19.選択
自然と目が覚める。目覚しが鳴った記憶はない。
窓から射し込む光が眩しくて、まともに目を開けられない。冴えない頭のままとりあえずスマホを探そうと、方向も分からないまま手を伸ばした。
「起きた?」
スマホを掴み取る前に誰かの手が樹の手を握る。
――シャロ?
確か一緒にいたはず……。でも彼女じゃない。これは、
「瑠衣さん」
ぼやける視界でも分かる。夢なんだろうか。ベッドの縁になぜか瑠衣が座っている。ジーパンにTシャツだなんて、まるで休みの日のようだ。
――何で? え、あれ。夢?
「お寝坊さんね」
その一言で勢いよく身体を起こし、時間を確認しようと周辺を見回す。
「もうお昼前よ」
「嘘だ……」
「嘘じゃないわ」
――本当だ。嘘じゃない……。
見せられた時計は十一時四十分過ぎを指している。
「え、じゃあなんで瑠衣さんもここに……?」
「あたしも有給有り余っているから」
「いやいや、そうじゃなくて。えっと、なんで?」
「あなたが次の休みいつ?って聞いてくるから、早速次の休み取ってみただけよ」
「シャロか……」
そう言えばシャーロットが睡眠針を打ってきたせいで眠りに落ちたのだった。
「昨日なにかあったの?」
「シャロが泊まりに来ていただけでなんもないですよ」
「あたしからしたらそれだけでも羨ましい事案だけれど。それよりも前になにかあったんじゃないの?」
「……」
「じゃないとこんなメッセージ送ってこないでしょう」
精神的に疲弊している時にスマホをいじるのはよくないなと学習した。
「イチ」
「なんですか?」
「あたしとシよう」
「……はい?」
――今この人は何て言った?
「セックスしよう。あたしと」
「いやいやいや。どうしたんですか、いきなり。と言うか何で今更」
それでも瑠衣は、今目の前にある手を触れる以上のことをしようとしてこない。
「それであたしと付き合って」
「順番おかしくないですか?」
「だって、そうでもしないとちゃんとあたしのことを見てはくれないでしょう」
――嫌だ。
こんなにも好きな瑠衣と番になれなかったら何を糧に生きていけばいいのか分からなくなる。そんな絶望だけは感じたくない。
「……すぐ番になれなくていい。ゆっくり愛し合って一緒になるでもいいんじゃない?」
手に少し力が込められた。
「番になれるまではあたしが守るから」
「守るって……そんな簡単に言わないでください。お互い多忙じゃないですか。働いている場所だって違うし、会えない時間の方が多いんですよ」
「イチのエロさが出なくなるまで毎日でもするよ」
「それ私が保たないです」
言っていることがめちゃくちゃだ。バカバカしくて、目すら合わせることもできない。
「イチが今でも嫌だって言うなら無理強いはしないけど、あたしはもう毎日イチを心配するのは嫌」
無理矢理目線を合わせるように、樹の頬を抑えて向き直させてくる。熱い手だ。全てを吸い込むような黒目に情けない自分が映っている。
「イチはあたしのこと信じられない?」
「その質問はずるいですよ……」
「どうなの?」
タイミングが悪過ぎる。こんな人恋しい時に好きな人が目の前にいる。
「あたしは側にいるから」
――今までお互い我慢していたのに。違うか。私が逃げているのに付き合ってくれていただけか。こんなやつに付き合わないでもっと可愛くて素直な、オメガじゃない子といた方が幸せなのに。
瑠衣の幸せを考えるなら、きっとこの選択は間違っている。
「責任ちゃんと取ってくれますか?」
「もちろん」
「番になれなくても、私になにかあっても一緒にいてくれるんですか?」
「なにかないようにするけど、まぁ例え話どんなことあっても側にいるよ」
この人に裏切られたら、この人にすら裏切られたらいっそのこと全ての諦めがつくかもしれない。
「瑠衣さん」
「まだなにかあるの?」
「好きです」
「知っているよ」
年齢よりも幼い笑みを浮かべて、
「あたしだってイチのこと好きだからね」
幸せな心地の中、連続で鳴る通知音で目が覚めた。
――何……。
今更隠す必要もないけど、なんだか今日は気恥ずかしくて床に落ちてきたシャツだけ羽織ってからスマホを手に取った。
期待を裏切らずシャーロットからだ。昼休みの時間ではないのに堂々と上司に連絡先をしてくるとは、よほど不真面目なのか、もしくは緊急事態か。
「どうしたの? は? 事故るかもしれない?」
一緒に寝落ちしていた瑠衣も目を開ける。
「イチ? なに、仕事?」
「はい。なんか……仕事行かなきゃ駄目そうで」
「今から?」
「トラブっちゃってるみたいなんですよ」
「イチは真面目だねぇ」
「私みたいなのは、真面目に頑張るくらいしか取り柄ないのですよ」
「またそんな暗いこと言って」
仕事に行くと言っているのにグシャグシャと髪を乱してくる。
「もうやめてください!」
「いいじゃん。最初から乱れてたよ」
「もう!!」
髪を洗って乾かす時間はないので、首から下のみシャワーを浴び、あっという間に着替えて、最後に軽く化粧をして髪を梳かせばいつも通り。
「帰ってきたらまた続きね」
「瑠衣さんも明日仕事でしょ」
後ろ髪を引かれる気持ちで――実際に後ろ髪を引かれながら、玄関のドアノブに手をかけた。
「瑠衣さん、離してください」
「はいはい。いってらっしゃい」
上からまだ熱さを保ったままのキスが降ってきた。
「いってらっしゃいのキスって、恋人みたいだね」
「……みたいじゃないですけど」
「!! 顔真っ赤よ」
「いってきます!」
――なんだこれ。めちゃくちゃ幸せだ。……そっか、これが幸せか。
階段を数段踏み外して手の平を少し切ったけど、それでもくそったれとか思わない。幸せの偉大さを身に沁みて知った。
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