2 闇のなかの目撃者

 シャロンデイル公爵といえば、王族と近しい血脈を持ち、さまざまな事業を営んだりスタートアップに出資したりして、富と名声を得ている有名な人物だ。


 産業革命と農業不況で地価が下がり、資産を食い潰さなければ生活できない貴族も多いなか、立ち回りの上手さが飛び抜けているとダークも褒めていた。


 公爵ほどの人物が、なぜ治安が悪いイーストエンドにいたのだろう。

 考えこむ私の耳に、ドードー警部が懐中時計をひらく音が響いた。


「リデル男爵家の当主を名乗っているだけのお嬢さんよりも、公爵殿下の証言の方が信用できるというのが某の見解です。午後一時五十分四十秒、事情聴取を終了します。気を付けてお帰りください」

「いいえ、帰りませんわ」


 毅然と座りつづける私に、取調室を出ようとした警部は首を伸ばして問いかける。


「十五秒ロス。まだ何か?」

「拘留されているジャックへの面会を求めます」

「許可はできませんな。言い忘れていましたが、ジャックは、重要参考人から容疑者に切り替わりました。面会は弁護士とだけ可能です」

「なぜ……」


 驚いて固まっていると、警部は今度こそ出て行った。ふらりと取調室を出ると、ダークが壁に背をつけて待っていた。


「アリス、大丈夫かい? 聞き耳を立てていたところ、横暴な取り調べはなされなかったようだが……。顔が真っ青だ。ドードー警部に脅されでもしたかな」

「ジャックが容疑者に格上げされたそうなの。公爵の目撃証言があるんですって」

「ずいぶんと急な話だ。詳しく話を聞きたいが、ここではよろしくないね。ロビーまで移動しよう。俺の腕につかまれるかい?」

「ええ」


 出された腕に手を絡ませると、ダークはゆっくりと歩き出した。


「ドードー警部は、警察中央庁から『切り裂きジャック事件』の捜査の陣頭指揮を執るために抜擢されてきた方だ。無駄を嫌い、結果を出すことに注力する。公爵が目撃者だというだけで、重要参考人から容疑者へ格上げしたことからも分かるようにね。公爵の見間違いという線はないかな」


「ジャックは以前から現場近くで警官に目撃されていたそうなの。本人もイーストエンドにいたと認めていたから、他人と見間違ったわけではないと思うわ。警部は、ジャックが夜遊びしていたって考えているようよ……」


 話していると、胸の奥がズドンと重たくなった。


(ジャックに、私の知らない面があるだなんて、信じられないわ)


 私がプレイした『切り裂きジャック事件』では、ジャックが警察に逮捕されることはなかった。犯人の疑いがかけられた時点で『アリス』と共に逃亡生活に入り、紆余曲折あってやがて真犯人に辿りつくのだ。


「このままではジャックが犯人にされてしまう。みんなで一緒にいようって誓ったばかりなのに、また引き離されてしまうわ……!」


 死んでしまった両親と使用人達のことを思い出す。置いていかれるのはいつだって私だ。

 これが宿命だとしたら、私は、手に入れた家族を失いながら、地獄のような世界で生きていくことになる――。


「アリス。よく聞くんだ」

「!」


 絶望に飲み込まれそうになっていた私は、ダークに肩をつかまれて我に返る。


「今の君は、目の前に悪魔がいたら命を投げ出して契約してしまいそうに危うい。それでは、一家の当主としても、一人の人間としても、何も守れないよ。未来をどうかしたいなら、手の中にあるものを整理するんだ。君が持っているものを思い出せるかい」


「私にあるものは……。帰るお屋敷と、家業の責任と、大切な家族と――」


 深い青の瞳と見つめ合うと、胸元がじわりと熱を持った。


「――烙印があるわ。あなたに焼きつけられた、悪魔の子である印が」

「そうだよ、レディ。悪魔を味方につけたご令嬢なんて、後にも先にも君だけだ。ただし盤上(ゲーム)にはルールがある。最初は動けないから焦りもするが、こちらが取られたのは駒一つだ。出足さえ間違わなければ十分に勝てる」


「まるでチェスの世界だわ。私は黒い方の駒ね」


 白と黒の駒で行うチェスは、白い駒が先手になる。そう考えると、闇色をまとう私が後手に回るのは致し方ないような気さえした。


「ありがとう、ダーク。落ち着いたわ。私、ジャックの無罪を信じる。彼が殺人事件なんて起こすはずがないもの」

「俺もそうするよ。目撃者に、ジャック君が犯人だと思った理由をお聞きしたいね。相手の家名については聞けたかい?」

「シャロンデイル公爵よ」


 すると、ダークは「縁のある相手だ」と眉をひそめた。


「婚約披露パーティーは、プレジャーガーデンズを貸し切って行いたいと話していただろう。その相談をしていたのが、シャロンデイル公爵なんだ。公爵は、チェルシーに大規模なガーデンを所有しているからね」

「そうだったの」


 彼との婚約を承服しかねる私は、煮え切らない態度で婚約披露パーティーの計画について聞いていたが、こんな形で事件の関係者と繋がるとは。


『アリス』にまとわりつく因縁のようなものを感じざるを得ない。


「会いたければ、すぐにでも約束を取り付けられるよ」

「お願いするわ」


 先走っていたダークのおかげで、私はシャロンデイル公爵と面会する機会を得られたのだった。

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