びっくり箱アンソロジー・JackintheBOX・NoOdd収録

ファーストダンス

 隣に座っている男が自分の話に自分だけが笑ってグラスを倒して、私の膝に容赦なくビールをこぼしていった。そいつはずっとアリエナイアリエナイを連呼するのでエナイと呼ぶ。これは三ヶ月に一回どういうわけか行われている会社の同期会の飲み会だ。他にマアマアショウガナイヨと言うだけのガナイ、ヤダアウソデショとエナイの背中を叩くウソデ、ッテイウカサーと話に飽きるとすぐに会話を変えてくるウカサ。そして私、エリカ。もう正直はやく帰りたい。

エナイはごめんごめんと言うだけ。ごめんとか言う前にオシボリとってくれっていうの。私は自分のバッグまで手をのばしてハンカチをとった。スカートがシミになってしまう。最悪だ。同期会の飲み会も二年もしている。正直やめたい。決まって上司と顧客の悪口だ。アリエナイヤダアウソデショマアマアショウガナイッテイウカサーが延々繰り返される。私は愛想笑いだけしている。話に参加しないもんだからビールをこぼされるというのか。見せしめかこれは。じゃあなんで誘う、同期だからか。次はもう私に隠れて飲んでほしい。私に気を遣わなくていいから。ラインのグループも抜け出そうか。でもそれやったら多分エナイのアリエナイ百裂拳を喰らってしまう。めんどくさい。だったらクリーニング代払え、お前の方がアリエナイわエナイよ。

十時半もすぎるとラストオーダーですと店員が伝えてくる。そこでエナイはいつも最後のカシスオレンジを注文する。もうベロベロに酔っ払っているのに最後の最後まで浅ましく酒をなぜ飲もうとするのか。女子たちは水かお茶を頼む。ガナイは食べ残りを処理するがごとく食べていく。なんのアピールなのか。

いつも以上に酔っ払ったエナイは、だいたいここでおひらきにするのに今日だけはなぜか二次会にカラオケに行こうと言い出した。翌日はみんな休みだけどだからといって付き合う筋はない。私は酒の匂いの残るスカートがなにより気に入らなかったので先に帰ると言った。

全員同期だから給料もかわらないのでワリカンなんだけど、あきらかに男のほうが飲み食いしているし日々の生活は女のほうがお金かかる。安チェーン店のまっずい料理につまらない話を聞かされてさらにお金までとる。男はなんの気遣いもない脂っこいものや肉ばかりを注文してサラダを女にとりわけてもらおうとする。男は電子タバコを食事しながら吸っていた。これもなんのアピールなのか。ご飯を食べるのなら加熱式だろうが電子だろうが普通のタバコだろうがやめてほしい。なんでこんなのを二時間も見せつけられるのか。そのうえさらにカラオケに行くだって。私は歌いたくないしエナイの歌など聞きたくもない。カラオケ行ったとしてそれもワリカンか、ふざけるな。

私は自分の払い分だけテーブルに置いて店から出た。はやくひとりになりたい。読みかけの小説を家に置き忘れているのだ。私がひとり店を出て来てしまったから次回からは誘われないかもしれない。それも含めて今までなぜそうしなかったのかという反省をした。

 足音が後ろからしてくる。振り向くとエナイがふらつきながらも追いかけてきた。

「ちょっとエリカちゃん、冷たいんじゃない。カラオケ、行こうよお」

 おいおいなんでチャン付けしてくる。エナイはウカサに気があるんだろ、そっちを気にしなさいよ。なんでチャンを付けた。私はエナイが触ってきそうなので振り払った。体は触れなかったがよろけたエナイは繁華街で人が行き来する中、ガタイのいい男性にぶつかってしまった。その男性も酔っていたようで怒ってしまい、エナイを車道に突き飛ばしてしまった。

「なにすんだコラア」という怒号とあっという声が一瞬、エナイは自動車にはねられてしまった。鈍い音とブレーキの音、それからすぐに悲鳴の声。突き飛ばした男はダッシュで逃げていった。私もウカサもガナイも呆然と立ち尽くしていた。ウソデだけが騒いでいる。


 どうしたらいい、こういうとき、どうしたらいいの、こんなとき、そんなときは、踊るしかない。

 同期同期、同期が車にはねられドキドキ動悸私に動機はないの罪はないのだって私は触れてもいないわ同期のエナイはここにはいないわ、エナイははるか何メートルも先にいる。信号が赤から青にかわろうとしている意味もなく誰も信号に従うことなく止まっているの青なのにみんな進まない、みんなスマホで写真とってる動画とってる実況している絶叫しているユーチューバーセプテンバーオクトーバーオートクチュールカサブランカ。ドキドキ動悸が止まらない赤になっても止まらない赤の血が流れているの救急車ウーウーいってるの赤いランプがぐーるぐる回るの。あの赤いステップに私は踊る踊るのよ。ドキドキ同期のみんなどうしたの酔いも覚めたの私は踊るのよ、ドキドキどぎついこの状況この度胸、これが今日、運勢は凶、人生妥協、諸行無常。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る