第12話 捜し人

 秋元賢治。占い師のレミさんの関係者で、俺と近い年代。バーで働いている。情報はこれだけだ。とにかく様子を見てくるだけで、それ以外に何をするだとか、何も言われていない。不特定多数の男性が働いていたら、秋元氏が誰か分からずに終わってしまう。写真の一枚でもあればいいが、後の祭りだ。

「秋元さんの顔って分かる?」

「知らんな。状況に応じた対応で、凌いでいくしかない」

 信号に引っかかり止まると、ルイは俺の顔をじっと見てきた。

「どうした?」

「これから行くバーについて、どこまで知っている?」

「何も。説明もなかったし」

「……そうか」

 青だ。回りのサラリーマンが歩き出し、引き寄せられるように俺たちも前に進んだ。

「ルイ、ちょっと不機嫌じゃないか?」

 あれだ。私服を褒めなかったから機嫌が悪いのかもしれない。

「ヤバいところなのか? マリファナが売買されてるような。清潔感あって今日の格好も似合ってるぞ」

「そういう意味のヤバいならば、心配はいらない……多分。日本のマリファナ事情など、私は詳しくはないが」

 多分と言われても、ルイがいてくれるなら大丈夫な気がした。根拠はないけれど、不思議と安心させてくれるのだ。

 エレティックと同じように、地下に通じる階段を下りる。ドアノブに手をかけたとき、ルイは振り返った。

「私の側にいろ」

「う、うん……いるよ」

「なぜ照れる」

「そんな風に言ってもらったの初めてだ。なんか、ぐっときた。ドラマであるような、プロポーズみたい」

 守られているみたいで、嬉しさと驚きか戦っている。火花が散るほどバチバチだ。

「……行くぞ」

 ルイはもう正面を向いていて、ドアノブが動いた。開いた瞬間、お酒の香りが外までなだれる。

 もう一度整理しておこう。名前は秋元賢治氏で、年齢は俺と同じくらい。こんな整理整頓なんか、まったく無意味だと入って知った。

 バーはアルバイト先しか知らないので、基本となるバーはエレティックだ。フロアはカウンターにソファー席、カーテンに仕切られた席もある。席に座るのも店員も、すべて男性。女性は一人もいない。ルイにキョロキョロするな、と目で指摘された。

