セカンドダンス

 踊り疲れたら私は警察署にいた。どうやらエナイは一命をとりとめたらしい。事情聴取についてウソデは話にならなくなっているよう。ウカサとガナイも暗くてよく見えなかったということで帰らされた。ということで一番近くにいてわりと加害者気味な自分が取り残された。一番先に帰りたかったのに一番最後まで残されるとはどういうことだろうか。それより突き飛ばした男はどこ行ったんだよ、一番の犯罪者はヤツだろ、警察が犯人追わなくてどうするんだよ。むしろ私は被害者だ。酔いは覚めたとはいえアルコールは残っている。頭もうまく回らない中、調書のために必死で話す。なんのために必死になっているのかわからない。ここで適当に答えたら不利になりそうで眠気に負けずに適切に答える。エナイも今頃集中治療室にいるのだろうか、知らないけど。

 目が覚めたときは自宅のベッドで倒れていた。どうやってたどり着いたのか記憶がないがとにかく自分は無事だった。無事という概念がどこまでを指すのかもうわからないが、ぐっと狭くしたらとりあえず命が残っているということは無事だということだ。どういう定義だ。二日酔いがひどい。

 休日は紅茶をひたすら飲んでいた。お酒は正直好きじゃない。酔うのが大体好きじゃない。私はひとりで本を読んだりするのが好きなんだ。それをさらに二日酔いで休日をダメにするなんていいことなんてひとつもない。無事なんかじゃいられない。

 翌日。いつも行きたくない会社に拍車をかけて行く気が失せている。昨夜のことについて呼び出しとかあるだろうと思うだけで帰りたい。ウカサとガナイはちゃんと出社するだろうか。ウソデは無理っぽいかな。私だけが事情聴取されたらどうしよう。警察とか来ていたら厄介だ。私が加害者ではないにしても一番の当事者だから、どうやって説明したらいいのか。そのときは酔っていてその後のことは覚えていてもその前のことは記憶がない。

 とはいってられないほどの叱責を受けた。警察の説明も熾烈であり、その後は今まで研修などでしか遠くでしか見たことのない会社の偉い人からツバを顔面にたくさん浴びるほど怒鳴られた。その後一日は反省文を延々書かされた。まったく仕事とは関係のない生産性のない一日。これで給料もらえるのだから日本も平和である(人事考課の査定にはひっかかるだろうけど)そんなものいくらでも書いてやる。でもこのぐらいじゃ踊れないな。踊れるほどのテンションじゃない。こんな想像できるような悲惨ごときじゃ舞う気になれない。歌は安売りしない。

 そもそもなんで私はこんなに怒られなければならないのか。これはこれで同期飲み会はできなくなったことに内心喜んでいるのも事実だ。毎回無理矢理誘われているのだから。入社当時はもっと同期がいたのだが三ヶ月もたたないうちにふたりが辞めてしまい、もっと親睦を深めて乗り切ろうとか誰かが言い出したのがはじまりで、だけど一年たったらもう半分減ってしまった。この飲み会でさらにふたりが退場してしまった。ぜんぜん結束の役に立ってない。最後怒られてボーナスにも響く結果になってしまっている有様。

 私はひとりでこなすのが好き、というか身に染みついている。仕事もできるだけひとりで協力もせずに済ませたい。子供の頃から変わらない。誰かといる、というか話すのがそもそも苦手だ。カラオケで歌うのも苦手だ。人のつくった歌に合わせることがどうもできない。簡単な童謡さえ歌えない。だけど歌って踊るのはすごく好きだ。自分でつくった歌を歌って自分の振り付けで踊ることほど快感はない。そこに上手いとか下手とかの差別はない。昨日踏んだステップを今日踏めなくてもそれはそれで花丸の大正解だ。昨日も花丸今日も花丸だ。なんだったら明日の分まですでに花丸だ。私だけが私を採点できるこんな幸せが

「エリカさん」どこに「エリカさん、これ仕事」ほかにあると「聞いてる」いうのかって主任、私の一人語りを阻止するほどの重要なことでしょうか、なんですか「当たり前だろ、君はなにしにここに来ているんだよ」「えっ給料もらうため」「そのための仕事だろ」「えっだって今日は反省文を」「それは昨日終わっただろ」えっておい、作者の気まぐれ場面転換でいつのまにかさっきのことが昨日のことにされている。こんな小説が成り立っていいのだろうか。はあこれも踊る気になれない。

「さっきからなにをブツブツ言っているんだ。昨日のできなかった仕事もたまっているんだぞ。さっさと取りかかってくれよ」

 蒼白の顔した主任から言われる言葉はシニンの言葉でしかない。え、昨日の仕事は怒られて反省文を書かされることじゃなかったのか。ちゃんと昨日の分のノルマはたまっていくのね。だったら仕事させてくれたほうがよっぽど効率がいいのではないか。だってどちらかというと被害者だよ、私。午後の紅茶をゲップがでるほど飲んでも、ため息がとまらない。ついでに尿をしても、ため息がでる。しゃっくりを百回連続でしたら死んでしまうなんて子供の頃妙な都市伝説があったが、ため息は何回でたら息を引き取るのか。せいぜいが幸せが逃げる程度のファンシーなことしか起こらないか。つまらないものだ。

