第2話 その魔物の名はグレートベア

 野を越え山越え谷を越え。


「く、くそっ、キツイ……ッ!」


 別にこの身体王さまの体力がないわけではない。

 むしろ元の世界の俺よりもよっぽど足腰が強いと思う。

 でもこう、なんだ。

 山歩きのコツとかなんも知らないし、長い距離をひたすら一人で歩かなきゃいけない精神的ストレスもある。

 そういったことに俺の体力は徐々に奪われていった。


「そろそろ休憩するか……」


 だいぶ歩いてきたと思う。

 少しくらい休んでも兵士たちに追い付かれることはないだろう。

 あの亜麻色の髪の青年の足止めしてくれるって言ってたし。


「はあ……」


 息を吐きながら理学式魔導書デバイスに目を落とす。


 さっき見えていた街はこの国の首都のようだ。

 今はそこから離れるようにして西を目指している。

 陸続きの隣国へと歩いて逃れる為だ。


 地図を見ながらなるべく体力を使わずにかつ速く移動できるルートはどれだろうかと思案していたその時だった。

 ガサリと茂みが揺れた。


 な、なんだ?

 兵士たちが追ってきたのか?

 そんな、結構逃げてきたと思ったのに……!


 俺が慌てて立ち上がるのと同時に、茂みの中から黒い影が飛び出してきた!

 現れたのは――――野性のクマだった。

 いや、首の周りにたてがみがあるからライオンかもしれない。なんだこの生き物。


 ともかく別に兵士が追ってきた訳じゃなかったんだ。

 なーんだ、良かった。


「ぐぉおおおおっ!!」


 何ほっと胸を撫で下ろしてんだ!

 と言わんばかりにクマライオン?が咆哮する。


「うわ、や、やべえっ!」


 逃げるか!?

 でも確かこういう時って背中を向けて逃げるとヤバいんだよな?

 目を逸らさないように、ちょっとずつちょっとずつ後退して……


「ぐがぁっ!」


 やべー向かってきた!

 一巻の終わり! 死! さよならまた来世!


 死に直面した俺の本能は、身体を勝手に動かす。

 ただしそれは背中を向けて逃げるという後ろ向きなものではなく――――腰から剣を抜き放ったのだ。


 え、剣なんか構えてどうするんだ俺。

 意識は戸惑っているものの、危機感に煽られて咄嗟に地面を蹴る。


 クマライオンの左フックをステップで避ける。

 獣のふさふさとした横っ腹が目の前にある。

 「刺せ!」と頭の中で声がした気がした。


 俺の腕の血管を血液の代わりに何かが巡っている。

 魔力だ。剣を己の身体の延長と捉え、そこから魔力を放出する――――ッ!


「はぁ――――ッ!」


 ザクッ。


 俺の剣はクマライオンの腹に深々と突き刺さった。

 しかも刺さる時黒い波動みたいなのが出てた。

 どう見ても闇属性のエフェクトじゃん。俺、闇魔法の使い手だったの?


 剣を抜くと、クマライオンの血がモロに俺の身体にかかる。

 剣もべったりと血に塗れていた。


「はあ……吃驚した」


 気が抜けて、その場に座り込む。


 ぼんやりと今起こったことを頭の中で整理する。

 野生の巨大な動物が出てきて、それを俺が剣で殺した。

 クマライオンが即死したことから考えるに、きっと一撃で心臓を貫いたのだろう。


 まぐれ……とは思えない。

 俺が、正確にはエルフリート様とか呼ばれていたこの王様が野獣くらい一発で倒せるくらい強いということだろう。

 良かった。強いなら何とかして食い扶持を稼ぐ方法もあるだろう。

 もう工場勤務のような底辺ワーカーにはなりたくない。

 だって俺が異世界転生したのはもしかしたら……いや、これ以上は考えるのはよそう。


 とにかく今は逃げて、生き残らなければ。


 *


 幾日かかけて歩いた末に小さな村に辿り着いた。

 こんな寂れた村を兵士たちは探したりしないだろう。

 体力の限界だった俺はそこの村人に泊めてくれないかと頼んだ。


 もし亜麻色の長髪の青年が来たら、それは俺の連れだ。

 それだけ言って俺は藁で出来たベッドの上に倒れ込んだ。

 夢も見ないほど昏々こんこんと深く眠った。


 俺はほぼ丸一日眠っていたようだ。


 あの青年は村には来なかった。

 まだ追い付いてないのだろうか。

 あるいは他のルートを選んだのだろうか。

 もしかしたら、死んでしまったのかもしれない。


 あの時去っていく彼を止めるべきだったのかも。

 ちくりと罪悪感が胸を刺すが、俺には『死にたくない』以外の生きる理由ができた。

 命がけで俺を逃がしてくれた名も知らぬ彼の為にも、俺は生き残らなければならない。


 ともかく、泊めてもらったのだから村の人に何か礼ができないだろうか。


 自分が持っているものを探ってみると、服の内側に小さな革袋が取り付けられているのが見つかった。

 中には金貨や指輪が雑に入っていた。

 王城から逃げ出す時に路銀として持ち出したのだろう。

 このまま指輪と金貨を一緒に入れておいたら指輪に傷がついてしまいそうだが、他にしまっておく場所もない。仕方ないか。


 この世界の物価は分からないが、一泊させてもらった礼に金貨では多すぎるのではないだろうか。

 考えた末に、一泊させてもらったお礼+旅に必要なものを購入する代金として金貨一枚渡すことにした。


 まず、このいかにも貴族然とした格好を隠すための古びた外套を一枚。

 角を隠すものがスカーフだけでは心もとないので、帽子を一つ。

 何日か分の保存食。水を持ち運ぶための水筒。

 それらを入れておくためのずた袋。


 等々を村人から購入した。


 村の人からは「それでも金貨一枚は多すぎます」と恐縮されたが、俺も金はそれしか持ってないので「お願いだから売ってくれないか」と頼み込んだ。無事買えた。やったぜ。

 「お釣りには到底足りませんが」と数枚の銅貨と銀貨ももらえた。やったー。


 ちなみに村の人たちには「旅の途中で盗賊に襲われ、荷物は奪われお供はみんな殺された。これから歩いて隣国まで帰るところだ」と説明した。まあ服装からして貴人であることは隠せないから。

 彼らは疑う様子もなく信じてくれて、しかも隣国まで行く定期馬車便に乗れる町を教えてくれた。


 定期馬車便! そういうのもあるのか!

 地図には町の場所や名前は表示されても、どんな交通手段があるか分からないから助かった。

 もしかしたら亜麻色の髪の青年がこの村に寄らなかったのも、その町を真っ直ぐ目指したからかもしれない。


「ありがとう、本当にありがとう!」


 くすんだ色の帽子と外套を装備し、冴えない旅人姿となった俺は見送りしてくれる村人たちに手を振って別れを告げた。あの青年にもらったスカーフもちゃんと首に巻いている。


 誰も俺が"強欲の黒山羊"と呼ばれた暴君であるなどとは気付きもしなかった。

 自分の国の王様でも、顔を見たことのある人なんてほとんどいないのだろう。

 強いて言えば「お貴族様にしては平民の我々に対してえらく低姿勢だ。きっと盗賊に襲われたのが相当応えているのだろう、可哀想に」とヒソヒソ話されてた程度だ。頭の角もバレなかったしな。


 この調子で自分の地位を隠し通していこう。

 大丈夫、庶民ムーブならお手の物だ。息をするようにできる。


 俺はこの村での経験に自信を得て、町を目指して歩き出したのだった。

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