第二話 巫女 3
おじが語った話は、こうだった。
それはちょうど、ノロであるおばが用事で村を出ていた時。
フイニに熱を出した子供の治療を頼んだが、治療の甲斐なく子供は亡くなったらしい。子供を殺されたと息巻き激昂する村人達は、おじに相談して来た。
『やはり聞得大君が認めないだけあって、あのユタは偽者だ。退治したい』と。
おじが取り成そうとしても耳を貸さないので、その場で諌めようとして仕方なく付いて行くことにした。しかし結局止められず、ただ見ているだけとなってしまったと彼は語った。
「情けないことに……ユタが居なくなったら、という思いもあったんだろう。ユタの分だけうちに仕事が回って来ると――」
おじは唇を噛み締めてから、続けた。
「優越感もあった。ノロの方が優れているのだから、ユタは居なくても大丈夫だと」
だから本気で止められなかった。ユタは死ぬことになってしまった。
「それなら、あんたは見捨ててないと言ったけどそれは違う」
ユルは疲れたような表情で、きっぱりと告げた。
「あんたはユタを見捨てたんだ」
容赦ない口調だったが、ククルは彼の意見に賛同した。
「私もそう思う。それにね」
ククルは真正面に座るおじを見つめ、首を振った。
「今まで上手くやってたのに、呼び方が変わっただけで敵になるなんておかしいよ」
色々なノロとユタが居るだろう。しかし少なくとも、この島のノロとユタは担当地域を分けて、それぞれ神事や依頼をこなしていたはずだ。
たとえ聞得大君の認定が片方にしか降りなくても、関係を変える必要はなかったろう。
「そうだな……」
おじは両手で顔を覆い、うなだれた。
「それから、ユタの幽霊は私の前に何度も現れた。何度も何度も、恐ろしい幻を見せた。よりにもよって私が一人の時を狙って……。どうしてだ? 私は何もしなかったのに」
「言っただろ。あんたは、止められるはずだったのに止めなかった。だから、恨んだんだ。あんたがノロの夫であったことも、影響したとは思うけどな」
ユルにぴしゃりと言われ、おじは押し黙る。
「官吏には詳しいことを申し上げました。明日、あなたと罪を犯した村人達は官吏のところへ行くようにと通達を受けました」
おばは、無表情で淡々と言った。
「弔いは、私が行いましょう。あなた達も、手伝ってくれるわね?」
おばに問われ、ククルもユルもこくりと頷いた。
夕焼けに染まった海を見据え、おばは祈りを始めた。
ニライカナイに旅立ったと思われるフイニに対し夫と村人の分まで謝罪し、彼女の安らかな眠りを神に祈る。
葬儀は既に終わり、フイニの骨は海の底に沈んでいた。島によって葬儀の仕方は違うが、ここでは火葬にして骨だけにし、土に埋めるか海に沈めるか選ぶのだという。
彼女の後ろで、ククルもまた祈りを捧げる。ユルはただ佇むだけだったが、真剣な顔で海を見つめていた。
おばは、打ち寄せる波に足を浸しながら舞った。
神舞を捧げることに決めたのは、ユタであったフイニを讃えるためのものなのか。
白い袖をさばき、しなやかな手足がゆっくりと動く光景はまるで陽炎のように美しくて、ここが楽園なのかと錯覚させるほどだった。
舞を終えたおばは、大地に手を突いて頭を下げた。二人もそれにならい、弔いは終わりを告げた。
「とんだ事件だったな」
ユルは思い切り、あくびをかました。
「そうだね」
親戚の家でゆっくり出来ると思ったら、却って疲れてしまった。
こうして野宿している方が落ち着けるというのも、妙な話だ。
彼らはあの集落を出て、次の集落を目指すところだった。
「どういう裁きが下されるのかな」
「さあな、官吏次第だろ」
ユルが木の枝を放り込むと、火の勢いが増した。串刺しにした魚が、益々美味しそうな匂いを放つ。
火に照らされる彼の横顔を見ながら、ククルは思う。
ユルは、ティンと全然違う。だけど、ククルを助けてくれることは一緒だ。
ククルは自分で自分に驚いた。初めはあんなに、ユルが“兄”になることが嫌だったのに。心のどこかで、ユルで良かったと思い始めている。
(兄様みたいに優しくはないけど、気遣いもあんまりないけど――)
「おい、じろじろ見るな」
ユルはククルを鋭い目で見やり、ぴしゃりと言った。
「ご、ごめん」
「焼けたな」
ユルはそう言って、魚を取った。ククルも串を掴み、口元へ運ぶ。
この魚も、ユルが取ってくれたのだ。
