5.我慢
樹が自分の体質を知った――証明されたのは高校に上がる前だったが、もう少し前からそうだろなとは勘づいていた。自分に才能がなかったとは認めたくないが、両親が共にオメガであり、思春期に入る前から、周囲の人を悪い意味で惹き付けていたから。
両親の仲は悪くなかったように思う。
むしろオメガ同士で結婚をしたのだから、愛はあったのだと思いたい。
しかし、愛があっても体質には敵わなかったらしい。結果的に両親共にアルファと結ばれることとなり、家を出て行ってしまった。よくある話だ。
検査の結果、自分の体質が判明した時――まだ母親がいた時――絶対に体質を隠すように言われた。それでも一度中学で周囲に知られてしまい苦い思いをした。それからはそれまで以上に気をつけてきたが、高校に入学して、ついに本格的に思春期を迎えてからは辛かった。自分の体質はオメガの中でも重たい方で、三ヶ月に一度の発情期以外も気をつけなくてはいけないことが多く、学生生活を楽しんだ思い出がない。
「ごめんね」
親からは何度も謝られ、母が再婚することになった時、改めて自分の立場を理解した。悔しくて、自分に腹が立った。別にアルファやベータが羨ましいわけではないが、なぜ自分たちばかり苦労しなくてはならないのか。
いくら自分でどうにかしようとしたって、他人の欲望で全て台無しになる。そんな理不尽がなぜ自分たちの元にだけ訪れるのか。
「この後どうする?」
少量のアルコールと多量の幸せで火照った身体に夜風が気持ちいい。
人混みを避けるような隅っこで、瑠衣が視線を空の方にずらしながら聞く。
「お邪魔してもいいってことですか?」
「別にいいよ」
ぎゅっと拳を作って開いてから、道路に目をやり、タクシーを止める。
瑠衣の家は都心にあるマンションの一室で、終電を逃した時に何度かお世話になっている。広さは1DK。水回りから寝室まで綺麗に掃除がされているが、キッチンに限っては使っていないから汚れていないだけだ。
「また冷蔵庫の中身、アルコールしかないですね」
「イチだって似たようなものでしょ」
「私は仕事がなければきちんと料理しますから」
樹は「確か……」と呟きながら、クローゼットを漁る。
「あった、あった。この前泊めてもらった時に、着替え置いていったんですよね。洗濯ありがとうございます」
「どういたしまして」
瑠衣の口が裂けても、洗濯する前に匂いを嗅いでいたとは言えなかった。
華奢な女性が浴びているシャワーの音を聞きながら、彼女用の寝巻きを脱衣場に置いておく。そのまま洗面で化粧を落とし、冷たい水で顔を洗う。
聞こえてくる水の音も、ボディーソープの匂いも、いつもと変わらないのにドキドキしてよくない。
「あーもう」
――かっこつけて呼んどいて、かっこ悪い。
「あれ? まだ飲んでいるんですか?」
樹が髪の水気をタオルで吸い取りながらリビングに戻ると、瑠衣がオシャレなグラスでウイスキーを煽っていた。
「まぁ、ちょっと。あたしも浴びてくるから。ドライヤーはそこね」
「ありがとうございます」
瑠衣が風呂場に消えていくのを見計らってから、本日二本目の注射を打つ。そして更に錠剤タイプの薬も服用した。ついでに大きく深呼吸。
――好きなのに、辛い。
いつも借りるぶかぶかの寝巻き。袖を捲ってからドライヤーで髪を乾かしていく。瑠衣が戻ってくるまでソファに寝転がりながら、シャーロットからのメッセージを開いた。
スタンプがたくさん着ていたが、内容をまとめると好きです、だ。既読をつけてしまったからには、なにかしら返さないと後々面倒くさい。いっそのことブロックしてしまいたい。
「明日返すんじゃないの?」
「瑠衣さんがのんびりしているうちに日付変わりましたよ?」
瑠衣は時計を見て、ほんとだと呟いた。
「遅くなっちゃったね。先に寝てていいよ」
「えー」
「別になにかするわけじゃないんだから」
「……返事したら、布団に入りますよ」
視線をスマホに戻す。散々迷った挙げ句、『×』と掲げている猫のスタンプを一つだけ返した。
「乾かし終わりました?」
「うん」
ヘアブラシをテーブルに置いた瑠衣は、ソファに寝転がる後輩を横目で見る。
「先に寝るね」
「ちょ、私も寝ますから」
追いかけるようにして同じベッドに潜り込んだ。
「……」
「?」
「あっち向いて」
言われた通りに背を向ける。いつもの態勢。細長い腕に抱かれ、また柔らかい胸が樹の薄い背中に当たる。
多少慣れてきたと思っていたが、樹の心拍数は上がっていく。胸が締め付けられる。幸せなはずなのに、なぜこんなにも苦しいのか。
無意識に胸を押さえようとして動く――
「あ、あの……」
「……」
「なんか当たって……ますよね」
「ごめん」
もはや諦めたのか力強く樹を抱き締める。樹の腰に更に硬くなったものが当たる。
「好きな人といたら、ね。やりたくなるもんなんだよ」
「……」
「でもやらないから。安心して」
「瑠衣さん」
「まだダメだよ」
「私のせいでごめんなさい」
「違うよ。あたしがイチのこと好きだから、こうなるの」
「……手か口でしましょうか」
腕の中で身体を回して、瑠衣と目を合わせる。
しかし瑠衣は首を横に降って、目の前に現れた小さな口にキスをした。
「キスしたい」
「はい」
生温かい舌が絡み合う。口の端から声と唾液が漏れる。唾を飲み込もうとして喉が動き、その度に瑠衣が強く樹を求めようとする。
息が切れるまで何度も続けた後、樹の頬に軽く口づけをしてから瑠衣が反対側を向いた。
「目を瞑って、耳塞いでてくれる?」
見られないと分かっていても、言われた通りにする。塞いだ耳の隙間からティッシュを取る音が聞こえ、瑠衣が少し震えたのを感じた。
「ありがと」
もう一度樹に手を回し、樹も愛する人に埋もれるように身を預けた。
「瑠衣さん、おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
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