第14話 暴かれたほんの少しの過去
大学の正門前に行くと、少し離れた場所に人だかりができている。近くと通ると、あの人かっこいいだの、モデルさんだの声が聞こえた。
今日は髪にワックスをつけておらず、プライベートの髪型だ。
「ごめん、待った?」
「待っていない。今、来たばかりだ……なんだ?」
「いやあ、なんか恋人っぽいやりとりだなあって思って」
「口を閉ざすか減給か、どちらがいい?」
「すみません、黙ります」
待っているのはルイだ。あいつじゃない。回りには女子のたかりだけで、例のあいつはいない。追い回されているんじゃないかと、物体Wを取ったわけでもないのに幻覚が見えそうだ。
「食事の前に、買い物に付き合ってくれ」
「もちろん。どこに行くの?」
返事はない。黙ってついてこいと言っている。
まずは駅まで向かった。特に会話もないまま、坂道を歩いていく。都会はなぜこんなに坂が多いのか。向こうの道路は手押し車を押しながら歩く女性がいた。慣れているのか、俺よりも淡々と歩いている。
ふたりで食べた焼き肉屋が入ったデパートだ。ルイの後をついていき、向かう先は二階の売り場。俺には縁のない世界が広がっている。
「なんで化粧品売り場?」
「欲しいものがある」
「化粧するの?」
「ある程度の身だしなみは心掛けている」
ある程度どころかこの世の美しさを寄せ集めたような容貌なのに。
通路を通ると女性たちの分かりやすい二度見だ。ついでに後ろを歩く俺にも視線をくれる人はいるが、すみません間違えましたと愛想笑いを浮かべて視線はルイに戻る。気持ちは分かる。前を歩く上司は、後ろ姿もきれいだから。
「げっ……なんでここ?」
日本人なら誰でも知っているブランドだ。綴りも読めるのに、どこの国かは知識がない。衣服や鞄が有名で、なんといっても一番は香水だ。俺ひとりでは入れない店で、店員の女性方の視線が痛い。
「げ、とはなんだ」
「こういうところって縁が無さ過ぎるし、入りづらい。なんでルイは堂々としてるんだよ」
「取り置きを頼みました、ルイ・ドロレーヌと申します」
バーテンダーの微笑みを見せると、女性は声が裏返る。ちなみに俺はあんな笑みを向けられたことはない。
「何買ったの? 香水?」
「……含む」
紙袋にはCの文字が重なり合い、高級感を漂わせている。中に商品が三つ入っていた。箱と箱と箱。すべて同メーカーの商品で、こちらもCが二つついている。
当たり前のようにブラックカードを出し、買い物を済ませた後はエレベーターで十三階に向かう。乗り込む直前に男性がこちらを気にしていたが、ルイはさっさとボタンを押した。
他の客人はいない。ルイとふたりっきりだ。人の多さから解放され、壁を背もたれにし大きく息を吐いた。連動したように、腹まで空いたと嘆く。
ポケットから端末を出し、ルイが持つ紙袋のブランドを調べてみた。これもお揃いのカップアンドソーサーと同じく、フランスのメーカーだった。しかもブランド名が人の名前。
「デート中にスマートフォンを出すとは頂けないな」
「違うって。その紙袋のブランドについて調べてたの」
「……………………」
「フランス愛が凄まじいなあ。帰りたいって思わない?」
「ない」
清々しいほどきっぱりだ。一寸も悩まない。
「女性とデートをするとき、そのような機器は出すなよ。行くぞ」
年の功だ。有り難く頭にインプットしておこう。あいにく、まるで縁がないけれど。
「日本食でいいのか?」
「えっ」
まさかとは思ったが、昨日の会話を思い出していた。
日本食は美味しかったかと聞き、あれは裏の意味として羨ましいとも取れないだろうか。だとすると、卑しさ丸出しだ。
「俺でも払える?」
「財布にいくら入っているんだ?」
「四千円くらい」
「素直に奢られろ」
「ははー、お代官様」
また奢られる。返すものが何もない。俺の考えなどお見通しのようで、ルイは何かを呟いた。英語でも日本語でもない言葉。
