第七話 血族
いやに窮屈だと思って目を開ける。すると、自分が両手両足を縛られ、猿ぐつわまで噛まされて横たわっていることに気付いた。
(そうだ……私、官吏達に捕らわれたんだ)
揺れ具合からして、船の中だろう。ここは物置のようだ。
(人を物置に置いてくなんて、失礼しちゃうなあ)
――ユルは、どうしているだろう。
再び神の力は使えるようになったから、ククルの危機はユルにも伝わっているはずだ。二人は神の力でつながっているのだから……。
物音がして、物置に目映い光が差し込む。ひょろりと背の高い青年が、入って来た。
「食事だよ」
目の前に焼き魚を置かれたが、この状態で食べられるはずもない。
「んーっ! んーんんー!!」
「あ、それじゃ食べられないか」
出来るだけ喚くと、青年は察したようにククルの猿ぐつわを外してくれた。
「ありがと! ……じゃなくて。何で私をこんなところに!?」
「オイラ、下っ端だからわかんないよ。君が誰かすら知らないのに」
青年はククルが何者なのかも知らないらしく、ひたすらに首を傾げた。
「じゃあ、私を逃がしてよ」
「そりゃ無理だ。オイラが怒られちまう。それにここは海の真ん中だから、逃げても溺れるのがオチだよ」
青年の返事に、ククルはがくりと肩を落とす。
「……うーっ」
「ごめんね」
人の好い青年らしい。本気で同情してくれているようだ。
「それじゃ、この船はどこに行こうとしてるか知ってる?」
「ああ、それはわかるよ。
信覚島――元々はそこに行くつもりだったのだが、こんな形で向かうことになるとは。
(トゥチ姉様も、カジ兄様も心配してるだろなあ……)
すぐに合流するつもりだったのに、海賊に襲われるわユルが怪我するわククルがさらわれるわ……と、たくさんありすぎて信覚島への到着は遅れに遅れてしまっている。
(一体、どうなるんだろう……)
次にやって来たのは、顎髭を蓄えた男だった。ユルに脅され怯えていた時が嘘のように、偉そうにふんぞり返っている。
「ほほう、地味な娘じゃ」
地味と言われて、ククルは当然むっとする。
(そりゃあ、トゥチ姉様のような美人じゃないけれど……)
「しかし、その力は素晴らしいのう。して、何故あのお方がお前と共に居たのだ?」
「あのお方?」
一体、誰のことだろう。
「ショウヤ様のことだ」
「ショウヤ?」
ますます、誰のことかわからない。
「すみません、ちょっと――」
「何だ。話の途中なのに」
いきなり呼ばれ、男は呼びに来た者に歩み寄る。
「大変なんです」
「は?」
「船が囲まれています」
青ざめたのは、ククルも同じだった。
船の中は大騒ぎになった。どうやら、また海賊が現れたらしい。このあたりの海は、随分と荒れている。
官吏達は早速逃げることにしたらしく、慌てて準備をしている。
「私の縄を解いて!」
誰もククルの叫びを聞いてくれなくて、焦燥感だけが募る。泣きそうになった時、あの青年が戻って来た。
「…………お願い」
「わかってる。だけど自分でお逃げよ。オイラが逃したことがわかったら、オイラも――」
「うん。迷惑は掛けない。ありがとう!」
頷くと、青年は短刀でククルの縄を断ち切ってくれた。
甲板に出ると、既に海賊らしき男達が王府の兵士と剣を交えていた。
海に、飛び込むしかない。
ククルは何のためらいもなく、また海に飛び込んだ。
深く深く、青い海に沈む。でも怖くない。青が濃くなり、水面が遠くなっても恐ろしいどころか力が満ちる。
もう、確信していた。海に飛び込めば自分の力がより増すのだと。
神の血を伝えるククルの家。祖先が何の神であったかは、不思議と明らかにはされていない。ククルの島にある
あの島では、神の力を奮う兄妹自身が神だった。彼らを見守るのが
だが今はわかる。
自分は海の神の血を引いているのだと――。
それならば何故、ティンは海で死んだのか。
(ユルとヤナ様によると――兄様と私は血がつながっていなかったんだっけ。じゃあ、兄様は海の神の血統じゃなかった?)
