3.楽になる方法

 シャーロットのことはそれなりに評価をしている。職務態度にいささか問題はあるものの、覚えが早くミスも少ない。主体的に動ける上に、周りのこともよく見えている。コミュニケーション能力の高さが仇となり、しつこいところもあるが、人としてきちんとした後輩だ。

 だから彼女が言わないと言えば言わないのは分かっていたので、身の上の心配はしていなかった。

 しかし想い人がオメガだと判明したのにも関わらず、以前よりもスキンシップが激しくなるなんて、誰か想像しただろうか。

「樹さん、樹さん♪」

 仕事中でもお構いなしに下の名前で呼んでくるのは今まで通りだが、ボディタッチがやけに多い。呼ぶ時には必ず腕や肩やらを触ってくる。

 後ろから呼んでくる時は肩を、横から来る時は腕を、真正面から来る時は両手を上げて抱きつこうとすらしてくる。

――あれ、もしかしてセクハラで訴えられる?

 樹がオメガでなければ、それも有効な手段だったかもしれない。

「だからちゃんと名字で呼びなさいって言っているでしょ。毎度私の話聞いているの?」

「樹さんがわたしのことをシャーロットって呼んでくれるなら、仕事中は我慢します」

「取引できる立場じゃないでしょ」

 呆れつつ、彼女が持ってきた書類を受け取る。表紙に『よろしくお願いします(はぁと)』なんて付箋が貼ってあるものだから、一瞬でゴミ箱に放った。

「何でそんなに頑ななんですか」

「うるさい。いいから仕事に戻りなさい」

「じゃあ、わたし仕事頑張って早く終わらせるんで、今日飲みに行きましょうね!」

 樹の返事を聞かずにシャーロットは自席に戻ってしまう。

――あなたが仕事終わっても、私が終わらないでしょ……。

 机上に積み上がる書類の束を見て、樹は深い溜め息をついた。


 真面目な樹は行く・行かないに関わらずアクセル前回で取り組んだものの、やはり定時を過ぎても樹の仕事は終わらない。

 大分人が減ってから、

「なにか手伝えるものあります?」

とシャーロットがひょっこりやってきた。

「ない」

「嘘だー」

「嘘じゃなかったら周りの人に振っているから」

 しっしっとあしらう。

「ロッカー室で待っていますから」

「いや帰ってよ」

 言っても無駄なのは嫌々ながら分かっていたため、樹は仕方なく明日――休日の出勤手続きをしてから退社ボタンを押す。

「あれ? 早くないですか?」

「深夜まで待たれても困るからね」

「わたしのために来てくれるなんて素敵ですね♪」

「違うわ。私のためだわ」

「そんなにわたしとご飯行きたかったんですか!」

「違う!」

「ちなみにわたしは深夜コースでも全然平気なんで、仕事片付けちゃってもいいですよ」

「戸締まりするから早く出てちょうだい」


 華の金曜日ということもあり、どこのお店も混んでいる。

「混んでますねー」

「そうね。帰ろっか」

「何でですか!?」

「だって混んでいるから……」

 たとえお店に入れたとしても人混みにはあまりいたくない。ただでさえ街中の賑わいも辛いのだ。

「仕方ないか」

 少し値段は高くなるが、個室もある静かなバーにシャーロットを連れていくことにした。

「わぁー、お洒落なところ」

 シャーロットは少し緊張しているのか、落ち着きがない。

「何にする?」

「えっと、樹さんと同じやつで」

「じゃあ烏龍茶ね」

「メニュー見ます」

 彼女がメニューとにらめっこしている間に樹はポケットから葉巻を取り出す。見た目は市販のものと変わらないが、これも薬でフェロモンを抑制する効能がある。

「決めた?」

「いちおー」

「なにそれ」

「なんかカタカナばかりで難しくって」

「あなたが言うと違和感しかないよ」

「英語とは違いますし」

「ちなみにどれにしたの?」

「このろんぐあいらんどあいすてぃーっていうのにしようかなって。紅茶っぽいし」

「……」

 酔ったシャーロットに襲われたくないので、カシスオレンジを代わりに注文し、他にもお腹に溜まりそうな食事をいくつか注文した。

 樹も本来お酒が好きなので、メニューが目に入る度に早く一人になりたいと思う。

――家に帰ったらワイン開けよう。

 お皿が運ばれてくるたびに、「可愛い!」「綺麗!」と声を上げて、シャーロットはたくさん写真を撮る。

「SNS?」

「これは樹さんとの思い出日記に貼り付けます」

「待って。なにそれ」

「樹さん、好きな人って誰ですか?」

「唐突に何?」

「だって好きな人の好きな人って気になるじゃないですか」

「さぁね」

「むぅ。ケチですね」

 あまり残念そうな感じはしてこない。

 樹が喋らなくてもシャーロットがひたすらと口を動かしてくれるので、話題の大方を適当にあしらい、一人でお洒落な料理をつまんでいく。

「これ美味しい~。豚肉ですよね? わたしにも作れないかな~」

「料理するの?」

「母親の手伝いでよくしているんですよ」

「実家暮らしなんだっけ」

「そうなんです。パパとママといる方が楽しいんで」

「仲良いんだね」

――羨ましいとかじゃないけど、あるんだな、そうゆう家庭って。

 グラスの烏龍茶が空いたので、ジンジャーエールを注文した。ここのは辛口で飲みやすい。

「樹さんがお酒飲まないのって、アルコールが苦手だからなんですか?」

「……別に。理由の分かっていること聞かないでくれるかな」

 シャーロットの悪い癖は、聡明な頭で分かっていることを悪気なく聞いてくるところだ。

「やっぱりオメガだからですか?」

 遠慮なく突っ込んでくる後輩に、冷たい視線を向ける。

「わたしは樹さんがオメガでも気にしないっていうか、樹さんのこと好きだし、辛い思いまでして我慢してほしくないんです」

「我慢なんてしてないよ」

 高ぶる感情を抑えるため、気まずい空気を紛らわすため、また薬用の葉巻に火をつける。

「……最低なことでもいいんです。わたしを使ってください。都合のいい女でいいですから!」

「年下のくせに最低なこと言わない」

 おしぼりをシャーロットの顔面に投げつけ、会計をすぐに済ませて外へ出る。金曜日の夜は長く、街はまだ明るい。

 胸が苦しい。彼女がいなくなってからは上手く我慢をしてきたはずなのに。

 人から向けられる好意は、それもストレートな好意は、毒だ。

「樹さん!!!」

 荷物をまとめたシャーロットが追いかけてきた。ナンパの声を全て無視して、樹の腕を掴み、人混みを避けるように引っ張っていく。

「佐倉さん! 佐倉!」

 呼び掛けても長身の部下は振り替えることなく、華奢な身体をさらっていく。

「シャーロット!」

 仕方なく下の名前を呼ぶと、嬉しそうな顔をしてシャーロットはいきなり振り返り、人が往来する中で抱きついてきた。

「やっと呼んでくれましたね♪」

「離れて……」

「嫌です」

「……」

「樹さん」

 耳元に吐息がかかる。

「楽になりましょうよ」


 期待をしていたのかもしれない。

 そして期待通り、身体は嘘のように楽になった。

 しかし、心は晴れることなく、罪悪感に苛まれる。

 隣で一気に寄り添いながら寝息を立てているシャーロットは、泣きながら喜んではいたが、樹は泣きも喜びもできない。

「……樹さん……」

 寝言で名前を呼ばれる。

 彼女がどんなに樹を愛しても、あくまでそれは本能的な錯覚であり、本能であっても樹は彼女を受け入れられない。

 相性はよかった。気持ちもよかったし、満たされもした。一度線を越えたことにより、きっとこれこれからも越える。でも番にはなれない。なれなかった。

 実年齢よりずっと幼く見える寝顔にそっと触れようとして、やめる。

――私がオメガじゃなければ、シャーロットもこんな想い抱かないのに。

 背を向けて目を瞑る。誰かが横にいる安心感なんて、樹は知りたくない。


「んん……んー」

「起きた?」

「樹さん!?」

 急に声をはっきりさせて、全裸のシャーロットが起き上がる。

「私はこのまま仕事に行くから。これで支払っといて」

「え、ちょ、ちょっと」

 髪を乾かし終えた後の樹を見て、シャーロットは狼狽する。

「夢じゃないですよね?」

「服着ないと風邪引くよ」

 放り投げられていたしわつきのシャツを投げ渡す。

「……付き合います?」

「調子に乗らない」

 デコピンを食らわす。

「都合のいい感じでいいんでしょう?」

 寄せられる好意には慣れている。

 だから、きっと、もう樹は意地悪に笑いながら彼女の頭を撫でられる。

「行ってくる」

 ポカンとしているシャーロットの口を、自分の口で塞いでから樹は部屋を後にした。

――最低。死にたい。

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