12.嘘

 相変わらず目覚めの悪い朝だった。薬の副作用で頭がぐらぐらする。昨晩より広くなったベッドからふらふらと立ち上がり、リビングまで来るといつもは空っぽのテーブルに置き手紙とコンビニの菓子パンが置いてあった。

【無理をしないこと】

 見た目より少しだけ子供っぽい字――瑠衣の字だ。

 字を一度人差し指でなぞってから洗面所で顔を洗う。化粧水をつけるところまでは頑張れたが、保湿液は気力が沸かずに諦めた。少しだけ乾く肌を気にしながら、菓子パンをかじる。薬を飲むためにも胃にものを入れたい。

 体調は昨日に比べればとても楽になった。明日には日常生活にも戻れるだろう。

 錠剤タイプの薬を口に放り込みながら、いつまでもこんな薬漬けの生活をしなければならないのかと悩む。副作用はほぼないと言われてはいるが、薬の開発が進んだのもここ十年くらいの話。自分がモルモットのようにも感じられて、笑いさえ込み上げてきそうだ。

「……」

 ズキッと胃のあたりが痛む。よくないことを考え過ぎたのかもしれない。

 もしくはフラッシュバックのように、起きてからというもの必死に我慢をして、申し訳ないと樹を覗き込んでくる昨晩の彼女の顔がしきりに思い出されているせいか。

「あんな顔ずるい……」

 彼女が辛い思いをしなくていい日がきてくれるのだろうか。自分が薬漬けにならなくていい日がくるのだろうか。

 胸が苦しくなって、いつの間にか体温も上がっている。もう一度寝室に戻って眠りにつこうと思ったけれど、瑠衣の残り香で逆効果だった。身体は風邪をこじらせた時のように重たくてだるいのに、子宮がきゅぅっとなる感覚が止まらない。

 結局欲望に従うしかない自分が情けなくて、哀れだ。

――シャワー……面倒くさいな。あとでいいか。

 指先と下だけティッシュで拭き取って、果てるように二度目の眠りについた。


 低い小刻みな、あまり愉快ではない音が鳴り響いている。初めは無視できそうだと思い放っておいたが、永遠と鳴り続けるので痺れを切らして、バイブレーションをひたすら繰り返しているスマホを取った。

「もしもし」

 相手によって声のトーンをあからさまに変えるのは社会人としてはよくないだろうが、彼女相手だとどうしても素が出やすい。

『樹さん! あ、お疲れ様です!』

 眠っていただけで特に何もしていなはずなのに、どっと疲れが出てきた。

「今仕事中じゃ、」

『昼休みです!』

 目覚まし時計に目をやる。食事処の繁忙が終わるくらいの時間。

「何? まさかなんか事故ったの?」

『違いますよ。樹さんから返信ないし、心配だったんで連絡していたんです。大丈夫ですか? 熱ですか? それとも』

「私は大丈夫だから。明日には行くし」

『本当ですか! でも無理はしないでくださいね。あ、でもでも樹さんが来ないとわたしが寂し死ぬんで、やっぱり来て下さい』

――有給有り余っているし休みたいな。

『わたし看病に行きましょうか! おかゆくらい作れますよ!』

 セールスマンより図々しく、後輩とは思えないくらい馴れ馴れしく、シャーロットは一人楽しげに話し続ける。

「明日行くんだから来なくていいよ」

 水を入れようとゆっくりベッドから立ち上がる。

『今日会いたいんです』

「だめ」

『えぇ、何でですか~』

「風邪うつったら困るでしょ」

『……』

 沈黙の中、水が注がれる音だけが部屋に響いた。

『本当に風邪なんですか?』

 今まで子供のようにはしゃいでいた声が、冷蔵庫に入れたように冷たくなった。

「……もちろん」

 一度出かかった言葉、一瞬呼び起こされた瑠衣の言葉、全部ゴミ箱に捨てて、

「もう寝るから切るよ」

 樹の言葉に、シャーロットは「おやすみなさい」だけを返して通話は終わった。

――甘えない。嫌だ、こんなの絶対嫌だ。

 上がった体温を下げようと、コップの中身を全部飲んでから、昨日から何度目かのシャワーを浴びることにした。

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