第11話 占い師・レミ
様子がおかしい俺を気にしてか、何度かこちらを一瞥する。答える気のない俺の気配を察して何も言わなかった。直に分かる。心配してくれる人がいるのは嬉しいが、今は言えない。
十七時開店と同時に入ってきたのは、この前と同じ黒いローブを身につけた女性だ。ミステリアスと言えば聞こえはいいが、どちらかと言うと怪しい。同じ黒服でも、奥野さんとはちょっと違う。
「いらっしゃいませ」
ルイは気にする様子もなく、店主としての顔を振りまいた。
「花岡さん、お久しぶりね」
「本当に来ちゃったんですね……」
「今日は女難の相は出ていないわ。前回は災難だったようだけど」
今の会話で、ルイはすべての空気を読んでくれた。有り難い。一応知り合いなんです、と目で訴えた。
「カウンター席へどうぞ」
「……今度はあなたに女難の相が出ているわ」
「左様でございますね。メニュー表をどうぞ」
あっさり認めたルイは、にこやかな笑みを浮かべてメニュー表を渡した。
実は前回、ストーカーの如く追いかけてくる彼女に業を煮やし、アルバイト先を教えたのだ。彼女の手帳に手書きの地図と店名を書いた後、字に女難の相が出ていると忠告つきで俺たちは別れた。
「そうね……何が良いかしら」
「普段はどのようなお酒を召し上がりますか?」
「ビールやワイン、シャンパンよ。でももう少し度数は強くてもいいわ」
「甘口と辛口は、どちらがお好みですか?」
「甘口で、辛口なもの」
「かしこまりました」
意味が分からない。何をどうすれば了解と言えるのか。
俺の悩みの種など回収せず、ルイは緑の瓶を取り出した。ラベルには、クレーム・ド・ミント・グリーン。『クレーム・ド』がつくものは、糖分とアルコール度数が高いものだと説明を受けた。具体的な規定はもしっかりあるのだろう。
酒屋やスーパーなどでよく目にするテキーラ。そしてライムジュース。シェイカーにこれらを入れ、かっこいいルイの登場だ。
カクテルグラスに注ぐと、宝石のエメラルドのような液体が流れた。エメラルドをまんま溶かしたような色。そうとしか表現できない。それくらいに美しい。
「きれい……」
俺の呟きに、ルイは満足げに差し出した。
「モッキンバードでございます。リキュールは甘めのものを仕様しておりますので、辛さの中に甘みが感じられるかと思います」
占い師はしばらくカクテルを眺めてから、口にした。美味しい、と漏らして。
「なぜこれを?」
「失礼ですが、ラッキーアイテムとお見受けしましたので」
「まあ、まあ。嬉しい。その通りよ。今日のラッキーアイテムは、緑色のものなのよ」
耳には大きな緑色の石がついている。本物だとすればとんでもない額だ。前回会ったときは、石はついていなかった。
「なぜ分かったの?」
「初めに私を見て、女難の相が出ていると漏らした。あなたが占い師だろうと予測できました。そして目立つ耳飾り。ラッキーアイテムではないにしても、何かしらこだわりがあってお付けになっていると思いました」
「すごい、すごい」
はしゃぐ女性を見ていると、怪しい雰囲気は少し和らぐ。占い師として、雰囲気作りも彼女の仕事なのかもしれない。
「占い師のレミよ。池袋でも何度か仕事をしたことがあるの。エレティックは入り組んだところにあるけれど、ここら辺も来たことがあるわ」
「左様でございましたか。当店にお越しのお客様は、道に迷っていらっしゃる方が多いので」
「とても素敵な雰囲気ね」
レミさんはモッキンバードをすべて飲み干し、次は度数は高すぎず、辛口がいいと訴えた。
緑の葉と、物体Wこと砂糖が登場した。最悪の組み合わせに、まさか違うよな、そうじゃないよなと、疑わしき目で何度も見る。今日はお互い、視線で会話をする日だ。
「こちらはミントでございます」
レミさんに説明をするふりをして、入れ物をさり気なく俺に傾けた。ミントだと説明を受けると、鼻に届く香りも良い匂いとして受け取れた。
ライムの輪切りとミント、砂糖、それと少しの炭酸水をタンブラーに入れ、棒で潰していく。氷と何かのリキュール、炭酸水を注ぐ。ミントを飾り、出来上がりだ。モッキンバードとは違い、製法はビルドとなる。
「マンゴヤン・モヒートでございます。マンゴー・リキュールを使ったカクテルになります」
「あら素敵。これも緑色ね」
「カクテル自体は透明です。ミントとライムのおかげで、緑色に見えるのかもしれませんね」
「こういうやり方もあるのか」
歓喜の声を上げずにはいられない。感動しかない。見せ方が格好良すぎる。
半分ほど口にしたところで、ルイは口を開いた。
「さて……詳しい事情は存じ上げませんが、うちの花岡がお世話になったようで」
「ええ。私もお世話になったのだけれど。お人好しの彼にお願いがあるのよ」
「え、俺?」
「ある人の様子を見てきてほしくて」
レミさんはチラシを出し、俺に渡してきた。
「ここのバーなんだけれど、知っているかしら?」
「俺、エレティック以外のバーって行ったことがないですよ」
場所は新宿。新しくできたバーのようで、チラシにはアルバイト募集と書かれている。
「レミさんが行くんじゃダメなんですか?」
「私は行けない。お礼は……そうね、無料で占ってあげる」
「いや、俺は……」
