第一話 兄妹 2

 翌朝、祖母がククルの部屋に入って告げた。


「ククル。旅立つ日が決まったよ」


「旅……?」


「お前も覚えているだろう。時が満ちたら兄と妹は、親戚筋に挨拶して回るんだよ」


 そういえば、とククルは思い返す。まだククルが幼い時、兄と共に旅をした記憶がある。


「今回、“兄”が血縁でない者に変わったからね。前例のないことだから、聞得大君きこえのおおきみにも見えて申し上げなさい」


「聞得大君に?」


 聞得大君とは、国王の姉妹で、王国最高位の神女ノロである。都に居て、神の力で王国を守護しているのだ。


「この家は、お前が思うよりずっと王国にとって大切なんだよ。わかったね?」


「……はい」


 ティンと旅をした時は、親戚が散らばる周辺の島々に行っただけだった。


 この王国は海洋国家で、無数の島から成っている。都があるのは、その中でも一際大きな島だ。この島がある、八重山諸島よりずっと北東にある。八重山と本島は、かなり離れていた。


(都に行って聞得大君に会うってことは、相当な長旅になる。なのに――ユルと行かなきゃならないなんて)


 どうしても、ククルはユルと上手くやって行けるとは思えなかった。


「兄は……ユルで、決定なんですか?」


「ああ、そうだ。今更変わらないよ」


 きっぱりと言われ、ククルは暗い目になった。


「ユルにはあたしから言っておこうか? それとも」


「ばば様、お願いします」


 ククルは素早く頭を下げた。




 布団に包まりながら、ククルはティンと行った挨拶回りの旅を思い出そうとした。


 あの時ククルは八つくらいだったので、そんなにはっきりと覚えているわけではなかった。


(でも、こんなに心配はしてなかった気がする。兄様に任せれば、全て大丈夫だと思っていたから)


 実際、そうだった。兄に任せれば、怖いことなどなかった。


 たとえ野盗に襲われても返り討ちにしてくれた。ククルが足の痛みに泣いていると、あやしながら背負ってくれた。


 思い出すと哀しくて、ククルは首を振った。


(――あの時の兄様と、今の私は同い年。私が、しっかりしなきゃ。ユルには頼れないけど、私は大丈夫)


 ククルはようやく、眠りに落ちた。




 ティンが死んでから何度も見る夢を、見た。


 冷たく横たわる、ティンの姿。泣き叫ぶトゥチや母の姿。


 少し離れた暗いところで、佇む自分。


 いつもなら、そこで夢が終わるはずだった。嫌な汗と共に目覚めるはずだった。


 しかし、誰かがククルの肩を叩いた。


 ――兄様。


 ティンは優しげな微笑を浮かべながら、前方を指差す。前方には、少年が現れていた。


 ――ユル。


 そっと、ティンはククルの背を押す。二・三歩進んでからククルが振り返った時にはもう、ティンはこちらに背を向け立ち去ろうとしていた。


 ――兄様!