「私からのお詫びだと思ってくれ」
「お詫び? 何かしたのか?」
「個室に行ったら話す」
個室のある店なのか。個室料金というものが取られ、きっと部屋代だけでも俺は払えないだろう。
ここでもしっかりと予約を入れていたルイは名を名乗り、部屋に案内された。メニュー表を渡されても何を頼んだらいいのか迷うが、料理も予約を入れてくれていたらしい。飲み物はルイはミネラルウォーター、俺は造り酒屋の梅酒を注文した。梅酒より、造り酒屋に目を引いたためだ。
店員の足音が遠退き、先ほどのお詫びについて言及した。
「もしかして、片方のカップを割っちゃったとか?」
「月野様からの頂き物の話か? あれならばまだ箱の中だ。触れていないし、おそらく割れていない」
「じゃあなんだよ、改めて」
「つけられている」
料理が早いと思ったら、飲み物だった。話が先か、乾杯が先か。
「Santé」
「お、おう……さんて?」
「乾杯」
「なるほど、乾杯!」
また一つ賢くなった。フランス語で、サンテは乾杯。
「つけられてるってどういうことだ?」
「そのままの意味だ」
「誰に?」
「警察に。原因は私にもある」
「警察もミステリアスなハンサムと、パトカーでドライブを楽しみたいんじゃないのか? 一緒に食事してるってお巡りさんに自慢してこようかな」
「その足でお前も連行デートを楽しむことになるだろうな」
もう一度店員がやってきて、テーブルに料理を並べてくれた。駅弁によくある幕の内弁当のように、品数が小皿に飾られ、皿を洗うのが大変そうだ。
「花岡とふたりでバーに行っただろう。お前が席を外していた間の話に戻る」
俺がお腹を壊してしまったときだ。あのときはルイに助けられた。
「カーテン席にいた秋元氏が私の元へやってきた。いろいろあり、私は席を立った」
いろいろは聞かないでおこう。
「腕を掴まれ、連絡先を教えてほしいと言われた。初対面の人間には教えられないと断り、名刺だけをもらい受けた」
「それで、会ってきたんだろ?」
「ああ。和食店でな」
「良い店に入っても、心が許せる人じゃないと味気なさそうだなあ」
「……………………」
ルイはグラスの水を半分ほど飲んだ。
「……バーにいるときは薄暗く、確信だと言い切れるほどの自信を持てなかった。私はふたりで食事に行こうと約束を交わし、和食店で待ち合わせをした。気温も高く、酒も入っていたので一種の賭だった。酔った彼は上着を脱ぐと、腕に普通では有り得ない跡がいくつもあった」
「…………まさか」
「注射の跡だ」
病院帰りならば普通は一か所だろう。血管が見つからずに何度もやられた経験はあるが、そんなことでルイが目ざとく注目するとは思えない。
「どのくらいの頻度でやっているのか、と質問をした」
「はっきり言い過ぎだろ……」
俺は頭を抱えた。
「二、三日に一度だと、吐いた」
「うわ……どうしようもないな。日本ってそういうのやっちゃいけない国だし、法を犯している人を見ると、自分に被害がなくても怖くなる」
「怖いという感情は絶対に捨てるな。お前は踏み外すなよ。法を犯す好奇心は不必要だ」
「肝に免じます。ははーっ」
肝心なことを聞き忘れていた。占い師のレミさんのことだ。
「マダムの話だが、」
「あ、マダムって言うとフランス人っぽい」
「フランス人だからな。血が憎い。彼女も個室を取り、側で私たちの会話を聞いていた。マダムは泣き叫び、秋元氏のところへ駆け寄った。私は食べ終わったのでお
情報が多すぎて、どこから突っ込もうか。後半はほとんど耳から耳へ抜けていった。
血が憎い。平凡な顔つきの俺からすると、見た目が美しいと得だと思っていたら大間違いだと、真っ向から打ち消した。血筋なのか、血縁関係者絡みなのか、それとも。
「何か聞きたそうだな」
「……お暇なんて、よくそんな難しい言葉を知ってるな」
「本当に聞きたかったことはそれか?」
