第二話 巫女

 久々に会ったおじとおばは、痛ましげな顔つきでククルとユルを迎えてくれた。


「この度は……残念なことだった。ティンは、立派な青年だったのになあ」


 この家の当主である恰幅の良い男は、髭面を哀しみに歪めた。


 彼がどれだけ自分と血が離れているかよく知らないので、ククルは彼のことをただ“おじさん”、その妻を“おばさん”と呼んでいた。


「はい……」


 思い出話をするだけでも、涙腺が緩んでくる。そっと目元を拭うククルだったが、隣のユルは飄々ひょうひょうとした顔をしていた。


「あなたが、新しい兄になるのね」


 おばに問われ、ユルは小さく頷く。


「ユルと言います」


 床に手を付き、きちんと頭を下げる。その動作が礼儀正しく見えたのか、夫妻は二人共満足そうに顔を見合わせた。


(何さ、猫かぶっちゃってさ)


 普段のユルを知るククルは仏頂面になってしまった。


「旅で疲れただろう。ここでゆっくりして行きなさい」


「ありがとうございます」


 ククルは安堵で、口元を綻ばせた。


「しかし、聞得大君に会えとは婆様も大層だな。本当に、そう言ったのかい?」


「はい。やっぱり、おかしいんですか?」


 今まで祖母の指示を何も疑っていなかったククルは、首を傾げた。


「どうだろうね。私達はあくまで分家だから、本家の意志を知らないだけかもしれない」


「そうですか……」


 おじの推測は歯切れが悪かったが、ククルは一応納得することにした。


「うちは、私が思うよりずっと王国にとって大切だって、ばば様が」


「ああ、それは本当だよ。私達の血統は、王国が認めた神女ノロの家だからね。もっとも、本家は神の家と言う方が多いんだっけ?」


 ノロによく似た仕事として巫女ユタがあるが、ユタの方は王国公認の職業ではない。


「あの」


 ククルはずっと気になっていたことを、勇気を出して問うた。


「トゥチさんは、ここにいらっしゃいましたか?」


「トゥチ? ああ、ティンの許嫁だったね。少なくとも、この家には来てないよ」


「そうですか」


 その後もいくつか話をしてから、ククルとユルはそれぞれの部屋に案内された。


 床に腰を下ろし、ククルはほうっと息をつく。実家に負けず劣らず広々とした家は風通しが良く、涼しかった。


 ここが最終目的地ではない。されど、慣れない旅は思ったよりもククルに負担を掛けたようで体の節々が痛かった。


(ユルは何で、あんなに慣れてるんだろう……)


 自分がしっかりしなくては、と思ったのに気が付けばユルに頼りっぱなしだ。


 横たわって目を閉じると、眠気が訪れて来た。


(少しだけ、寝させてもらおう……。夕食までに起きれば良いや……)


 うたた寝していると、誰かが部屋に入って来る気配がした。


(ユル?)


 だが、その誰かはククルに話し掛けることもなくその場に佇んでいた。


 見下ろされる感覚が、何とも不可解だ。


「おい、起きろ」


 ユルの声がして、ククルは覚醒する。しかしユルは、部屋の外から呼び掛けていたのだった。


 あれは、ユルじゃなかったってこと……?


 呆けるククルを見て、ユルは首をひねった。


「なーに、ぼさっとしてんだよ。夕食だってよ」


「あ、そう」


 ククルは起き上がり、首を振った。


(何だったんだろ……?)




 夕食の卓にはおじとおば、そして幼い子供が既に着いていた。


(ご、ご馳走だなあ)


 ククルは、大きな焼き魚を見て喉を鳴らせた。


 ユルの隣に座って、手を合わせる。


「どうぞ、食べてくれ」


 おじは笑顔を浮かべて薦めてくれた。


「いただきます」


 自分でもどこにそんな食欲があったのか、というくらいの勢いで食べ始めてしまった。


 ユルはそんなククルを呆れたように見つつ、箸を進めている。


「そういえば、ちょっと頼みがあるんだ」


 おじの言葉に、ククルは顔を上げる。


「頼み、ですか?」


「ああ。巫女ユタのばあさんが、どうも病気になったらしくて。本人がユタなもんだから、うちに頼ろうとしないんだ。まあ、うちだって万病を治すとはいかないけどね」


 おじは肩をすくめ、妻の方を見た。ノロの仕事は、おばがしている。祈祷したり薬を調合して人々を癒すのは、ノロの大切な仕事だ。


「君達は、兄妹揃うと癒しの力を発揮できるんだろう? ばあさんを、治してあげられないかな?」


「出来ると思いますけど……でも、ノロの世話になりたくないって言われたらどうしたら?」


「ノロだと名乗らなければ良い。神の子ということにでもしたらどうだろう」


「わかりました」


 上手く行くかはわからなかったが、ククルは承諾した。




 翌日、ユタの老婆を訪ねるため、二人は早速出掛けた。


 家主の話によると、彼女の家は村の外れにあるらしい。そこに行くために、市を通らなければならなかった。


 賑やかな市場の風景に、ククルは昔を思い出す。


(そういえば、兄様によく市に連れてってもらったっけ……)