「そちらのバーテンダーさんも含めて」
押しが強いというか、タロットカードを並べ始める彼女は聞く耳がまったくない。
「私の占いはけっこう当たるのよ。本名は花岡志樹さんでしたね」
今さら山田春男だとは言い難い。お巡りさんの前で本名を名乗ってしまっている。
レミさんは話のプロだ。奥に眠る確信には触れられたくなくて、話の方向転換が上手い。占い師として鍛え上げられた技だろう。ここはルイに任せるしかない。落ち着くまで、彼女の出方を伺っている。
「底が見えないほどの深い闇を抱えているわね。禍々しく、人懐っこい笑みの裏には鬼がある。なんとしても復讐してやろうという、狂気が渦巻いている」
「……………………」
確信をつかれた。これが占い師の実力だ。激しく動き出した心臓に、自然と胸を押さえた。
大きく息を吐くと、冷静な俺が待てと止める。深い闇を抱えている人間なんて、山ほど存在するのではないか。きっと、横で眉をひそめるこの男も。
「大丈夫。刺激のある飲み物を飲むと、運気が上がるわ。それと、寄り添ってくれる愛情深い男性。女性よりも男性ね」
「へ、へえ……そうですか」
「次はあなたよ、バーテンダーさん。お名前はなんて仰るの?」
「私の占いは結構。代わりに、調べてほしい人間と関係性、理由を知りたい。虚言を話すならば、この話は一切お断りだ」
バーテンダーのルイも終わりだ。本気と受け取ったのか、レミさんはカードを持つ手を下げた。
「関係性……それは話さなければならないのかしら?」
「当然だ。犯罪に巻き込まれたくないのでね」
耳の痛い話だ。
「……名前は秋元賢治という男性。花岡さんと同じくらいの年の子よ」
「あなたとの関係は?」
「ごめんなさい。言えないわ。なぜかというと、男性に私からの差し金だと察してほしくないからよ。必要最低限の条件の中、動いてほしいの」
言い分も分かる。動きがぎこちなくなると、感づかれる可能性もある。
「犯罪絡みではないの。信じて」
「引き受けましょう」
俺への依頼のはずが、ルイが受けたことになっていた。
女性は連絡先の書いている名刺を渡し、代金を払って帰っていった。すれ違いにお客さんがなだれ込んできて、彼女の話をすることもなく、フロアを忙しく動き回っていた。
片づけを終えた頃にはへとへとになっていて、控え室のソファーで休んでいると、ルイがペットボトルを渡してくれた。
「ありがとう」
一気に半分ほど喉を通す。炭酸水が弾け、口内と喉をほど良く刺激してくれる。
「連休がこんなに忙しくなるとは思わなかった」
「明日も休みだからな」
「秋元賢治さんだっけ? いつ行く?」
「お前は大学があるだろう」
遠回しな表現だ。ペットボトルに蓋をし、不満げに彼を見た。
「それって、ルイがひとりで行くってこと? 依頼されたの俺なんだけど」
「彼女はお前に依頼をするふりをして、ターゲットを私に絞っていた。開いた時間に行ってくる」
「俺も行く」
「犯罪絡みでないとは言い切れん。どんなバーなのか、調べもついていない」
「だったらなおさら行くよ」
ここは譲れない。火花が散ろうとも、新しい武器を駆使しようとも。
攻防戦になりかけたとき、折れたのはルイだ。ルイが折れるしかない。俺は絶対に折れる気はないのだから。
「月曜日の十七時以降は開いているか?」
「問題なし。というか連休だし、一日中暇してる」
「新宿駅で待ち合わせをしよう」
「やった。実はさ、バーに興味があるんだよ」
ルイの顔は、何を今さらと言っている。
「一歩引いた視点でってこと。バーテンダーはルイしか知らないし。そういや、バーテンダーって資格とかあるの?」
「ある」
「持ってる?」
「一応。地元で取った」
「なんか、地元って聞くと近所の兄ちゃんとザリガニを釣ってるイメージだけど、ヨーロッパなんだよな」
「エクルヴィスはあまり食さないな。出身国は分かったか?」
「エク……? 結構調べてはいるんだよ。何か有名なものってある?」
「ワイン」
「分かった、スペイン!」
「外れだ。だが良い線はいっている。マリファナもワインも、ヒントに当たる国ではある。あとは考えろ。さて……ビルを出る。電車が無くなるだろう」
ドイツとスペインではない。そしてワインが有名。ヨーロッパではほとんどの国でワインが有名な気もするが、そろそろいい加減当てたい。
池袋駅で別れを告げ、寄り道をせずにアパートに戻った。ベッドに寝そべりながら端末とに『ヨーロッパ』と検索し、はたと気づいた。
イギリスでもドイツでもスペインでもない。単純に『ヨーロッパ ルイ』と入れればいい。ルイという名前は、男性に多く、昔から使われている名前だ。
「フランス……」
有名なシャンパンもあり、多くのブドウ畑も存在している。フランスと入れるだけで、美しい景色が限りなく出る。
──ルイ、フランス!
ほとんど時間を跨がす、返事が来た。
──Très bien.
トレビアンだ。ようやく当たった。できれば、会ったときにまた言ってほしい。ルイのトレビアンは癖になるし、好きだ。
ルイについて、一つ知ることができた。まだまだ謎は多く残るが、少しずつ聞いて仲良くなれたらいい。
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