星を指されたように、ユルは唇を噛む。
「ユルの思う通りになんか、なってあげないからね。嫌いになってあげないよ」
「お前、人が黙ってりゃ好き勝手なことを……!」
目つきを鋭くしたユルが手を伸ばして来たが、ククルはそれを華麗に避けて人混みに紛れて走り出した。
「おい、待て!」
「先に、宿に戻ってるよ!」
一言残してから、ククルは風のように走った。
宿に戻る途中で、さっきクムというユタに案内してくれた老人の背中を見付けた。
「おじいさん!」
「――おや、お嬢ちゃん。どうだね、見付かったかね」
「はい! ばっちりでした」
ククルが笑うと、老人も嬉しそうに目を細めた。
「クム様は本当に素晴らしいユタなんだ。もしかすると、良くない噂も聴くかもしれないけれど――哀しいお方なだけだ」
庇うような口調に、ククルは首を傾げた。
脳裏に浮かぶのは、荒れ果てた家屋と身なりに構っているとは思えないクムの姿だ。
「おじいさんは、クムさんの……」
「世話役だよ。本当は、昔はあの家に使用人もたくさん居たんだ」
老人は懐かしむように遠くの空に視線をやった。市と宿を結ぶ道も夕方になると閑散としていて、いやに静かだ。
「かつて、クム様はノロだったんだ」
衝撃の告白に、ククルは目を見開いた。
「なのに、どうしてユタに――?」
「王府からノロの資格を剥奪されてしまったのだ。気が触れたという理由で」
ますます、ククルは驚いてしまった。今日会った女性が、気が触れているようにはとても思えなかったからだ。
「今日は、しゃんとしていたがね……。だから私も客引きに行かせてもらった」
今日は、ということはムラがあるということだろう。ククルは哀しい気持ちになった。
「少し話し過ぎてしまったね。何だかクム様が、お嬢ちゃんのことをやたら気にしていたからね。――つい」
老人は軽く笑って、手を振って行ってしまった。
(ノロなのだとしたら――私の親戚なのかな。でも、あの人に私は会ったことはない気がする――)
いくらあの時、幼かったからといって、そんなことがあるのだろうか。
「兄様……?」
ティンを呼んでみるけれど、もちろんどこからも返事はなかった。
ククルは宿に帰って部屋でしばらく眠った後、ぼんやりとして窓の向こうを見ていた。
すると、三人が同時に帰って来た。トゥチとカジはともかく、ユルも一緒に帰って来たので、ククルは少し驚いた。
「ククル、もう大丈夫か?」
「うん、カジ兄様。お腹空いたよ」
「はっはっは。そりゃ何よりだ。夕餉に行こうぜ!」
ククルの返事を聞いて、カジは豪快に笑っていた。
下の食堂で食べることにして、四人は立ち上がった。カジとトゥチに続くユルの腕を、ククルはそっと掴む。
「何だよ」
ユルはぎょっとしていたが、ククルの真剣な面持ちを見て眉を上げていた。
「挨拶行くの、明日で良い?」
「挨拶――? ああ、良いけど……いや待て。明後日はどうだ? どうせ、ここにしばらく居るんだろう?」
ユルは途中で意見を変えた。そこで「やはり」、とククルは確信する。
ユルは、この島で行きたいところがあるのだ。それも、ククルには言いたくないところだ。
「それにお前、いくら回復したからっていっても、明日も寝てた方が良いんじゃないのか?」
「うん、そうだね……」
少し淋しい気持ちになる。ユルと距離が縮まった気がしても、まだ見える。ユルがククルの前にかざす、透明の壁が。
こちらから壊すことも出来ず――かといって、向こうから壊すことはないだろうと確信出来てしまう壁は今も、二人の間に確かに存在するのだ。
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