第62話 復讐の道、引き返す道

──犯人と思わしき人物を確保した。追って連絡する。

 何を、と起きたての頭ではついていかなかった。ディミトリ氏は余計なことは省いて連絡してくる。

──分かりました! 頑張って下さい!

 朝だし、今日は雲一つなく天気がいい。なので、太陽の絵文字を三つばかりつけてメールを返した。ハリネズミの絵文字もつけるべきだったと、送ってから後悔した。

 何の犯人なのかというと、遺産を盗んだ犯人だろう。帝国を築いた人たちの墓守として存在しているわけだから、絶対に奪い返さなくてはならない。

 ベルナデット嬢と会ったとメールを送ったっきり音沙汰がなかったので、どんな内容であれ元気にしているならそれでいい。

 講義の後、家に帰る前にスーパーマーケットに寄ろうと普段の道とは違う道を歩く。最近、新しくできた店に行ってみたかったのだ。

 安売りをしていた肉や野菜、キッチンで使う小道具などを適当に買い込み、見慣れない道に少し遠回りして帰ろうかと思う。

 二件となりには、バーらしき店がある。いつもは通らない道だったので、宝物を発見した気分になった。

「あ、すみません」

 ぼんやりしていたら、後ろから来た女性とぶつかってしまった。

「あ……の…………」

 声は彼女に届かなかった。

 職業病というものがあるが、俺は復讐病と名付けたものがある。見知らぬ人であれ、刺青を見るたびに目を凝らして例のマークではないかと疑うのだ。

 半袖のシャツから出た真っ白な腕には、刺青が刻まれている。

 蝶。蛇。そして天使。俺の嫌いな三大刺青ベスト三の中で、すべてが入っていた。

 すれ違う人は彼女の存在を気にも止めない。まるで彼女は幽霊のようだ。けれど俺はぶつかって、熱も感じている。

 長い髪はぼさぼさで、やせ細った身体つきだった。入院中の患者だって栄養価のあるものを食べ、ここまで痩せることはない。

 ふらふらした足取りで、血の気のない女性は道をまっすぐに進んでいく。この先は大きな川にかかった橋がある。

 血が通っていなそうな彼女とは正反対に、俺は頭に血が上っている。今ならボクシングで回りのビルを破壊できそうなほど、回りが見えていなかった。

 こんもりと山のように真ん中が盛り上がった橋。女性は一番高いところに立ち、流れの速い川を眺めている。

 近づいても、彼女はぴくりとも反応しない。俺の存在は、彼女が必要としないその他の人間だった。俺は、どれだけ待ち望んでいたのか彼女は知らない。

 横に寄り添っても、彼女の様子から俺の方が幽霊なんじゃないかと思える。

 真っ赤に染まった頭では理性が利かず、俺は手を伸ばし、彼女の肩を触れた。

「…………邪魔、しないで」

「…………邪魔?」

「止めないで……お願い」

 か細い、生きた心地のしない声だった。

「どうせ……私は生きてたって…………」

 気持ちの行き違いがある中、彼女の頬に涙が流れる。

「どうしたんですか」

 自分でも驚くような低い憎しみのこもった声だった。

「よければ、話を聞きますよ」

 女性は顔を上げると、目に溜まっていた涙がさらに溢れた。これ以上泣いたら、身体の水分が持っていかれてさらに細くなってしまいそうだ。

 車に乗っている人から視線を感じる。どうみても俺が悪者の図。

 どうすべきか。迷いを生じたのは、少なからず俺の心に良心がまだあるということだ。

「公園に行きませんか。話を聞きます」

 女性は小さな声で「ありがとう」と呟く。却って俺を苛立たせた。

 どうか警察とは鉢合わせになりませんように、と願いが通じ、二人でベンチに腰を下ろす。

「取り乱してしまい、すみません」

「いえ……目立つ刺青ですね」

 確信に迫りすぎたせいか、しばらく彼女は押し黙った。

「これは、罪の証なんです」

「罪?」

「あなたは、人を殺したい、または殺したことはありますか?」

 彼女には見えない右手でベンチの板を掴む。圧力で木板が鈍い音を立てた。焦りはどこかで発散させなければならなかった。

「そうですね……殺したことはありません。けど、殺したいと思ったことはあります」

「例えば?」

「家族の復讐とか」

「当然の感情でしょう。私もきっと同じ気持ちになります。なぜなら、私は加害者側の人間ですから」

 復讐と口にしても、彼女は驚く様子を少しも見せなかった。そういう世界にいるような、不気味な存在。

 涙の止まった女性は、よく喋るタイプだった。感情よりも、理論的に話すタイプ。

「私は……過去に人を殺しました」

 少し離れたところにある砂場で、子供たちが遊んでいる。城を作っているらしく、城もとい山。こちらは殺伐としているので、平和でいい。

「いきなり言われても、信じられません」

「そうでしょう。私はそうなるように作られました」

「まるでロボットみたいな言い方ですね」

「ええ、変わりません。見た目は人間でも、ロボットです。生まれたときから、私はある組織の一員として育てられました」

