第46話 最低で最高のクリスマス

 光の射さない地上で人口の光がぽっと灯ると、もがき苦しむ人間のように見えた。まさに暗闇の中で足掻く人間。俺がそんな状況だから、街を歩く恋人同士みたいに素直に綺麗と思えないのだ。

「ルイ、こういうイルミネーションってどう思う?」

「日本のテレビで観たことがあるが、ホタルイカの身投げに似ている」

「おお、綺麗なんだか残酷なんだか」

「闇に抗う抵抗は、今の私には美しいとは思えない」

「来年も同じ質問したら、綺麗な言葉が返ってくるかも。楽しみにしてる」

「……そうだな」

 負の感情に押され気味だと、綺麗で澄んだ水でも何かあるのではと疑いの目を向けたくなる。俺も祖母が亡くなったときはそうだった。人の慰めの言葉なんて、ちっとも心に届かなかった。

 ドーム型の教会は、俺が生まれる前から建てられたもので、古くとも新しく、祭壇を囲むように席が円上に置かれている。

 教会なんて初めての体験で、信仰深くない仏教徒でも入っていいのかと何度も聞いた。それを言うなら、ルイ曰く「神なんぞ一切信じていない」らしい。それでも堂々と入るものだから、俺も表向きはカトリック教徒を演じながら中にお邪魔した。

 カトリックと聞いてイメージするものは、キリストやマリア、十字架を切るくらいなもので、ほとんど分からないのと同じだ。プロテスタントがカトリック教会に来て祈りを捧げてもいいし、その逆もあって構わないのだそう。もっとこう、バチバチしている間柄なのかと思いきや、まったく違うらしい。

「独特の匂いだなあ。初めて嗅いだ」

「フランキンセンスやミルラだな。香水やアロマでもよくある」

「さすがフランス人。詳しい」

「すべての日本人が寿司を好きなわけではないだろう? 香水嫌いなフランス人もいる」

 ルイは前の席に座り、俺は見失わない後ろ側に腰を下ろした。水色のリボンが揺れ、肩に落ちた。ポケットの中に手を入れて拳を作ると、紙の擦れるかさついた音がした。隣に座る女児が不思議そうに俺とポケットを交互に見る。

 緊張を追いやろうと、本棚から拝借した聖書を開いた。カトリックに問わず、宗教を一言で言うなら『怖い』だ。人を救うものでもあり、人を殺めるものにもなる。いわば、諸刃の剣。

 埋め尽くされた人の山だが、ミサのためにやってきた人は何を思い、聖書を抱えているのだろう。

 目の前の光景に踵で椅子を蹴ってしまい、また隣の女児に見られた。なんでもないよとにっこり微笑むと、母の袖を掴む。怪しい奴でごめんな。

 ルイの隣にブロンドヘアーの女性が座った。俺がバーで見た女性と同じ。やはりベルナデット嬢だった。見間違いではなかった。俺が入院している間、彼女はルイと何を話したのだろう。

 今まで会っていなかったのは嘘みたいで、二人の距離は圧倒的に近く、俺なんかより恋人同士に見える。百人いれば百人がそう答えるだろう。ベルナデット嬢はルイの後頭部に何度か視線を送る。水色のリボンは、ルイの想いが詰まったものだ。

 ミサが始まっても、震えが止まらなかった。どこかで警察がいて、二人の様子を瞬きをする瞬間も許さないと注目している。俺は聖歌を口ずさみながらも、一切神父を見られなかった。二人から視線外してはいけない気がした。

 ミサが終わると、続々と人がいなくなる。取り残された二人の世界と、俺の斜め前にスーツ姿の男性が二人。壁際にも男性二人。これがルイの答えだ。彼はちゃんと正義を貫いた。俺は誇りに思う。

 斜め前の男性と壁際の男性が目配せし、いよいよ二人に近づいていく。

「…………ちょっといいですか?」

 ルイは前を向いたままで、ベルナデット嬢だけが俺と同じように足で椅子を蹴った。大きな物音にも、ルイは動じない。

「ルイ、騙したのね!」

「……………………」

 口から飛び出す言語は日本語で、彼女がいかに日本を愛していたか痛いほど伝わってくる。

「ベル、あなたを愛しているからこそ、私なりの決断をした」

「……その名前で二度と呼ばないで」

 四人の男性に囲まれながら俺の横を通り過ぎる瞬間、俺は立ち上がって深く、地面に頭が着きそうなほど下げた。これでもかと下げた。

「……水色のリボンが、ルイの答えだと思います」

 ベルナデット嬢はルイを振り返った。

 一本にまとまったハニーブロンドが広がり、ルイは解いたリボンに口づけをする。

「このリボンがいつも私を見守って、支えてくれていた。あなたはいらなかったものを私に渡しただけかもしれないが、私を嫌おうとも、とても嬉しかった。今度は私があなたを支えたい。罪を償い、そしたら……また良き友人としてやり直してほしい」

 ベルナデット嬢はリボンを受け取る。感情の揺れが手に表れ、二人の指先は震えている。

 彼女はリボンを受け取ると、今度こそ警察官に囲まれながら教会を出ていった。

 俺は少しだけ、神の存在があってもいいのではと思えた。誰かにすがらないと生きていけない人だっている。孤独が好きでも、心がへし折られたとき、支えになってくれるものがないと泥沼から足を持ち上げられない。