考えながら、ククルはどこまでも深い海に沈んでいった。
ここはどこだろう。目が開かない。目蓋の裏には、先ほど見た海のごとく真っ青な色が広がっている。
「ククル。お前は気付いてしまったんだね」
どこからか、ティンの声がわんわんと響く。
(どこに居るの、兄様。答えて――私達は兄妹ではなかったの? なのにどうして神の力を使えたの?)
「ユルにお聞き、ククル。その前に、本島には行ってはだめだよ」
(どうして兄様。聞得大君に申し上げないといけないのに)
「戻りなさい、ククル。この諸島から出てはいけない――。お前は穏やかに暮らさなくてはいけないのだ」
(兄様?)
「お前は、巻き込まれてはいけない――」
ティンの声はどこかに溶けるようにして、消える。手を伸ばしたと思ったら、ククルの意識は闇に沈んだ。
ククルは、波の音で目を覚ました。
「あに……さま……」
ティンは、どこにも居ない。
ごつごつした地面に手を付き、びしょ濡れの体を起こす。
洞穴だ。しかも、見上げれば無数の白い柱が淡く輝いている――。
「鍾乳洞……」
気が遠くなるほどの年月を経て自然が作り出す、神秘の白い柱。話には聞いていたが、入ったのは初めてだった。ふと前を見やると、豊かな水が広がっていた。どうやら、海とつながっているらしい。
洞穴を上って行けば、島に出られるだろうか。
けれど、灯りもないのに動きまわるのは危険だった。今は外の光が差し込んでいるから少しは視界が効くが、奥に行くとどうなるかわからない。
「ユル――」
心と口で、呼ぶ。どうか来て欲しいと祈り、願う。
そのまま、再びククルは眠りに落ちてしまった。
抱き上げられる心地がして目を開くと、ユルの顔が間近に見えた。
「……よく、わかったね」
「呼んだだろ」
「聞こえたんだ?」
ユルが笑った気がしたが、すぐに彼は首を後ろに向ける。
「やっぱり、ここだったぞ」
「ククル!」
「良かった無事で!」
同時に駆け寄って来たのは、カジとトゥチだ。
心配掛けてごめんなさい、と言い掛けたのに酷い眠気で舌が回らなくて。そのまま目を閉じ、ククルは再び眠りの世界に入って行ってしまったのだった。
再び目覚めた時には、布団に寝かされていた。
目を開けると、傍にユルとトゥチとカジが座っているのが見えた。
「大丈夫か、ククル」
カジに問われて頷き、ククルはユルを見上げる。
「ユル。あの後、どうしてたの……?」
その質問に対して、ユルはククルがさらわれた後にどうしたか語ってくれた。
「どうせ、官吏がお前を連れ去ったんだろうと予想したんだ。だから一旦、この信覚島に寄ると思った」
ユルはすぐに出発し、この島に辿り着いて二人と合流したそうだ。
「だけど、官吏の乗ってた船は海賊に襲われたって知らせ聞いてさ……。さすがに青ざめた」
ククルは、何日も行方知れずになっていたのだという。ユルから聞いた日にちと合わせると、人魚の島を出てから、七日も経っていたらしい。
「私も途方に暮れたわ。でもいきなり、ユルくんがあなたは無事だって言ってね」
トゥチがそっと控えめに、会話に加わった。
「聞こえたんだ。お前の声が。どこに居るかも、わかってさ。神の力って大したもんだな」
「うん……」
ククルがユルの言葉を聞いてぎこちなく笑うと、カジが労わるようにククルの髪を撫でた。
「ともかく災難だったな、ククル。今日はゆっくり休めよ」
「うん……」
目を閉じると、三人がそっと部屋を出て行く音がした。
まだ、ククルは眠っていなかった。考えることがたくさんありすぎて、頭がくらくらしそうだった。
(――本島に行くなって、兄様の警告は……どうしてなんだろう。そして……多分、“あの人”ってユルのこと……なんだよね)
ショウヤ、と官吏は言っていた。それが本名なのだろうか。
(官吏がユルを知ってたってことは……ユルは王府に関係にある人間なんだ)