「もしかして、その刺青が関係あるんですか?」

 女性は腕の刺青を見つめる。それ以上に、俺の目には憎悪がこもっていた。

「人を殺すロボットとして、感情の起伏があるのは罪だと植え付けられました。涙を流すようになったのは、つい最近です。私、好きな人ができたんです」

 あなたの好きな人の話はどうでもいいと、相づちを打ちながら適当に流す。そんな情報がほしいわけじゃない。

「人を殺したと話していましたよね。いつ、どこで、誰を殺したんですか?」

 右手でポケットからスマホを出し、俺はメールを一通送った。それで充分だ。なんていったって、GPSで俺の居場所は筒抜けなのだから。

「十年近く前の話です。東北の田舎町で、何の罪もないご年配の女性を殺害しました」

「…………どうして、」

 声は震えている。

 喉がからからだ。

 心臓が動いているのか分からない。

「組織の一員の証である刺青には意味があるんです。弱くて美しい象徴である蝶、強さの象徴の蛇はわれわれ組織員、そして……天使。これは組織を作った頂点に立つ人間です。今はもういない。天国から見守ってくれています。私たちは、定期的に人を殺します。そして必ず、刺青のマークがついたカードを現場に残して去るんです」

「なぜ殺めるんですか」

「汚物となるものを排除するためです。汚物を放出している根元は人間にあって、我々はカードで決めます」

「カード?」

「占いのようなものです。神のお告げに従い、カードをめくっていくんです。カードには日本の土地が書かれています」

「……引いたカードに書かれている土地の人間を?」

「神のお告げは絶対です。馬鹿馬鹿しいと思いましたか?」

「馬鹿馬鹿しい? 冗談じゃない。狂っている」

 つい声を荒げてしまうが、反応したのは砂場にいる子供たちだけだ。

「そうですね。でも私は異常者の一員でした。それが当たり前だったんです。そういう風に作られましたから。何の罪もない年老いた女性を殺し、平和な町を地獄に突き落としました」

「突き落とす……か」

「私は……死ぬべき人間です。ですが死にきれませんでした」

「さっき、飛び降りるつもりでしたか?」

 女性は頷き、砂場の子供たちを見入る。

 彼女の目には、どんな風景に映っているのだろう。もしかしたら、犠牲になっていたのは子供たちだったのかもしれないし、父や母だったのかもしれない。

 かかってきた電話はタップし、俺は消しもせずそのままに、膝の上に置いた。

「私のような異常者集団がまだいます。洗脳が解けたのはお付き合いしている男性のおかげです。私はその方も、裏切っているのですね」

「それより、あなたが殺めた女性や家族に対して、何か言いたいことはありますか?」

「……なんと申し上げたらいいか」

 どうする?  どうしたらいい? 出会えたのは運命としか思えない。

 買い物袋の中には、買ったばかりの包丁がある。今なら間に合うと、刺青の天使が囁いている気がした。

 なのに。あと一歩俺を止める存在が、携帯端末の向こう側にいる。それほど、いつの間にか大きな存在となっていた。

 ビニール袋の中に手を入れ、刃物の箱に触れる。今日はこれで魚の煮付けを作るつもりだった。魚は死んだ黒い目で俺を凝視している。何か訴えているが、心に届かない。

 通話中だった電話が切れた。が、すぐにメールが一通届く。

──志樹、お前が大切だ。

 何のことはない、短文のメール。だからこそ、ずっしりと重みのある言葉だった。

 後ろで車が止まる音がした。振り返ると、女性も背後を見る。

 よくある乗用車で、中からは秘密機関の方々がお出ましだ。最後に、俺の最も大切な人が現れた。

 女性が立ち上がって逃げようとするが、とっさに腕を掴んだ。強い力だったらしく、女性は痛いと声を漏らす。圧力は緩めない。逃がすわけがない。

「そちらの女性をお引き渡し下さい」

 何も答えないでいると、数人の男性は女性を取り囲むようにして車の中に入っていく。最重要人物だ。彼らからしても、逃すわけにはいかない。

「良い働きでした。ありがとうございます」

「別に、あなた方のためじゃないです」

「志樹」

 ルイは横に立ち、彼らに行ってくれと促す。

 後ろで車が発車すると、俺はルイに向かって体重いっぱいに倒れた。軽々と抱き留める彼に、悔しさもあるしなぜか自慢したくもなる。

「あー……疲れた」

「お疲れ。ひとまず、お前の家に上がりたい」

「お茶くらい出すよ。あー、案外普通に喋れてる。日本語がすらすら出てくる。あー、あー、あー」

「フランス語に切り替えるか?」

「今日は日本語で頼む……むり」

「早くしよう。魚がお前に微笑んでるぞ」

 何を考えているか分からなかった魚の目は、ルイが言うと本当に微笑んでいるように見えた。

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