「神を信じられないなら、俺を頼ってもいいんだぞ」

「冗談も大概にしろ。お前に望んでいるのはそんなことではない」

 昨日よく眠れなかったのか、目の下にうっすら隈ができている。

 椅子に座ると、ルイも隣に腰を下ろした。

「俺、ミサって初めて体験したよ。たくさん人が集まるのって、クリスマスだから? それとも普段からいっぱい集まってんのかな」

「クリスマスだからだな。私のように一応カトリック教徒に属していても、信仰心の欠片もない人間もいる。初めてのミサはどうだ?」

「外にお菓子売ってたから、記念に買って帰りたい」

 ルイの肩が震え、そっぽを向いた。ルイの笑いは俺を楽しくさせる。もっともっと笑わせてやりたい。

「海でも見に行かないか?」

「今から? 行こう行こう。クリスマスだしケーキも食べたい」

 まだ残っている人は、熱心に祈りを捧げている。邪な俺たちがここにいても邪魔なだけだろう。

 売店で残り少ないクッキーを購入し、ふたりで食べながらタクシーを待った。ルイはどうせ味が分からないと言うが、そういう問題ではない。スペインのクッキーで、食べながら願いを込めると叶うと言われている魔法のクッキーらしく、俺はルイの味覚がよくなりますようにと願った。ルイの願いを尋ねると、『誰かさんの成績がよくなりますように』だそうだ。無事に四年には上がれる。俺は悪くないと子供じみた言い訳をした。

 海沿いは風も強いし、十二月の季節には厳しい。けれどクリスマスだからか、人通りは多い。目の前に大きな観覧車があり、視界の半分以上を捉えていた。

「結局店はどこも満席だもんなあ」

「来るのが遅すぎたな。ホットワインでも飲むか?」

「飲む飲む」

 ルイも同じものを注文し、外のベンチに並んで座った。

 女性が目の前を通ると、決まってルイを見る。常識の範疇を超えた美を持てば、本人が望んでいなくても注目を浴びてしまう。美しいとは、孤独だ。

「何を言おうか、悩んでいた」

「ベルナデットさんに?」

「違う。志樹に」

「俺?」

「お礼を言ってしまえば、また無茶をする。けれどベルナデットを見つけてくれたことは、感謝している」

「言わなくていいって。俺も確信がなかったし、似た人がいたって言って、違ったらがっかりさせただろうし。そういやなんで俺の居場所が分かったの?」

「GPS」

「……やっぱり俺の身体に埋め込んでる?」

「実はな。首の辺りに」

 首を触ってみる。

「固い。凝ってんなあ。これは勉強のしすぎだな」

「枕が合わないのか? クリスマスプレゼントに買ってやろう」

 クリスマスプレゼント。ポケットをさすると、紙同士が擦れる音がなる。しわくちゃになった小袋を出し、ルイに渡した。

「クリスマスプレゼントってほどのもんじゃないけど。やるよそれ」

「私に?」

「いいからもらっとけって」

 クリスマスに人にプレゼントを渡すなんて初めてだ。

「……リボン」

 同じ色は買いたくなかった。これがルイに似合うと思った。

「ルイの髪にピンクって絶対似合うよ。優しい感じがする」

「結んでもらえるか?」

「俺が? 上手くできるかなあ」

 ルイの髪は柔らかく、簡単に指の間をすり抜ける。手入れは欠かさないだろうが、どうしたらこんな綺麗になれるのか。

「うん、なかなか」

「出来映えは?」

「似合ってるよ」

「出来映えは?」

「金髪にピンクって、やっぱり合う。薄い桃色って、桜をイメージするし、あったかい色だなあ」

「出来映えは?」

 端末で後ろ姿の写真を撮り、ルイに見せた。

「こんな感じ」

「なぜ縦になっているんだ」

「きっと俺の心がそのまま表れたんだ……まっすぐだから」

「……これでいい」

 リボン結びが縦になってしまったが、ルイは直さなかった。

 ルイは、水色のリボンは手枷や足枷だと言った。きっとそう思い込むことにより、罪を背負って生きていこうとしているのだ。想像できるところだと、家柄から逃れた罪、バーテンダーとして生きる罪、ベルナデットを裏切った罪。最後は罪とは思わないが、ルイは背負っているだろうと俺の予測。幸せを受け取ろうとしなくて、いつも自分を犠牲にしようとする人。それはバーの名前を決めるときも感じていたはずだ。

 エレティック。横文字では『Hérétique』。意味は異端。正統から外れていること。端末で検索したら、すぐに出てきた。もっと楽しい名前を決められなかったのかとユーリさんも呆れていたが、この名前をつけたとき、ルイの覚悟は決まっていたのだろう。何を言っても変えるつもりもないだろうし、それならば、俺も背負って生きたい。せめて、エレティックで働かせてもらえる間くらいは。

 店が空いていないので、屋台で買っては立ち食いを繰り返し、ホットワインも二杯飲んだ。ルイの作るカクテルが恋しくなった。

 馬鹿騒ぎでもない、しんみりした雰囲気でもない、いつも通りの俺たちは、日付の変わる前に横浜で別れた。別れ際も普段と変わらず、きっと明日はいつもの朝に迎えられるだろう。これでいい。でももし、ルイの目の隈がさらに酷くなっていたら、俺は一晩付きっきりで子守歌でも歌ってやろうと思った。

 クリスマスから二日後、十条のアパートにダンボールが届いた。大きいわりには軽い。送り主はアルバイト先の店長で、中身は肩こり軽減の低反発枕だった。

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