第47話 ボナネー
レポート。レポート、レポート。俺に大みそかや元旦なんて存在しない。なかったことにして、パソコンとにらめっこをしながら数時間。届いたメールは、姉でも父でもなく、竹山からだった。
──俺とデートしない?
──断る。
──一月二日の記念すべき日に。ぜひ。
特に記念になるようなものはないのに。しいて言えば、テレビでは特別番組が組み込まれているくらいだ。大みそかだって特別な日ではなかった。
──どこで待ち合わせ?
──神社にしよう。
──混んでるだろ?
すると、神社近くのファミレスになった。二十四時間営業のはずだが、一応調べてみた。
──空いてるっぽい。今から会おう。
竹山も確認済みらしく、時間を指定してきた。
たまには気分転換もいいだろう。二十四時間、家にいたって、ずっとパソコンの画面を見ているわけではない。ついでに昼食もファミレスで取ろう。
電車で一本、それから少し歩いていくと、神社に近づくたびに人だかりができている。英語や日本語、中国語表記のある看板より分かりやすい。煌びやかな着物をまとう女性が目印だ。
「花岡?」
竹山はすでに到着していた。着物の女性たちが振り返り、俺と目が合っても特に興味を示さず談笑に夢中になった。これがルイなら視線のシャワーでずぶ濡れだ。
「お前なんだよその手。新しいファッション?」
「そうそう。骨折っちゃってさ。転び方が悪かったみたいで」
メインの話は避けても、実際に転んだことには変わりない。
「一か月くらいでよくなるよ」
「早く治せよ。右手使えないって不便だよなあ」
「食べる料理も変わってくるよ。カレーやオムライスとか、洋食ばっか。あ、オムライスは日本食か」
「三が日なのに混んでんなー」
「俺たちみたいなのが大勢いるってことか……彼女がほしいぜ。俺たち就活生だし、こう、支え会える人が。笑顔で頑張ってなんて応援されたら、百回落ちてもへこたれないぜ」
「一回落ちただけでもへこむよなあ。俺、世界から見放されてるんじゃないのかとか、変なことばっかり考えるよ」
「分かる分かる」
特殊清掃員のアルバイトを始める前、順風満帆に受かったわけではないのだ。別のアルバイトで落ちているし、たった一回でも究極に落ち込んだ。けれど前向きな俺はまあいいかと次々と受け、特殊清掃員になれたのだ。
「お前が落ちるって考えられないけどな。英語やフランス語も話せるんだろ? いろんな面で重宝するじゃん」
「英語は段々できるようにはなってきたけど、フランス語は全然だよ。発音が難しいし」
フランスでフランス語を話すというのは、日本で単語や例文を解いているだけではほとんど役に立たないと学んだ。会話だ。とにかく会話をしなければ、絶対にうまくならない。その点、俺は恵まれていると思う。フランス語をメインとして会話をする人が、近くにいて教えてくれるのだから。
「一回家族に相談しようかな……」
「大好きなラプンツェルは? 上司追っかけて海外まで行ったんだろ?」
竹山にはあのあと、詳しい説明はしていなかった。俺もレポートに追い回され、忙しくて後回しにしてしまっていた。
簡潔に、ルイの自宅事情や婚約の話は避けて説明をしていく。
「解決ってわけじゃないけどさ。ピンチは回避できたって感じ」
「ふうん。バーテンダーって食っていけるのか?」
「いけてると思う……多分。いろんな店から呼ばれたりしてて、普段はあまり池袋にいないんだよ。営業してるのは週末くらい」
「変な店じゃないよな?地下室の奥に入ったら薬の売買されてる、みたいな」
ジンジャーエールが喉に引っかかって、咽せてしまった。タイムリーすぎて一部を覗かれているんじゃないのか。
「い、まあ、それは、ないと思うよ」
頼んだのはビーフカレー。肉だ肉。肉と米は元気が出る。それにジンジャーエールもあるし、なんて幸せなひとときなんだ。
「今日俺が呼び出された理由って、海外の話が聞きたかったから?」
「それもあるし、俺ら四年だろ? 将来どうするのかなって。バーテンダー目指してんの?」
「まだそこまでは。けどお酒作るのは楽しいんだよな。なかなか美味しいって言ってもらえないけど」
俺の家は造り酒屋で、アルバイトはバーテンダーの補佐。運命を感じる部分もある。子供の頃は愕然と家を継ぐのは嫌だ、田舎を出たいと思い続け、結局お酒に関わる仕事に誘われている。運命ととるか、抗うか。俺はまだ決めかねている。
「一応、バイトはしながら就活はするよ。外国語を勉強してるし、それを生かせる仕事も探してみる。竹山は?」
「写真を撮ったりするのが好きだからなあ。海外に行って、いろんなものを見てみたいんだよ。あんまり現実的じゃないけど」
竹山の趣味は初めて聞いた。
「俺の親が公務員で、小さいときから公務員になれってすり込みみたいに言われ続けたんだ。そのせいか音楽に手だしたり中学生の頃は演劇部に入ったり、いろいろしてた」
「それは分かる気がする。俺も跡継ぎは絶対に嫌だって思ってたからさ」
馬が合うとはこのことか。正月早々、レストランでいろんな話をした。将来の話というのは建前で、駅前の新しくできたケーキが美味いとか、ビールの新商品、冬に食べるアイスクリームは美味しいなど、ころころ変わる話題に飽きもせず、結局二時間弱ほど滞在した。
また食事に行こうと口約束を交わして俺たちは別れた。
とりとめのない話ばかりだったが、良い時間を過ごせたと思う。
帰りに駅前のケーキを買っていき、俺は将来について深く深く考えた。前向きな俺が不安になり、何かに押し潰されそうだ。
「俺、本当は前向きなんかじゃないのかも……」
誰しもがきっと通る道で、怯えたり悩んだり、現実逃避したり。そういうとき、人は誰かに相談したりするものか。
おめでとうのメールを返したっきり、打ち切りにしていた文面を見ると、心配事の数は一つや二つではない。母親代わりだった姉は、とにかく口うるさくて俺は幸せ者だ。
──戻ってこないなら、公務員とかは?