 ククルの島は小さかったので、市もこれほど大規模ではなかった。それでも、懐かしさを覚えずにはいられない。


 家にこもりがちなククルを見かね、ティンはよくククルを市に連れて行ってくれた。自慢の兄に手を引かれ、誇らしかった記憶がある。


(トゥチ姉様も、よく一緒に……)


 そこで胸に鋭い痛みが走った。


 トゥチは一体、どこへ行ってしまったのだろう。


「おい」


 ユルに声を掛けられ、ククルは飛び上がるほど驚いた。


「何、ボーっとしてんだ?」


「あ、別に……」


 ユルに弱みは見せたくなくて、ククルは首を振った。


「広い市だな、と思って」


「そうかあ? 大したことねえと思うけど」


 ユルは、ここよりもっと大きな市を見たことがあるのだろうか。


「私の島にあった市場に比べたら、広いんだけどな」


 そんなククルの呟きにも気に留めず、ユルはさっさと前を行く。ユルはティンと違って、ククルの歩幅に合わせてくれないのだ。


(旅で疲れるのは、ユルのせいもあるかも……)


 ククルは頬をふくらませながらも、駆け足でユルの背を追った。


 その時、長い髪の女性とすれ違った。


「トゥチ姉様!」


 思わず彼女の方を向き、叫ぶ。しかし振り返った顔は、トゥチのものではなかった。


「ご、ごめんなさい……人違いでした」


 彼女はトゥチには似ていなかったが、きつい顔立ちの美人だった。思わず見惚れてしまうほどに。


「――誰かを、捜しているの?」


 低めの声で問われ、ククルは我に返った。


「は、はいっ。あ、でも違うんです。私が捜してるのは、姉様ではなくユタで……」


 言っている内に、自分でもわけがわからなくなって来た。


「ユタ?」


「はい。ユタのおばあさんです」


「どうしてユタを捜しているの?」


 問いに答えたのは、いつの間にか隣に来ていたユルだった。


「ばあさんが、病気だって聞いたからだよ。見舞いだ」


「そう。案内してあげましょうか」


「お願いします!」


 ククルはもちろん、その提案に飛び付いた。




 随分歩いた後に、ユタの家に着いた。


 庭には、たくさんの人々が集まっている。


「うわあ……」


 ククルがきょろきょろしていると、凄い形相でこちらに走って来た男に突き飛ばされてしまった。思わず尻餅を付き、呻く。


「痛た……」


「何やってんだよドジ」


 ユルは手を貸す様子もない。


「ユタ様! どうか、うちの子供を診てやって下さい!」


 男が、ククル達をここまで連れて来てくれた女の前で土下座する。


(ユタ様?)


 ククルはまじまじと、女を見た。彼女は到底、老婆には見えない。


「良いでしょう」


 だが、彼女は堂々として男に頷き掛けたのだった。




「どうなってるの?」


「代替わりしたんじゃねえの」


 ククルとユルは家の中に通され、待たされていた。


 庭の様子を遠目に見る。どうもこのユタは随分と人気があるらしく、たくさんの人々が相談に来ていた。


「まさか、あの人がユタだったなんて」


 名前は、フイニと言うらしい。


(どうして私は、トゥチ姉様と間違えたんだろう)


「さすが、ノロ……神の家系だな。お前、一発であの人がユタだってわかったんだな」


 ユルに褒められたが、当のククルは何のことか一瞬わからなかった。


「あ、違うの。私、あの人がユタってわかったわけじゃなくて」


「じゃあ、何だってんだよ」


「実は――」


 そう言い掛けた時、ようやくフイニが入って来た。


「待たせたかしら」


 フイニは疲れたように、二人の前に座った。


「ユタに何の御用かしら? 私の見たところ、あなたにユタの力は必要なさそうだけど」


 フイニの言葉にククルは驚いた。神の力を持っていることが、見ただけでわかるのだろうか。


「私達、頼まれて来たんです。ユタのおばあさんが病気だから、って」


 しかしフイニは、どう見ても老婆には見えなかった。


「ああ、そういうことなのね。残念ながら、病気だった母は死んだわ。誰に頼まれて来たの?」


 問われ、ククルとユルは顔を見合わせた。


「言って大丈夫なのかな」


「ま、良いんじゃね?」


 ユルの適当な返事にため息をついてから、ククルは答えた。


「ノロです」


 フイニは動揺した様子もなく、微笑んだ。


「それはご苦労なことね。商売敵なのに」


「商売敵……?」


「母は死んだのだから、ノロの力は要らないわ。そういうことで、お引き取り願えるかしら」


 有無を言わさぬフイニの口調に戸惑いつつも、ククルは頭を下げたのだった。

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