第63話 選んだ道
持ち帰った魚は煮付けにし、ご飯も炊いて卵と葉物野菜のスープも作った。俺がキッチンに立つ間は、ルイはノートパソコンを開き、かたかたと音を立てている。
「ディミトリからメールだ」
「なんて?」
「メイドの一人が犯人だった。鍵の開け方も知っていて、少しずつ遺産を盗んで横流しをしていたらしい」
「俺も会ってる人?」
「一番の古株だ。一人で扱える量ではないんだがな。まあ一人捕まえれば、芋づる式に繋がるだろう」
「良かった。ルイの肩の荷も少しは楽になったな」
「ああ、本当に。案外近くにいるものだな」
テーブルに料理を並べて、まずは空腹を満たした。俺は半分も食べられなかったが、ルイは米粒一つ残さず食べてくれた。どくだみ茶と出したおかげで、味についての感想も頂けた。
「さて、大まかには電話を通して聞いた。まずは志樹の話を聞こうか」
「うん……包丁がさ、すげーいい切れ味だった」
「良かったな」
「全部、全部運命だと思うんだよ。俺が今日に限って包丁を買ったのも、一番復讐したかった奴に会ったのも、チャンスは二度あったんだ」
「二度?」
「一度目は橋の上で会ったとき。あいつは橋から落ちて自殺しようとしてた。俺、あいつの肩に触れたんだ。そしたら勝手に勘違いして、止めないでって言ってきた。止めるつもりなんてなかった。押してやろうとしたのに。俺は……」
「最低な人間、か?」
言いたかったことを言われ、苦しさが少しだけ軽くなった。俺の気持ちを分かってくれる人が、一センチの隙間なく隣にいる。
「二度目は、ベンチで洗いざらい自分の罪を話していたとき。包丁で刺そうかどうか、手を伸ばしてたんだ」
「だがチャンスはあったのに、志樹は殺さなかった。人間誰しも一度は考える。違いは手を出すかどうかだ。お前は実行しなかった。それでいい。よく抑えたな。立派だ」
なんでこう、涙は急に溢れてくるのか。
復讐を果たせなかったのに、祖母の仇は取れなかったのに、なぜかすっきりした気分になっているのも悔しい。けれど側で俺の存在と決断を立派だと認めてくれる人がいるからだ。
三十分くらい泣きはらすと、余分なものまで流れたようで、頭はすっきりしている。今ならフランス語も完璧に覚えられそうだ。残念ながらやる気はない。
「俺さ……ルイの一番になりたいよ。俺もルイのことなんでも分かりたい。ルイばっか俺のこと分かってんじゃんか」
「一番だろう? 何を今さら」
「え?」
「家族より側にいて、友人と呼ぶには近しい。部下……ではあるな。それに私の家庭のもろもろを知る少ない人物だ。ほかには?」
「ほか? ええと……ルイがなんでも話せる人間になりたい」
「当初の日本に来た目的は、窃盗罪の容疑をかけられていたベルを捜すことだった。家族以外で知っているのはお前だけだ。ほかは?」
「ルイのこと、聞いてもいい?」
「ああ」
「ルイって今はどこに住んでんの?」
「家はない。ホテル暮らしだ」
「ええ? じゃあ家にも招待してくれなかった理由って……」
「一人分の宿代しか払っていないからな。勝手に上げてはまずいだろう。ちなみに新宿や池袋のホテルを転々としている」
「なら一緒に住んだ方が楽じゃないか?」
「……………………」
「秘密基地に」
「まあ……そうだな。余計な家賃もかからず済む」
「それか、ここに来たらいいじゃん。アパートも古いけど。でもフランスのルイの部屋みたいに、広くなくて不便か」
「広すぎると心まで広くなるとは限らない。嫌という意味ではなく、そもそも生活リズムが違いすぎる。お前は勉強があるし、まずは卒業しろ」
叱られてしまった。ルイのお小言を聞くのは好きなので、もっと何か言ってほしい。
「母親に会った件や、今回の出来事は家族には?」
「いろいろ考えてるんだけど、言わない。特にばあちゃんを殺した犯人を追ってた件は。余計に心配かけるだけだし」
「それがいい。よく頑張ったな」