姉もまた公務員を勧める。安定した職業だと、家族としては安泰だろう。
──いろいろ考えてるから。
下手なごまかしを送った後は、ケーキの時間だ。利き腕を折っても、ケーキは食べられると知った。素晴らしい発見だ。
できるなら冷やしてから食べたい。冷蔵庫に入れていると、インターホンが鳴る。三が日にお客さんとは、あまりいい予感がしない。
「………………え? ええ、なんで?」
フランス語で何か話すフランス人に、カタカナ語でボナネーと元気よく返した。やり直しだと腕を組み、圧をかけられた。今度こそ発音よく言うと、トレビアンとお褒めの言葉だ。
「どうしたんだよ、突然」
「入ってもいいか?」
「もちろん。びっくりしたー。新年から妖精か何か舞い降りたのかと思った」
「……デュラハンか」
「違うって。ティンカーベル系のやつ。まあルイになら血でもなんでもぶっかけられていいけど」
「……………………」
「無言でドア閉めるなよ!」
無理やり二の腕を引っ張り、中に入れた。鍵をしっかり閉めて。
「ちょうど良かった。ケーキ買ってあるんだけど食べるよな?」
「私は味が……」
「ふふふ……任せろって」
ちょっと得意気に、パックつめしておいたどくだみ茶を棚から出した。寒波の襲う時期は、煮出して熱いうちに飲むに限る。
「魔法の飲み物と、フルーツタルトでございまーす。フランス人にタルトを出すのもどうかと思うけど。俺からしたら、フランスで和菓子を出されるようなものだよなあ」
「こういうのは気持ちの問題だ。なぜ三つも買ってあるんだ?」
「後で食べようと思って。お勧めらしくてさ、つい買っちゃった。ギプスが取れたらまたボクシング始めるよ。ダイエットのために」
ショートケーキとミルフィーユとフルーツタルトを購入した。ミルフィーユを出さなかったのは、お客さんには気軽に出すには難易度が高い。あとでぼろぼろ零しながら食べるとしよう。
ルイはお茶をひと口飲み、カスタードクリームをたっぷりついたイチゴを頬張る。目を瞑り、何か考えながら口を動かしている。熱いものが込み上げているのなら、幸せな衝動であってほしい。
「……ベルナデットか保釈された」
釈放ではなく、保釈。似て非なるもので、一時的な自由にしかすぎないし、保釈金も必要である。
「窃盗の件だよな」
「弁護士を通していろいろ話しているが、知っているも知らないも何も言わない。無言だそうだ」
「ベルナデットさんって、どこでお金稼いでたの? 薬買うのだってタダなわけないし」
「…………それは、」
最後のひと口がフォークに刺さったまま、時間が過ぎる。
「ルイの元婚約者だし、友達だし、悪いことは言いたくない。でも、ほんのちょっとでも可能性があるなら、そっちの線で調べてみてもいいいと思う。要は守り続けた王国の遺産を元通りに返せばいいんだろ? 無くなったことも無かったことにすればいい」
「簡単に言うのな。前向きさは就活で使ってくれ」
俺考えなどお見通しだと、ルイは口元に笑みを作る。
駄目だ、このままだとまた弱音を吐きそうだ。
「ちょっととか、そっちの線とか、そんなんで理解してもらえるなんて、こういうのってなんて言うんだっけ? 阿吽の呼吸? おしどり夫婦?」
「おしどりは毎年パートナーを変えている。子育てもメス任せだ」
「……聞きたくない事実だった。じゃあ阿吽の呼吸で」
ルイは納得したようで、フォークを口に入れた。
そっちの線、すなわち質屋にいれたかも知れない件を調べつつレポートも書くので、パソコンはフル活用だ。どうか機嫌が悪くなりませんようにと願い、俺もショートケーキを平らげた。
そういえば、なぜわざわざルイが来たのだろう。ベルナデット嬢のことならば、電話やメールで充分だ。
ルイは食べ終わった皿を片づけようとするので止めるが、やると言ってきかなかった。
「……風呂は?」
「シャワーなら毎日浴びてるって。臭う?」
「……香水の香りがする」
「ルイ、他に用があったか? 悩みとか話したいこととか」
「…………腕は、どうだ」
ああ、そういうことか。
にやける顔を腕で押さえてみたり、頬を叩いているだけなのに、不審者扱いの目はいただけない。俺の家なのに。
「……その、なんだ……、腕が良くなるまでは、池袋にいるべきだと思うが」
「……ふふ、ふ、ふふふ……そうしようかな」
「その締まりのない顔をなんとかしろ」
「無理だって。ちょうどよかった。レポートもまだ書いてる途中だし、池袋にいるならルイも教えてくれるだろうし、一石二鳥だよな、うん」
「書くだけではなく、発音の勉強もすべきだ。食事の最中でもみっちりフランス語で会話すれば、多少は覚えていく」
「まじか……」
「美味しいものを食べたときは、トレビアンがあるだろう。日本人でいう『すごい』『可愛い』などというごまかしの言葉に値すると教えたはずだ」
ケーキが美味しいです、と流暢を気取ったフランス語で話すと、完璧なフランス語でトレビアンと返ってきた。
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