3 いつわりの婚約者

 ジャックが捕えられた翌日には、シャロンデイル公爵家に赴く予定が立った。


「シャロンデイル公爵にお目にかかるのは初めてだわ。今日の私、変じゃないかしら」


 赤薔薇を刺繍した黒いバッスルドレスに身を包んだ私は、公爵家の応接室まで来てから自分の服装が気になった。

 女王に拝謁するときはここまで神経質にならないが、それは彼女の朗らかな人柄に影響されてのこと。上流階級は礼儀や作法に厳しく、何気ない失態が後々の社交に響くため、細心の注意を払わなければならない。


「上品で素敵だよ。欲を言えば、もう少し装飾があっても良さそうだけどね」

 とは、過剰装飾が常のダークらしい評価だ。


 ソファで長い足を組む彼は、フランス製のレースでデコレーションした帽子を被ったまま、自宅のように寛いでいる。ルイ一四世時代のような豪勢な家具に囲まれても萎縮しないとは、うらやましい鈍感力だ。


(慣れているんだわ。自分より上位の貴族との付き合い方を、私より早く社交界に出て習得しているんだもの)


 ダークの余裕こそ、男爵家の当主として生きていく私が備えなければならない力だ。人脈を作る話術と交渉力も欲しい。事業の舵取りをしていく判断力も。


(こんなことなら、前世で営業職を経験しとくんだった!)


 経験値の低さが憎らしいが、転生先で気づいたところでもう遅い。せめて髪飾りの位置ぐらいは最終調整しようと鏡を探した。


 来客を迎え入れる部屋には、たいてい大鏡がかけられている。

 少しでも部屋を広く錯覚させるためだ。人間の脳はシンプルなので、鏡に映る部屋を見えると、今いる部屋が鏡の向こうにも続いていると思い込んでしまうのである。


 マントルピースの上に、不自然に短いカーテンを見つけた私は、立ち上がって手をかけた。布を持ち上げようとしたところ、お腹に響くような低音で話しかけられた。


「その布がどうかしたかな?」


 話しかけてきたのは、シャロンデイル公爵だった。私は、カーテンから手を引いて体をひるがえし、その場で腰を深く落とした。


「とても綺麗な織物でしたので、気になってしまいました。失礼をお許しください。私は、リデル男爵家のアリスと申します」

「わたしがシャロンデイル公爵だ。話題の少女当主を迎えられて嬉しいよ。どうぞ立ってくれたまえ。ナイトレイ伯爵との婚約、おめでとう」


 そう言って笑う公爵は、うねりのある金髪が印象的な男性だった。一言で表すならハンサム。頬に寄る笑いじわさえ魅力的で、往年の映画スターのようだ。


「ついでに紹介させてくれたまえ。こちらは、わたしの妻のスージーだ」

「はじめまして、アリス様」


 公爵に細い腰を引き寄せられた公爵夫人は、おっとりした雰囲気の美女だった。

 亜麻色の髪をお団子にして、ゆったりした産後ドレスに、ドイリー編みのケープを羽織っている。

 腕には花柄のおくるみを抱えていた。中身は見えないが赤ちゃんだろう。


「お会いできて嬉しいわ。ナイトレイ伯爵も、ご婚約おめでとうございます。小さな子を連れてご迷惑になるかとも思ったのですけれど、どうしても自分の口でお祝いしたくて旦那様について来てしまいましたわ」

「公爵夫人にお祝いしていただけて光栄ですよ。君もそうだろう、アリス?」

「ええ。ありがとうございます……!」


 私は、ぐっと本音を飲み込んだ。

 婚約は成り行きで仕方なくしたんです! と明かしたかったけれど、それでは婚約披露パーティーの打ち合わせという名目が壊れてしまう。


 公爵は、ダークのそばにある一人掛けの椅子に腰を下ろした。


「さっそく商談と行こう。わたしがチェルシーに所有するプレジャーガーデンズは、自然の中でショーやピクニックが楽しめるのが特徴だ。イベントの一環で気球を飛ばしたり、花火を打ち上げたりもしている。希望があれば手配するよ。どのくらいの規模を予定しているんだい?」


「お互いの知人を招いての、気楽なお披露目にするつもりです。時間帯は、昼間にしようと思っています」

「それなら気球だな。祝い事らしく花びらを降らせるのがおすすめだ。夏場だから色とりどりの花を準備できる」


「でしたら、薔薇の花びらをお願いできますか。彼女は薔薇が好きなので――」


(ダーク! そんなことより、ジャックについて尋ねてちょうだい!)


 隣に座ってそわそわする私には、近くのスツールに腰かけたスージー夫人が話しかけてくる。


「アリス様、婚約披露パーティーで着るドレスはお決まりになりまして? 新婦のイメージから白を選ぶ方が多いのですけれど、お好きな色の方がいいわ。白は結婚式でも着られますもの。ナイトレイ伯爵の瞳の色に合わせた青なんて素敵ね」


「参考になります。スージー様は、ご自分のサロンを解放されていますよね。以前、他家のご令嬢がもよおしたお茶会で入る機会がありまして――」

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