 ルイはカウンターに腰掛け、俺は隣に座った。

「ミモザと、キール」

 ミモザは知っている。エレティックに来るお客さんも、よく注文しているからだ。キールは初めてだが、確か赤色のカクテルのはず。

「キールはフランスで誕生したカクテルだ。白ワインと、カシス・リキュールを使用する」

「だから赤いんだな。俺、飲んでもいい?」

「ああ」

 なぜこの二つなんだろうか。

「ちなみに、カクテル言葉は?」

 ルイの眉間に皺が寄る。そんな顔をしていたら癖になるぞ。

「後で自分で調べろ」

 バーテンダーは俺の前にキールを置いた。耳元で話したつもりなのに、俺たちの話は筒抜けのようだ。秋元氏の話はすべきではないだろう。

 真っ赤というほどではないが、綺麗な赤だ。カシス・リキュールの量によって、色が変わる。ルイはミモザを傾けたので、俺もワイングラスを当て乾杯した。

「あ、美味しい」

 ついでに、つまみも注文してくれた。チーズを頼むあたり、フランス人っぽい。俺なら枝豆か唐揚げが定番だ。締めならラーメンかお茶漬け。

 ちびちび飲んでいると、大柄な男性が隣に座った。椅子が軋み、避けようにも椅子が動かない。

「ひいっ」

 変な声が出た。腰に回された手は、紛れもなく隣に座るルイのもので。何を考えているのか分からない顔でグラスを傾ける男は、じっと遠くを見つめている。

「え、な、なに?」

 ルイの耳元で囁くと、左隣の大柄な男はどこかへ行ってしまった。しかも大きな舌打ち付きだ。

「どういうこと? 俺、何かしたか?」

「……私の心の静寂を保つ気があるのなら、黙っていろ」

「黙るのか? 喋っちゃダメ?」

「余計なことは何もするな。他に飲みたい酒は?」

「じゃあ……ミモザで」

 ルイはミモザを二つ頼んだ。ミモザのカクテル言葉も後で調べよう。

「細長いグラスだな。見たことがあるよ」

「フルート型シャンパングラス。特徴は炭酸が抜けにくい」

「これ、オレンジジュースと何入ってんの?」

「シャンパン」

「おお、例のあれか。シャンパーニュ地方のやつ」

 メールで教えてもらったアルコールだ。奥野さんにちょっとは良いところを見せられたと思う……主にルイの良いところを。

 ミモザを口にしつつ、カウンターより向こうにいる二人を眺めた。年齢は三十から四十代くらい。俺と同年代には見えないので、まず秋元氏ではない。

 動き回るスタッフは、皆若く見える。二十代と言っても違和感はない。数人の中に秋元氏はいるか、あるいは今日は休みということもある。

「お気に召しましたか?」

「え? ま、まあ……そうですね」

 ミモザを作ってくれたバーテンダーは微笑み、注文を受けたカクテルを作っていく。炭酸水を作った何かだ。

「なあ、ちょっとトイレに行ってきてもいい?」

「ああ」

 席を外そうとしたとき、とんでもないものが目に飛び込んできた。

 カーテン席で、スタッフとお客さんが重なり合っていた。淡い表現で重なり合う、だ。それ以外になんと言ったらいいのか。

 お客さんは交わるのに夢中で俺に気づかない。店員は視線だけを俺に向け、小さく笑った。恥ずかしくなり、できるだけ早歩きでフロアを逃げるように去った。

「な、なんだあれ……」

 キスシーンなんて、テレビでしか見た経験がない。というより、生で見たことがある人がいるとすれば、どんな状況で見たのか聞きたい。人生初の破廉恥な行為は、頭をグラスでたたかれるほどの衝撃の強いものだった。

 俺はここはただのバーだと思っていた。思い込みで、もしかしてここはそういう店なんじゃないのか。そのためのカーテンがある席で、女人禁制のバーで、だから女性がいない。

 トイレから出ようとしたとき、ちょうど入り口に見知らぬ男性が立っている。

「すみません」

 避けて通ろうとしたが、男性は肘に近い二の腕を掴んできた。振り解いて距離を取ると、暗闇のせいで見えづらかった男性の顔が映る。俺の隣に座った人だ。

「さっきの色男はいいのか?」

 何がいいのか、答えに難しい質問だ。下手に答えはせず、沈黙という答えを出した。

「来いよ」

 手首を掴まれそうになり、はねのけた。男性は気を悪くするどころか、海外ドラマの役者のように口笛を吹いた。男性に触れられること自体、俺はトラウマになってしまっているのかもしれない。思い込みだと思い込み、頭を振った。

「このバーにはよく来るんですか?」

「まあな。お前は見ない顔だ。初めてだろう?」

「人を捜しています」

 男性は俺の前髪を指先に絡め取った。払いのけた手は、トイレの壁に押しつけられる。俺は逃げ場がない。腕の中に閉じ込められた。

「ちょっとした味見させろよ」

 アルコール臭を漂わせ、顔を近づけてくる。臀部に力を入れて耐えたのにもかかわらず、耐久できなかったものが背中を伝って首と頭に上る。髪の毛にまで伝い、耳にかかる毛の先が鬱陶しいとざわめいた。

「同意無き行為は犯罪に等しい」

 あと数センチというところで、唇が離れていく。色男のご登場だ。店に向かってきたときよりも、格段に機嫌が悪くなっている。片目が隠されている分、底が見えにくい。

「悪かったな。お手つきでも具合の良さを確かめたかったもんでよ。それで、捜している人は誰なんだ?」

「行くぞ」

 ルイは俺の手首を掴むと、男性の質問には答えずに歩き出した。

 席には戻らず、例のフロアを出て地上に出た。外の空気に触れ、代金の支払いについてどうしようと浮かぶが、彼らはまたお越し下さいと声をかけた。ちゃっかり四杯分の酒とつまみ代を支払ってくれたのだろう。