 やりたくもない残業でやっと昨日と今日の分ぐらいの書類を終わらせる。このたぐいの集中力はまだ、もっている。シニンも手伝ってくれたけど猫の手ぐらいの些細なものだった。なんとか形になったので帰ることにする。しかし仕事というのは不思議だ。ノルマが終わらないと残業になるのにノルマがはやめに終わっても定時にならないと帰れない。日本の労働効率とはなんなのか(いや海外がどうなのかは知らないけれど)

 憑きものをとったみたいに会社からでるとまだ落ちきれていないのか肩が重くなった。なんだ怨霊まだ文句あるのか。と思ったらシニンだった。変わらないか霊と死の違いだけだ。というかなんすか。

「エリカさん終わったらさっさと帰るなんて冷たいじゃないか。手伝ったんだからちょっとは夜つきあわないか」などと油ぎった薄ら無精ひげの男が詰め寄ってきた。はあシニンの手伝ったことなんて一割一分一厘一毛一糸一忽一微一繊一紗にも満たないんだけどなにこの図々しさ。しかもあんた既婚者で子供もいるんだろ、お前こそとっとと帰れ。

「オレが女子社員に結構人気があるって気づいているだろ。そんなオレから誘われているんだぜ。悪い気はしないだろ」

 知らんわ。人気あるなんて微塵も知らんわ。「あのシニンさんはご家族が待っているんでしょう。シニンさんこそお帰りになったほうが。今日はありがとうごあ」まさかの壁ドン。うっそ。今令和だよね。年号って変わる前はすごく盛り上がったけど変わったらなんかさらっとしてるよね、こういう平成ではやったことをまだ引きずってやるのね。ナタデココかティラミスかお前は。タピオカちゃうんかい。

「オレはね若い頃、無理矢理今の嫁と結婚させられたんだよ。わかるかい。結婚していなかったら今頃エリカさんとも気軽に飲みに行けたのに。君もそんなこと言うのかい」

 君ってなに。昭和のバンカラかよ。っていうか独身でも気軽に飲みに行かないけどって、ウワーッ。この人イキナリ脇腹を出刃包丁で刺されているよ。あ、倒れた。とっさに私の足にしがみついてきて超キモイ。またスカートが汚れた。血がついたんじゃまた落ちない。

「あんたまた浮気しようとしてぇぇえ。今度こそ許さないわよォォ」髪を逆立たせた女が怒号を発している。さすがの迫力に気圧される。包丁が抜かれると血がまた大量にこぼれていく。

「なにが無理矢理結婚させられただ。お前が無理矢理襲ってきて子供ができたから結婚することになったんだろうが。ちょっと色が白くて優顔しているからっていい気になって。そこのアンタもアンタよ。こんな男でいい気になっているんじゃないわよ」

 ええええ。私なにもしてないし。女は叫び終わるとありえないぐらいの慟哭。ギャン泣き。包丁は相変わらずブン回している。ここまだ会社を出て数歩目だからすぐこの異常事態に人は気づいて速攻通報だよね。

 この状況。ふつふつと血が滾るこの感覚。どうしたらいい、こういうとき、どうしたらいいの、こんなとき、そんなときは、そう踊るしかない。

「エリカお前主任もなのかァァァァ」げっまさにステップを踏もうかするすんで止めたのは誰だ。ウソデだった。ウソデは左手にバタフライナイフを握っていた。あなた左利きだったの、そこじゃないか。バタフライナイフってキムタクかよ。キムタクのなんのドラマだっけか。キムタクって。もうキムタクの娘がでてくるっていうのに。もう令和だって。てかバタフライナイフの刃が出て私に向けられているんですけど。

「私はエナイが気になっていたのに、エナイはあんたばっかりかまって、そのせいで車にはねられちゃってあのザマよ。それでもあきたらず主任にも色目つかっているの。このふしだら淫売女め」

 刃を向けながら焦点が定まらず震えている。っていうかえらい言われようですな。ふしだらも色目もなにも私、処女なんですけど。今までクラスの隅っこで固まってひきつった笑いをしていた者として、どうしてモテキに発展してしまった。エジプトは砂漠しかないと思ったら実は結構な都市だったとか、なんだこの例えは。例えが例えになっていない。なんの話だっけ。そうそう。女ふたりがそれぞれむき出しの刃持って立っていて、男が血みどろで息絶え絶えで倒れてる。その間に挙動不審な女、私。まわりは妙な人だかり。ヒィー。そろそろ踊っていいすか。さっき中断されたし。もう勝手に踊るし。


 どうしたらいい、こういうとき、どうしたらいいの、こんなとき、そんなときは、そう踊るしかない。

 わたし今までなにも知らなかった

なんでみんなわたしに関わるの。わたしはひとりで歌を歌うの誰も邪魔をしないで

 わたし今までなにをしていたの

なんでみんなわたしの思い描いた通りにならないの。わたしはそんなに高望みしていない。わたしはひとりで生きていたいだけなの

 すれ違う笑顔の雑踏に昨日の苦しみを忘れてしまったの。明日の憂鬱を想像したくないの。刹那的な快楽のため人はなにもかもを犠牲にするのはどうして。生きることに意味はないの。一度きりの人生楽しむよりも、ストレスのない無理のないよう送りたいの。わたしどうして女として生まれてしまったの。ねえ教えて教えて

 わたし今までなにも知らなかった

生きることにこんなにも向いていないなんて。だけど教えて。生きるのに向いている人ってどういう人。叶うなら今すぐそいつの脇腹を出刃包丁で刺してやりたいわ。コイツみたいな冴えないシニンヅラしたヤツじゃなくて

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