つまりユルは本島からやって来て、ククルの住んでいた島に辿り着いたということだ。それは一体、何故なのだろう。
わからないことが、たくさんあった。
『――ククル』
頬を撫でる風に目を閉じていると、また兄の声が響いたような気がした。
「兄様……?」
どくどく、心臓が早鐘を打つ。この島に入ってから感じる。ティンの気配が、とても濃いのだ。
布団から出て、ククルはふらつく足で立ち上がる。
「兄様!」
帰って来る声はない。でも、けれど――感じる。
「ククル、どうしたの。寝てなくちゃだめよ?」
部屋に入って来たトゥチの姿を目に留めた途端、ククルは膝を付いた。
熱に浮かされたようだった体から、力が抜ける。
「トゥチ姉様は……知ってるの?」
「ククル?」
「私と、兄様の血がつながってなかったこと」
ククルの問いを聞き、トゥチの顔が強張った。彼女は知っていたのだと、嫌でもわかる。
「本当なの?」
「――私は、そういう話を聞いたことがあるわ。ティン様にじゃなくて、カジ兄さんに聞いたんだけど。それが真実かどうかは知らないわ」
(私は、よその子だったんだ)
あまりの衝撃に目を閉じ、ククルは再び横たわりたい衝動を抑えてトゥチに向き合う。
「じゃあどうして私と兄様は、兄妹の力が使えたんだろう?」
「ククル。今は、何も考えないで寝なさい。あなたは、体力を消耗しているのよ」
「でも姉様。ここの島、兄様の気配がする。まるで生きてるみたいに」
ククルの呟きに、トゥチはその麗しい
「ティン様は、死んでしまったわ」
抑えきれぬ嘆きを滲ませ、トゥチは告げる。
「ククル、眠るのよ」
トゥチは優しい手つきでククルの背を抱いて、そっと布団に横たえた。
押し寄せる白波を見ながら、佇む人影がある。
その背に近寄り、ユルは呼んだ。
「ティン」
彼は振り返り、ユルの姿を認めて微笑んだ。
『やあ、ユル。元気そうだね』
「おかげさまでな。あんた、またこっちに来たのか。良いのかよ?」
『――代償は払っている』
ティンの謎めいた台詞に首も傾げず、ユルは無表情で尋ねる。
「この島か」
何が、とは敢えて口に出さずにユルが確認すると、ティンは仄かに笑んだ。
『ああ。だからこそ力が満ちる。――助けてやれる回数は増えるだろうが、自分で気を付けることだよ、ユル』
「わかってる」
『ならば、何故引き返さない?』
ティンの鋭い問い掛けに、ユルは負けじと強い視線を返す。
「本島に行けと、お前の婆さんが言ったんだ」
『違うだろう、ユル――。お前が、言わせたんだ』
ティンは見ていたかのように言う。いや、ティンは実際に見ていたのだ。
鉈の刃を老婆の首に突き付け、冷酷に告げる少年を。
――そう命令しないと皆殺しにしてやる。
殺気と共に放たれる霊気で、ククルの祖母はユルが只人ではないと直感し、従った。
「だけど最後に決めたのはあの婆さんだろ」
彼女もユルを、利用しようと思ったのだろう。
「お前はオレを止めることは出来ない」
『お前が強くなっているのは、ククルの力を借りているからだ。驕るな』
「ああそうさ。でも、あんたはオレを傷付けることは出来ない。あいつの“兄”の代役はオレにしか出来ないからだ」
言い切るユルの表情には、嘲笑も含まれていた。それが不快だったのか、ティンは眉をひそめる。
「安心しろよ。ちょっとだけ、本島に行くだけだ。その後は、ちゃんと戻ってやるよ――」
沈黙が、その場に満ちる。波音にかき消されそうなぐらいに小さな声で、ティンはユルをなじった。
『お前は、私を利用している』
「あんただって、オレを利用している。でも、オレもあんたもククルを利用している。それが真実だろ?」
答えは返って来なかった。ティンの姿は、既にかき消えてしまっていたからだ。
彼が去った名残のような白い光が、月光を弾いて霧散した。
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