「ありがとう」
突然ククルが感謝の言葉を述べたので、ユルは怪訝そうに眉を上げた。
「何がだ?」
「色々……。魚とか、あの時、手を握ってくれたこととか……」
ククルの発言に、ユルは渋い顔をした。
「お前の分の魚は、ついでだ。手を握ってやったのは……ま、どうでも良いか。言っとくけどな」
ユルはその黒い目で、ククルを射すくめた。
「オレはお前を利用してるだけだ。お前のことなんざ、これっぽちも考えてねえよ」
「……何て……?」
「言わなかったか? オレはお前を利用するから、お前もオレを利用すりゃ良い、ってな」
ユルは、とても意地悪な笑みを浮かべた。
「情を感じるのは勝手だが、オレにまでそれを求めるなよ。そんな甘えた関係、虫唾が走る」
「――最低」
「何とでも言え」
ユルは鼻を鳴らし、魚の身を食い千切った。
「オレは、お前にやったら甘い“兄様”と違うんだからな」
ティンを侮辱された気がして、ククルは怒りが立ち昇るのを止められなかった。
「兄様を馬鹿にしないで!」
「はん? 兄のことになると、ムキになるな。いっつもいっつも、“兄様兄様”ってうっせえんだよ。お前、異常じゃねえの?」
目の前が真っ白になるほど、怒りが溢れる。
「――嫌い」
悔しくて悔しくて、涙が頬を伝う。
「あんたなんか、大っ嫌い!」
ククルはユルの頬を思い切り引っぱたき、走り去った。
木の根元で、一人で泣きじゃくる。
(どうして兄様。どうして、夢の中でユルを指差したの。どうして、あんな酷いこと言う子と旅をしなきゃいけないの)
『ククル、泣かないで』
(私が泣きじゃくってたら、いつも兄様がすぐに来てくれた)
『何かあったのかい?』
『知らない子に、神の子なんて嘘だって言われて……石を投げられたの』
ティンは困った顔をして、ククルの頬に手を伸ばす。涙に濡れた頬を撫でられ、ククルは顔を上げる。
『ククルは、自分が神の子なのは嘘だと思う?』
『ううん。だって、兄様と一緒なら私は力を発揮出来るもの。だから、嘘じゃないもの』
『だったら、堂々としていないとね?』
ティンは優しく優しく、笑う。
『嘘じゃないなら、嘘じゃないって言ってやるんだ。自分がそう思っているなら、信じてやらなくては。泣いたら相手の思う壺だよ』
『うん……』
『大丈夫、ククルは出来るよ。ククルは強い子だ』
脳裏で再生された記憶は薄れ、目の前に星空が蘇って来た。
「兄様……私は強くない」
ユルに言われたことに傷付きすぎて、立ち上がる気力も湧いて来ない。
潮騒に胸がざわついて、ニライカナイがまだ近いことがわかるのに、兄を呼ぶ勇気もない。また会えないと思うと、怖くて。
(私はいつまで経っても弱虫で、泣き虫で――兄様を恋しがるしか能がない)
ククルはゆっくりと立ち上がり、森を出て砂浜を踏みしめ歩いた。海に向かって、迷いなく足を進める。その足が波に浸かろうとも、彼女は止まらなかった。
(こんなに胸がざわつくのに、ニライカナイが近いのに――兄様には逢えない)
しかし、まだ歩みは止めない。腰が海に浸かろうとも、ククルは涙を流しながら進もうとした。
ユルは、叩かれて赤くなった頬に手を当てた。
「馬鹿女……」
この痛みはククルが感じた胸の痛みに匹敵するものだろうか、と考えてユルは首を振る。
(――馬鹿馬鹿しい。オレは、あんな奴どうだって良い)
ユルは木の枝をまた、焚き火の中に放る。
火のはぜる音を聞きながら、ユルは寝転んで星空を見上げた。
まるで吸い込まれそうな夜空に瞬く、無数の星。
ユルは憎々しげに、夜空を睨み付ける。
「止めろ……見るな……」
まるで星達が自分を監視しているように思え、ユルは腕で目を隠してしまった。
その時、妙な気配を感じた。
ユルは慌てて起き上がり、振り返る。
青い燐光を帯びた青年が、後ろに立っていた。
「お前……」
『困るね。私の妹をいじめてもらっては』
髪と同じ淡い色をした目を細め、青年は一歩ユルに近付いた。
後ずさるユルを見て、青年――ティンは優美に笑う。
「てめえ、何しに来たんだよ!」
『それはお前が一番、わかっているのではないか?』
ティンは冷たい怒りを隠し、微笑む。
そうして、“兄”であった青年と“兄”になった少年は、しばし睨み合ったのだった――。
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