喉の奥で笑われてしまった。笑ってもかっこいい。フランス生まれの精霊だ。
「フランスから精霊がいなくなって、今頃全土で大騒ぎしてるぞ」
「梅酒はそれほど度数が高いのか? これ以上は控えた方がいい」
「日本酒よりも低いって。ソーダ割りだし、大した度数じゃないよ。ルイの顔で一度、外を歩いてみたいよ。今日も女性たちがみんな振り返ってた。女性だけじゃないけど」
「お前は石を投げつけられたり光の閉ざした部屋に閉じ込められたいのか?」
珍しく苛立ちのこもった声に、俺は言葉を失った。ルイははっと顔を上げ、何でもないと首を振る。
「冗談だ。もういいから早く食べろ」
「……おう」
冷めてしまった料理を口にする。冷たくなっても、美味しいものは美味しい。
もしかして俺は度々、爆弾をルイに投げつけていたんじゃないのか。褒め言葉であっても、それは俺の認識であってルイには鈍痛にしかならない。
今日、化粧品売り場を歩いたときのことを思い出した。それだけではなく、バイト中もあのバーに行ったことも。二度も三度も見られ、子供には指を差され、彼にとっては狭い檻の中の野生動物なのかもしれない。
ルイは淡々と食事に手をつけている。美味しいのか口に合わないのかも、顔では判断がつかない。からっと揚がった天ぷらは、何もつけずに食べている。塩や天つゆをつけた方が美味しいのに。それだって、味の好みの押し付けだ。
「……ごめん」
「冗談だと言っただろう」
「あ……うん」
「お前は私を破滅の道へと追いやろうとしているわけではないと、理解している」
「それって、居心地は悪くないってこと?」
「さあな」
ふと、少しだけ声が軽くなった。さっきみたいな声色より、今みたいなルイがいい。
「一つ、言っておく」
「なに?」
「私が自ら誘ってふたりで食事など、滅多にない」
「うそ……彼女は?」
「彼女か……彼女はいないな」
含みがある。過去にはいたってことか? いるだろうな。ルイが興味を持たなくても、回りが放って置かなそうだし。
「ルイって不思議だよなあ……あんまり自分のことを話さないからか、もっと知りたくなる」
「自身を話さないのは、お前も同じだろう」
「そうか?」
「なら、祖母の話が聞きたい」
「あー、うん、そろそろデザートでも食べようかな」
また笑ってくれた。お腹を抱えて笑うタイプではないが、口の端が上がると俺も嬉しくなる。
祖母の話は母親以上に厳禁だ。だって、俺が泣いてしまうから。メールでのやり取りだって危なかったのに、目を見て話すにはまだ勇気が足りない。ああ……白玉ぜんざいが美味しい。味わって食べていたら、ルイは自分の器を俺に寄越してきた。ありがとう、お代官様。
「そういや、さっきのブランドショップで何買ったの?」
「香水とハンドクリームとリップバーム」
「万越えてたよな?」
「ああ」
「リップなんて百円のしか買ったことがないぞ、俺」
「使ってみるか?」
紙袋から箱三つを出し、それぞれ開けた。ジャータイプのリップバームと、卵形のハンドクリーム、そして一番高いであろうピンク色の香水。チャンスと英語で書かれている。何がチャンスなのか。
「手を出してみろ」
手首に香水を吹きかけられた。バラのような香りで、男性的というより、女性が好みそうな香り。ルイには似合いそうだ。
手の甲にハンドクリームを塗られた。
「なんか……全身高級品になったみたい」
「上等な身体だ。自分を大切にな」
「了解した、お代官様」
「苦しゅうない、近う寄れ」
「ルイって、日本好き? 時代劇は?」
「ひと通りは嗜んでいる」
「だよなあ! まさかネタが分かるとは思わなかった」
ルイは俺の唇にも塗った。リップバームも初めてが俺で不本意だろうに。リップバームのためにも、家に帰ってもしばらくは顔を洗わないでいよう。
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