16.帰り

 このご時世、一人で生きていくことはそんなに難しいことではない。特にアルファであれば、生活に困ることはほとんどない。なんでも要領よくこなし、また身に危険を及ぼすリスクも少なくなる――番のいないオメガは常に危険を孕んだ状況で生活を送っている。

「またこの時間……」

 モニター右下に表示される時間を見てうんざりする。何故こんなにも働いているのに労務省からなにも言われないのだろうか。申告すれば状況は変わるのだろうか。

――でもせっかく入れた会社だから……、はぁ……、人増えないかな。

 酔っ払いや素行のよろしくない人間が多い夜は、あまり好ましくない。これ以上遅くならない内に帰りたい。

 先程摂取したカフェインも効いていない。寝不足なのか頭がぼーっとする。

とにかくまず目を擦りたい。コンタクトを外したいけれど、このタイミングはよくない。なんて言ったって、

「樹さん、体調悪いんですか?」

 格好の餌になりそうな樹の隣には、懲りずにシャーロットがいるからだ。

「あのね、何度も何度も言っていると思うんだけど、あなたまでこの時間に残らなくていいから。お願いだから早く帰ってくれる?」

「レディを送るのは紳士の嗜みってやつですよ」

「あなた紳士だったの」

「紳士にもなれます」

「はいはい」

「このままホテル行きます?」

「行かない」

「ちぇー」

 いい加減諦めて他を探せばいいのにと思うが、シャーロットの気持ちは変わらないようだ。もはやこちらが申し訳ない気持ちになりつつある。

 頼りないボディーガードを引き連れて星が見えないくせに明るい外に出る。夜でも寒いと感じない季節になった。冷房で冷えた身体にはちょうどいい。

「樹さんっていつも帰り遅いじゃないですか」

「そうね」

「襲われたことないんですか」

「シャロってデリカシーないよね。ほんっと」

「だって樹さん可愛いし。すっごくいい匂いするし」

「襲われたことあるよ」

「えぇ!?」

「あなたにね」

「襲ってないです!」

「どの口が言うんだか……」

 駅までの道のりは彼女といるとあっという間だ。シャーロットが何を話していたかなんて一ミリも覚えてはいないが、退屈はしていない。

――昔は瑠衣さんと一緒に帰ったなぁ。

 異動するなら一緒がよかった。今でこそがむしゃらに仕事をしているけれど、きっと配属先に瑠衣がいなければ樹は逃げ出していた。

「一人で大丈夫ですか?」

「なに? 今日はやけに心配してくるね」

「なんだか野生の勘が働いているんですよ」

 指を触角に見立てて変なポーズをしてくる。

「誘い文句の練習した方がいいんじゃない」

 溜め息を漏らしつつ、シャーロットとは反対方向のホームに降りる。

 でも階段下で酔っ払った会社員が数人で騒いでいるのが見え、

――ついてない。

 本当についてない。タクシーで帰ろうか、どうしようかと悩んでいる間に少し年上の男性と目が合った。

「あれ、おねーさん今帰りですか? 遅くまでお疲れさまっす!」

 男性が口角を上げて近づいてくる。

 二度目の溜め息。

「樹さん」

 階段の上に置いてきた手がしっかりと樹の腕を掴んだ。

「一緒に帰りましょう」

「……ごめん」


――何で私がこんな目に……。一人で帰れないとか小学生じゃないんだから。

 シャワーの音を聞きながらソファの上で膝を抱える。

【瑠衣さん、今度の休みはいつですか?】

 気分が落ちた時に好きな人へ連絡するのはよくないことだと思うが、気づいた時には送信ボタンを押していた。

 まだ仕事でもしているのか、それとも帰って早々と寝ているのか、既読はつかない。

「どうしたんですか、そんなにスマホ握りしめて。握りしめたいならわたしの手をお貸しします」

「もう出てきたの」

 シャワーを浴びるのも面倒くさいが、明日の朝浴びるのはもっと面倒くさい。

「先に寝ていていいからね。ドライヤーはそこの棚にあるから勝手に使って。コロコロはそこね」

「えっ、シないんですか」

「しません」

 もう惨めな思いをしたくない。他人に依存して、現実見せられて、疲れてしまう。

「せめて添い寝を」

「しません」

 送ってもらったら終電がなくなってしまい、仕方なく泊めるだけなのに図々しい。

 諦めてスマホを置き、シャワーを浴びる決意を固める。

「お背中を、」

「遠慮しときます」

 シャーロットとの距離感は今後しっかり見極めていかないといけない。家に連れてくることもないように。

――会社の隣にでも引っ越そうかなぁ……。

 そうすれば、と思いかけて思考を止めた。

 熱めの温度に設定をし直す。

――瑠衣さんも温度低めなんだっけ。

 上げた温度を元に戻して頭を冷やすことにした。


「まだ起きていたの?」

 ゆっくり頭を冷やし、髪も乾かし終え、もう寝るだけというところでシャーロットの気配がまだしていることに気づく。大人しく寝るような子ではないと分かっていたけど、たまにはこういうところで気を使ってほしい

「樹さんの気持ち変わるかな~って思いまして」

「……」

 ベッドの縁に腰をかけている彼女のご希望に応えるように、

「そんなにしたいならいいよ」

「えっ、なんの心境の変化です?」

「だってもう寝てるし。今更かなって」

 肉体的にも精神的にも、きっと今日はいつもより疲れている。

「うーん。今の樹さんとはシたくないかも」

「なにそれ」

 ソファで寝ようと思っていたけど、ベッドの誘惑には勝てなかった。

「もっとそっち行って」

 大きな身体を壁の方向へ押す。動かなかった。

「え、一緒に寝てくれるんですか?」

「同じベッドにいるだけよ」

「……なんだか松戸さんの気持ち分かるかも」

「なにそれ」

「なんでもないです。わたしは面倒くさい関係とか嫌なので」

――や、あなた自身が面倒でしょ。

 半分空いたベッドに身体を倒す。柔らかいマットが無防備な樹に睡魔をつれてくる。

「樹さん」

「なに? 私寝たいんだけど」

 珍しくシャーロットの手が触れてこない。

「樹さんって人生を幸せって思ったことありますか」

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