 大型連休ということもあり、夜でも人は多い。すれ違う女性が口元に手をやり、小さな悲鳴を上げる。手を引かれた子供は指を差し、母親は固まっている。そうだろう。ルイはかっこいいから目立つ。俺も鼻高々だ。

 駅前に来ると、ルイは俺と繋ぐ手をようやく離してこちらを見た。

「お前にGPSチップでも埋め込んだ方がいいのか?」

「スマホがあるけど。犬じゃあるまいしさあ」

「……………………」

 ルイは眉間の皺を解す。

「……トイレが、長い」

「……もしかして」

 心配してくれたのか。いくら待っても戻ってこない俺のことを。ううん、と唸った。長すぎるトイレに返す言葉は、けっこう責任が付きまとう。

「今度、何か奢らせてくれ」

「断る。黙って貯金しろ」

「へへー」

「お前が腹痛に唸っている間、おおよその情報は手に入れた」

「すいませんねえ、トイレが長くて。秋元さんが誰か分かったのか?」

「茶髪を後ろで縛っていた男性がいただろう」

 いた。鮮明に記憶に残っている。それどころか、目が合った。お邪魔してはいけないと、すぐに顔を背けたが。

 ルイは携帯端末を出し、誰かに電話している。相手は占い師のレミさんだ。挨拶もそこそこに、お元気そうでした、と述べる。

「も、もう電話はいいのか?」

「ああ。様子を見てきてほしい、が依頼だった。無事成し遂げた今、解放された。この後の予定は?」

「特にないけど……」

「何か食べたいものは?」

「えー、えーと……焼き肉かな」

「分かった」

 後ろをついていく。ルイと出会った場所も新宿で、焼き肉を食べた場所。懐かしの道を辿る先は、ふたりで食べた焼き肉屋だ。値段が値段なので、ルイのご忠告通りに貯金させてもらおう。

 アルコール類は頼まず、炭酸ジュースで乾杯した。しがない大学生が食べてもいいのか判断に迷う牛肉は、お腹いっぱいになるまで食べさせてもらった。

 今度は俺の端末にメールが届いた。

──お前、今誰と一緒なんだ?

 顔を上げ、辺りを見回すも壁だ。壁壁壁。正面だけはきれいな顔。

 ここまで来るとき、おかしなことはなかったか。つけられている感じもなかったが、あいにく人の殺気や包むオーラに敏感な質じゃない。

「食べ足りないか?」

「いやいやいや……充分です。久しぶりにこんなに気持ちも満たされたよ。牛にもお礼が言いたいくらい」

「骨の髄まで感謝だな」

「確かに、牛骨のスープも美味しかった」

「メールは誰からだ?」

 口を開きかけて、強く閉じた。流れで言わせようとする魂胆か。騙される寸前だった。

「大丈夫だよ、ありがとな」

「何かあったら言え」

「なあ、なんでそんなに優しくするんだ?」

「……………………」

「だんまりだと、良い男からミステリアスな良い男に格上げだぞ」

「お前の思考回路は理解不能だ。大した理由もない」

 ごまかしの意味も込めて、タッチパネルを渡された。最後の飲み物を頼もうとするが、炭酸水はもう入らない。

「ルイもホットコーヒーは飲む?」

「……………………」

「あっごめん、ふたつ注文しちゃった」

「なら飲むしかないだろう」

 数分後、ラストオーダーとなるホットコーヒーがふたつ届いた。扉が開く瞬間、身体が蛇に締めつけられたように固くなった。先輩じゃないと分かっていても、ただの条件反射に気持ちがついていかない。

 砂糖もミルクもなしで、ブラックだ。ルイもどちらも入れず、ストレートで飲む。どちらも見向きもしない。良い男に選ばれなかった砂糖たちは、寂しそうにテーブルの片隅にいた。

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