 叫び声は届かず、ククルはそのまま夢から覚めた。




 出立の日。ユルは腰に、鞘ごと剣鉈に似た短い刀を二本下げていた。


「それ、あなたの武器?」


「ああ」


 ユルは素っ気無く答え、荷物を持ち上げた。


「お前は武器、要らないのか?」


「一応、小刀持ってる」


 護身用として持って行くことにしたのだ。


「あっそ。じゃあ行くぞ」


 ユルが早速歩き出してしまい、ククルは慌てた。


「い、行って来ます」


 両親と祖母に頭を下げる。そして彼らの顔を見ないようにして、ククルはユルを追って走り出した。




 まずは島から出るため、船に乗せてもらった。


 ちょうど隣島に帰るところだという男は、ククルとユルを見て朗らかに笑った。


「若いのに、逃避行かい?」


「だーれが、こんなのと」


 ユルが、舌打ちして否定する。少し経ってから、ククルは言葉の意味に気付いた。


「わ、私だってあんたなんか願い下げ……」


「じゃ、乗せてくれるんだな」


 ユルはククルの台詞が聞こえていないのか敢えて無視しているのか、気にせず男に確認を取っていた。


「ああ、もちろん」


 男の言葉に甘え、ククルとユルは船に乗り込んだ。




 隣島にある親戚の家は、着いた浜から少し距離があった。


「今日は野宿だな」


 ユルは舌打ちして、木の根元に腰を下ろした。


 慣れた手付きで火を起こし始めるユルを見て、ククルはぽつりと呟いた。


「……ユルって、旅慣れてるの?」


「あ? ああ……まあ」


「一人で旅して来たの?」


 そう思うのは、歩みや野宿の仕度に迷いがないせいだ。反対にククルは慣れてないせいで、戸惑ってしまう。


「――どうでも良いだろ、オレの事情なんて」


「……そうだね」


 夢で見たティンの暗示めいた動作のせいか、共に旅を始めて少し親しみが湧いたのか――どちらにせよ、ユルとの仲が少し良好になったと思っていたので、この拒絶は辛かった。


「しまった」


 ユルが袋を漁り、舌打ちした。


「どうしたの?」


「食料、取られたみたいだ」


「取られたって、誰に」


「多分、あの船長だろ」


 ユルの言葉に、ククルは衝撃を受けた。


 あんなに良い人そうだったのに……。


「まあ、ましな方だ。水や路銀には手を付けられてねえから、ちょっと失敬したってとこだな」


 ユルは気楽に肩をすくめ、辺りを見回した。


「木の実でも取って来る。この暗さじゃ、狩りは難しい」


「あ、ありがとう」


「いちいちどもんな、馬鹿」


 憎まれ口を叩いてから、ユルは鉈を携えて歩いて行ってしまた。


 森の奥に消えるユルの背中を見ながら、ククルはため息をついた。


(どうしてばば様は、素性の知れないユルを選んだんだろう。そして、兄様も……)


 あれが、ただの夢だとは思えなかった。


 考えているとまたティンが恋しくなって来て、ククルは膝を抱いてうつむいた。


 草を踏む音が聞こえ、ククルは顔を上げる。


「よう、嬢ちゃん」


「船長さん……?」


 間違いなく、この島まで乗せてくれた男だった。しかし、どうも雰囲気が違う。後ろに屈強な男達を連れているのも、異様だ。


「あのガキは居ないんだな。こいつぁ、ついてる。俺の作戦勝ちだ」


「どういうこと……?」


「食い物を取れば、食料を捜すためにあんたと離れるって思ったんだよ」


 まだ、状況が飲み込めない。


「あいつはガキのくせに、隙がなかったからな。手こずるのは遠慮したいから、用心したってこった。だけどあんただけなら、簡単だ」


「何を、するつもり?」


 男達は一斉に刀や斧をそれぞれ構えた。


「野盗にそれを聞くのかい?」


 野盗――。


 ティンがいつか返り討ちにしてくれた男達と、彼らの姿が重なる。


「安心しろ。あんたは、丁重に扱うよ。身代金を取れそうだ」


 恐怖のあまり声が出ない。ククルは小刀を握り締め、震える足で立ち上がった。


「止めて。来ないで」


 都に行くため、路銀はたくさんもらっていた。そのせいで野盗に目を付けられたのかもしれない。


 男達はにやにや笑いながら、ククルににじり寄る。


「兄様――」


 だが、木の枝からククルの前に飛び降りて来たのは、ティンではなくユルだった。


「下がってろ、愚図」


 ユルは腰を落とし、両手に鉈を構えていた。


「おっと、意外に早かったな坊主。……俺の仲間はどうした?」


「今頃、呻いてるだろうよ」


 そのやり取りで、ユルも襲撃されたのだとわかった。


「やっぱり、なかなかだな」


 男は武器を振りかぶり、襲って来た。


 ユルは舌打ちして、正面の刀を交差にした鉈で受け止めた。しかし体格差があるので、明らかに力負けしている。


 ククルは、震えながらも手を組んだ。


 ユルに神様の力をあげれば、勝てる。


 ククルは懸命に祈ったが、ユルに変化はなかった。何とか剣を払い、元の体制を立て直したところで横から別の男が襲って来る。


(どうして、祈りが届かないの……? 兄様の時は、すぐに上手く行ったのに。もしかして、血縁じゃないから――?)


 その時、ユルの腕から血が迸った。


 それは、奇妙な感覚だった。前も、どこかで見たような気がしてならなかった。


「おい! ぼさっとしてないで、今の内に逃げろ!」


 ユルの叫びで、ククルは我に返った。


(そうだ。私は、以前も同じような場面に出くわしたことがある。兄様の時も、すぐに上手く行ったわけじゃない。傷付いた兄様に囁かれ、初めて上手く行ったんだ)