「ああ、また泣きそう」
「泣いておけ」
復讐の道を選ばなかった俺を、ルイは一生分というほど褒めてくれた。やってはいけない当たり前のことであっても、俺にとって復讐は当たり前ではなく、命に代えてもなし得なければならなかった。
踏み外しそうになった俺を止めてくれたルイは、人生と命の恩人といっても過言ではない。
「これからの人生目標が一つできた。ルイを幸せにする」
「…………ありがとう」
「おう。俺の将来まるごとかけて、ルイを幸せにしてやる」
「将来の夢は決まったのか? 大学を卒業してからの話だが」
「あっ待って。それは言わない。ユーリさんしか知らないし」
「どういうことだ。なぜユーリだけが知っている」
「怒るなよ。ちゃんと頃合いを見て言うって」
「直属の上司は私で、雇い主も私だ。ユーリだけだと……? 実に不愉快だ」
「ごめんごめん。いろいろあるんだって。言えないついでにひどい話するけどさ、キッチン借りていい? お酒の材料費はちゃんと払うから。俺の給料から差し引いて」
ルイは頑なに首を縦に振らなかった。その代わり、作ったカクテルは飲ませろと言う。
「何を作りたいんだ?」
「ジン・フィズ」
「……努力しだいでどうにかなる」
「ルイはどれだけ作った?」
「詳しい数は分からないが、億は絶対にいっている。腕の力が入らないほどシェイカーを振り続け、病院通いまでした」
「そ、そんなに?」
「私の場合は舌が役に立たない。腕や指先の感覚、色でどうにかするしかなかった。ちなみにユーリはかかった材料費を私に請求しなかった」
ジン・フィズ。材料はジン、レモンジュース、砂糖、そしてソーダ水。ソーダ水以外をシェイクし、タンブラーに入れてソーダ水を注ぐ。簡単そうに見えるが、別名バーテンダー泣かせのカクテルと言われている。標準的なレシピは存在するが、レシピ通りに作ったところで非常に不味い。レシピ通りのものと、ユーリさん独自のものを飲ませてもらったが、素人の俺でも分かるくらい味が違った。材料自体も違うのではないかと、疑ったほどだ。
「うまく作れるようになりたいんだ」
「教えられないのが歯痒いな。本人の感覚を信じるしかない。それとバイオレット・フィズを飲んでみたい。私はまだ飲ませてもらっていない」
「えーっ、あれを? 美恵子さんに作ったやつ? カクテル言葉が別れを意味するし、ルイがまたどこか行っちゃいそうなんだけど」
「言葉を気にせず作る場合がほとんどだ。いちいち気にしていたら提供できん」
バイオレット・フィズのカクテル言葉は『私を覚えていて』。作りながらしみじみと紫色はルイに似合うと思っていた。
前にルイにギムレットを作ってもらい、別れを示唆されたことがある。カクテル言葉は『長いお別れ』。いちいちカクテル言葉を気にするほど、ずいぶんとトラウマになっている。
「分かったよ。次バイトに行ったときな。あーあ、また数日ルイに会えないのかあ」
「残念だな。私は明日は北海道だ」
「牛と戯れてきてくれ。きっと可愛いぞ」
「戯れるのはシェイカーだがな」
ルイは立ち上がる。行ってほしくないなんてわがままは言えない。俺もテストに向けて勉強しなければ。
「……死ぬような真似はするなよ」
優しい爆弾を落としていったルイは、一度俺を抱きしめ、頬に柔らかなものを当ててドアを閉めた。
身投げなど考えてもいなかったのに、ルイはそこまで考えて俺の身を案じていた。料理とともに飲んだどくだみ茶が、目から溢れてきた。俺の目は胃と繋がっているらしい。
爆弾は点火しないまま、開けっ放しにしていた窓の外を眺める。俺が悲しもうが泣こうが夜は来るし、月も時間も待ってはくれず、俺を置いてけぼりにする。その代わりに立派な満月がお披露目だ。月を楽しむ余裕があるのは、明日に向かっているということだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます