第23話 主人と奉仕
一本の巨木のような偉丈夫の男が自分を見下ろしている。
けれどその視線は決して威圧的ではなく、むしろ優しげなものに見えた。
俺はまた夢を見ているのだと悟った。
目の前の彼は黒すけだ。最近はよく人間になった黒すけが出てくる夢を見るのだ。
「
黒すけが大きな手を伸ばして俺の頬を優しく撫でる。
彼の血管の浮き出た腕は俺のものよりずっと太くて、何だかドキドキとしてしまった。
「毎晩主の精気を吸い、我の身体は成りつつある」
彼がすっと俺の腰に手を回して、俺を抱き寄せる。
「もうすぐ主のことを直接守れる。そうなれば……」
彼の瞳が綺麗な紅色をしている。俺は魅入られたように二つの紅を見つめた。
「もう誰も寄せ付けることはない。我が愛しき女神よ」
彼は低い声で囁いた。
*
「ふわぁ~」
「エルフリート様、寝不足ですか?」
大きく欠伸をしたら、横合いからすぐさま声がかけられた。
あの亜麻色の髪の青年ことレオだ。今日の彼は長髪を一纏めに後ろで結んでいる。
彼は朝、出勤してきてから俺にべったり張り付きっぱなしだった。確かに今は新しい依頼がないから雑用をしてなさいと言ったのは俺だが……俺の世話ばかり焼いているのはいかがなものか。
「いや寝不足というより、最近変な夢をよく見てな」
「夢、ですか?」
「ああ、俺のこの剣が人間の姿になって出てくるという夢なんだが」
と、レオに抜き身の黒い剣を見せる。
黒すけは鞘に収まるのが嫌いらしいので、鞘は付けてない。
「そういえば前は持っていませんでしたよね。何処で手に入れたのですか?」
「実は……」
こうこうこういう経緯で武器屋からただで貰い受けたのだと説明した。
「呪いの剣ですか……流石エルフリート様」
いきさつを聞いたレオは目を見張る。
といっても俺は黒すけのことを呪いの剣だなんて思ったことはないのだが。
「でもそういうことなら、エルフリート様の眠気にはその呪剣が何か関係しているかもしれません。その剣について独自に調査してみることにします」
「そんな大げさな……」
きっとたまたまだろう。黒すけを手に入れたその晩から夢を見るようになった訳ではないし。
コンコン。
誰かが部屋の戸を叩いた。
「入れ」
ガチャリと扉を開けて入って来たのはラルフだった。
「邪魔するぜ」
「どうした、ラルフ」
ラルフの登場に、レオはしゃきりと背を正して俺の横に控える。
「こないだ庭を爆発させた新入りの話だが」
「テレンスがどうかしたのか?」
やっぱり一人でクエストを任せるのは不味かっただろうか。
実力があっても誰かと組ませるべきだったか。
瞬時に彼に任せた依頼のことを思い浮かべる。
「ああ。そのテレンスにダンジョンから湧き出してきて近くの森に棲み着いちまったオークの討伐を任せてただろ? オークが危険で森の中の別荘に近寄れないからって貴族の依頼だ」
「そうだな」
やっぱりその依頼をこなせなさそう、とか……?
「依頼人から不審に思う連絡があったから奴の様子を遠目から観察したんだが」
「うん」
「依頼された数よりも遥かに多い数のオークをもう討伐しているにも関わらず、まだオークを狩り続けている」
「……」
まさかの斜め上の方向性だった。
「もしかしたらアイツ、討伐しなきゃならない数をゼロ一個多く勘違いしてるんじゃね?」
「そんなまさか」
今回の依頼はオーク討伐二十頭がノルマだ。
それも相当な数だが、二十頭も倒せばオークの群れが一つ壊滅する。らしい。アルフィオがそう言ってた。
森に蔓延るオークの群れが一つでも減ってくれればいいと依頼人は依頼してきたのだ。
しかしその十倍となると二百頭……? 正気か?
そんな量の討伐をたった一人に任せる訳がないだろう。いくら彼がチートじみた実力を持ってると分かってるからって。
「今はオークを狩り尽くして他にオークを見つけられなくなったからか、必死で森の中を探し回ってる。ありゃホントにまだ依頼を達成できてないと思い込んでるぞ」
「……分かった。彼を連れ戻しに行ってくれ」
ほのかに頭痛を覚えながら、ラルフに頼んだのだった。
「エルフ……エル様。お茶が入りました」
レオがデスクの上に紅茶を置いてくれた。
ラルフは俺の正体なんて承知済みなんだけれど、そんなこと知らないレオは俺の本名を口にしないようにと気を遣ってくれたようだ。
「出発する前に一つ聞きたいんだが」
「うん、なんだ?」
依頼のことについての質問かな、と首を傾げる。
「十年前からずっと仕えてましたって顔で当たり前のようにお前の横にいるそいつは一体全体だれだ?」
と思いきや、ラルフが尋ねてきたのはレオに関することだった。
「ああ、ラルフは朝はいなかったからな。新しいギルドメンバーだ」
朝はギルドにいるメンバーにはレオのことを紹介したが、ラルフはその場にいなかった。
だから疑問に思ったのだろうと思った。
「いいや、そういうことじゃねえ。そいつはエルの何なんだってことを俺様は聞きてーんだ」
ラルフは変わったことを尋ねた。
俺にとっての何なのかって??
「えっと……昔からの知り合いだ。昨日久しぶりに再会して、ついでに此処で働くことになったんだ」
「ふうん、『昔からの知り合い』ねえ」
ラルフは目を眇めてレオの事を見つめた。
「エル様、この方は?」
今度はレオがラルフのことを尋ねる。
そうだ、レオにもラルフのことを紹介してあげなければ。
「彼はラルフ。俺にギルドマスターになるように薦めてくれた一人だ」
正確には彼が薦めてくれたんじゃなくて俺から立候補したんだったような気がするけど、細かいことはまあいいか。
「なるほど、創立メンバーの一人という訳ですか」
レオもラルフと視線を合わせると、にこりと会釈した。
ラルフもにっこりと目を細めて笑い返した。
良かった、どうやら仲良くできそうだ。
「じゃあ、行ってくるぜ」
「気を付けて」
「ああ」
踵を返すラルフに手を振ると、彼は八重歯を見せて笑いながら去ったのだった。
「今の方、随分とエルフリート様に気安かったですね」
ラルフが去ってから少しして、レオが彼に関する感想を漏らした。
「ああ、ラルフは誰にでもフレンドリーなんだ」
「へえ、そうなんですか」
レオは考え込むように遠い目をした後、思い出したように俺に向き直った。
「そういえばエルフリート様の剣の話をしていたんでしたね。調査をする為にもまずは現物を見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「うーん、そうしたいのは山々なんだけど……」
俺としてはレオに黒すけを手渡すことに抵抗はない。
だが……
「レオに直接触らせようとしたら、黒すけが暴れてしまうかもしれない」
黒すけ自身が気に食わないかもしれない可能性があった。
「黒すけ?」
「俺がコイツに付けた名だ」
「そ、そうですか……」
「黒すけは鞘も付けてないから、もし暴れたら怪我させてしまうだろう」
実際黒すけを他人に触らせたことはないが、人が近づいてきただけで触られると思ったのか黒すけが不機嫌に震えたことがある。実際に他人に触れさせようとしたらどんなことになるか予想がつかない。
「流石はエルフリート様の持つ武器といったところですか」
レオは妙な感想を漏らした。
「代わりに俺が持つから、黒すけが暴れても怪我しない範囲で観察してくれ」
俺は黒すけを慎重に横にして、目の高さまで持ち上げた。
「ありがとうございます」
レオは適度に距離を開けて黒すけを観察する。
黒すけは柄に一本のロープが巻き付いたような装飾があるだけで他に特徴はないシンプルな見た目だ。その縄のような出っ張りのおかげで握りやすくなっているので、それも装飾というよりは実用の為のものなのかもしれない。
「美しい漆黒ですね。材質からして特殊なものなのでしょうか。こうして見ると禍々しさよりも清さというか、風格のようなものを感じますね」
レオは見たままを素直に口にしているのか、黒すけのことを褒める言葉を口にしてくれた。
黒すけも心なしか嬉しそうだ。
「だろう? 黒すけが呪いの剣と呼ばれてただなんて俺には信じられない」
「なるほど。エルフリート様は呪いの気配を感じないのですね?」
「ああ」
呪いの気配というのが何のことかは分からないが、そんな不穏なものは感じたことがない。
「大体分かりました。ありがとうございます」
観察し終えたのか、彼が姿勢を正す。俺も黒すけをしまった。
「結果が出せるかは分かりませんが、出来る限りのことは調べてみようと思います」
「そんなに気負わなくてもいい」
レオはやる気満々なようだった。
もしかしたら彼は刀が好きなのかもしれない。
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