『ククル、いつものように祈っておくれ。私が海に出る時に、命の安全を祈ってくれるように』


 そう。方法は違うけど、兄弟エケリを守るのは姉妹オナリの神の力。


 ククルは歯を食いしばり、手を組んで祈りを捧げた。


 傷を押さえながら周りを睨んでいたユルは、自分の腕が燐光を帯びたことに気付いたようだ。


「まさか」


 ちょうど襲い掛かって来た男と刀を合わせて弾き飛ばすと、男は遠くに吹っ飛んでしまった。


 ユルは唇を歪め、跳躍する。人にあるまじき高さの跳躍に、男達は驚愕した。


 ユルは男達の真ん中に降り立ち、円を描くように鉈を両手で振るった。思わず見惚れるほどの鮮やかな手付きで次々と敵は倒され、とうとう立っているのはユルだけになった。


 ユルは返り血で赤く染まった顔を、ククルに向ける。彼は血に臆した様子もなかった。


「これが、神の力か」


「うん……」


 ククルは、慎重に息を吐き出す。


「ユル。みんな殺してない?」


「多分な……」


 ユルは、呻き声をあげる野盗達を見下ろす。余裕があったため、殺さないで済んだのだろう。


「じゃあみんなを、ある程度治すから。みんなに手で触れて」


「お前、馬鹿か!?」


 ユルの形相が変わった。


「こいつらが回復したら、どうするってんだよ」


「でもこのままにしておいたら、みんな死んじゃうから。お願い、ユル。少しだけだから」


「――しゃあねえなあ。まあ、こんだけやったらもう歯向かって来ないか」


 ユルは口を尖らせつつも、一人一人の傷口に触れて回った。


 少しだけ傷を治してやると、野盗達は慌ててそそくさと逃げて行った。


「あれ、オレの傷も治ってら」


 ユルが自分の腕を興味深そうに見る光景が、突然ぐらついた。


 自分がぐらついているのだと自覚した時にはもう、ククルは意識を失っていた。




 目が覚めると、ククルは浜に横たわっていた。夜は明けたらしく、もう周囲に闇はなかった。


(夢……? ううん、違う)


 焚き火で魚を焼いているユルの横顔を見上げ、ククルは呟く。


「ユル」


 ユルの髪は濡れていた。海で魚を獲って来たのだろう。


「お前も食えば」


 串刺しにされた焼き魚を、ユルはククルに無造作に渡した。


「ありがとう」


 ククルは魚を受け取り、早速食べ始めた。


 視界の端に、赤が滲む。朝焼けが、空を染めていた。


「ユル、ごめんね」


 突然の謝罪に、ユルは眉をひそめる。


「何で謝ってんだよ」


「私、酷いことしてた。ユルに、八つ当たりしてた」


 兄の代わりとして連れて来られた少年を、ずっと憎んでいた。何故なら――


「兄様の代わりなんて、居ないの」


 涙がはらり、零れ落ちた。


「なのに、ばば様はユルを連れて来て……兄様の代わりにした」


 祖母は知らないのだろうか。あれで、ククルがどんなに傷付いたか。


 母にとっての息子、父にとっての息子、祖母にとっての孫……トゥチにとっての許婚。皆にとって、ティンはかけがえのない存在だったろう。代えられようもない、存在だったろう。


「私にとっても、兄様はただ一人だったのに――」


 代わりが利くだなんて、言わないで――。私の兄様は兄様ただ一人。


(誰がどう言っても、兄様は一人きり。失われ、もう帰って来ない)


 泣きじゃくるククルの横で、ユルは何も言わずに空を仰いでいた。


「でも……ユルも被害者だよね……。なのに憎んでごめんね……」


 憎まずにいられなかった。“兄の代わり”として、現れた少年を。まるでユルがティンの位置を奪うようで、許せなかった。


「ま、別に気にしてねえさ。オレもお前も互いに利用すりゃ良いんだから」


 その軽い口調に顔を上げると、珍しくユルが優しい笑顔を浮かべていた。


「ユル。私はこれからも、あなたを兄様の代わりとして思えないけど……」


「あー、もう良いって肩書きとか。お前にとって、オレは“ユル”だ。それで良いだろ?」


「――うん」


 ククルは涙に濡れた頬を拭い、頷いた。




 翌朝、二人は荷物をまとめて出立の準備をした。


「そういえば」


 青い海を見つめながら、ククルは尋ねる。


「あ?」


「ここまで、ユルが運んでくれたの?」


「まあな。お前、気絶してたし。そうそう、それで言いたいことがあったんだ」


「なあに?」


 首を傾げるククルに、ユルが指を突き付けた。


「お前、重すぎ」


 




 兄様へ――




 心の中で、手紙をしたためます。


 そちらは暑いですか? それとも涼しいですか?


 せめて、そちらで快適に過ごしていることを祈ります。


 私は今、ユルという男の子と旅に出ています。少しいや大分、無神経みたいなので、上手くやって行ける自信があんまり……全然ありません。


 だけど兄様が示した人だし……私を助けてくれたので、根は良い子なのかなと思ってます。


 兄様。また、夢で会えることを願ってます。




             ――ククル


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