第二章 切り裂きジャック事件

1 不本意な取調べ

 ジャックが連行された日の午後。私は警察署のうす暗い取調室にいた。


「午後一時十分二十秒。『切り裂きジャック事件』の重要参考人、リデル男爵家のジャックについての事情聴取をはじめる」


 時刻を読み上げたドードー警部は、格子のついた高い窓を背にして、ギイギイと鳴る古い椅子に座らされた私の周りを、捜査資料を持って歩き回る。


「七月十五日の未明。ホワイトチャペル地区の路地裏にて、身元不明の女性がメッタ刺しで発見された。被害者は二十代から三十代前半とみられる。検死のときに撮った遺体写真があるので、見ていただけますかな」


 デスクに出された写真は二枚。顔のアップと、切り裂かれた上半身だった。セピア色の画面で目を閉じた被害者に見覚えはない。


「存じませんわ」

「そうですか。それにしても、貴殿ぐらいの少女が遺体写真を見て顔色一つ変えないとは驚きですな。いけません、話が脱線してしまった。三十秒ロス」


 ドードー警部は時刻の把握に余念がない。時間を気にすることで、取り調べ相手にプレッシャーを与えているのだ。

 周りを歩くのも、資料の束を何度もめくって音を立てるのも、全ては私を動揺させるためのテクニック。


 口を滑らせて、ジャックが不利になる証言をつかもうとしているのだろう。

 油断ならない相手だ。


「事件現場の壁には、『切り裂きジャック』を名乗る人物からの犯行声明が残されていました。これについてはご存じで?」

「新聞で読みましたわ。ですが、名前が書かれていたからといって、ジャックという人物を逮捕するのは早計ではありませんこと? 私が犯人でしたら偽名を使います」


「素人の考えですね。大抵の犯人は事件直後には興奮していて、常識とは逆さまのことを仕出かす者も少なくありません。わざと本名を残して捜査線上から外れようとしたか、自己顕示欲を抑えられなかったかのどちらかでしょう。犯行声明をジャックという人物が書いた可能性は六十二%です」


 どういう計算式なのか知れないが、ドードー警部は、ジャックを優先して疑う方針のようだ。私は、警部の気に障らないように、かたい口調で反意を示してみせる。


「ジャックという名の人間が犯人だとして、どうしてリデル家に仕えるジャックが重要参考人なのですか。どこにでもいる普通の名前でしょうに」

「目撃情報があります。執事服を着崩した若者が、現場近くから立ち去ったと」


 ドードー警部は、資料の束から付箋を貼っていた調書を引っ張った。


「その若者は、ひと月ほど前からホワイトチャペル付近で目撃されていました。後ろ暗いことでもあるのか、見回りの警官が事情聴取しようとすると逃げていく。ロンドンにいるジャックの中で、外見の特徴が合致するのはリデル男爵家に仕えるジャックのみ。本人である確率は九十八%と高い。ですから、重要参考人として連行したのです」


 私が外出を止める前から、ジャックはイーストエンドに通っていたらしい。

 リーズは「デートに行ってくるわ」と告げて気ままに出かけることが多いが、ジャックは買い出しに行くにも手紙を送りに行くにも、目的地と帰る時間を伝えてから家を出る。


 別人のような面を知ってしまって、私の胸はざわついた。


「……ジャックは、どうしてイーストエンドに通っていたのかしら……」


 ぽつりと呟くと、ドードー警部は大きな鷲鼻をスンと動かした。


「あの辺りには救貧院や集合団地があり、貧しい女性が多く暮らしております。安く飲める酒場(パブ)もある。若者が後腐れなく遊ぶには都合がいい場所でしょう。気に入りの女性でもいたのでは?」

「ジャックは、行きずりの恋愛なんてしませんわ」


 攻略対象である以上、ジャックが恋する相手は『アリス』だけだ。それがたとえ、彼以外のキャラクターを攻略するルートでも変わらない。


 乙女ゲーマーは、推し以外のルートも攻略するのが一般的だ。自分に愛をささやくキャラクターが他の女性と付き合っているところなんて見たくない、という絶妙な乙女心に配慮されているので、攻略対象に別の女性が近づくことはない。


 しかし、それをドードー警部に説明するわけにはいかなかった。トラックに轢かれて転生してきたなんて話したら、不審者扱いはまぬがれないだろう。


 ドードー警部は、すっかり私を世間知らずの娘と誤解して憐れんでくる。


「信じたくないでしょうな。ですが、使用人というのは主人の前では本性を隠しているものです。リデル男爵家に仕えていたジャックは、どのようなお人柄で?」

「家族を気遣い、私によく従ってくれる、素晴らしい執事ですわ」

「いかにも犯人らしい。事件当夜、ジャックがご在宅の証拠は?」

「ありません。けれど、彼に人を殺してみたいなんて欲はありませんわ」


 リデル男爵家の家業は、警察や司法では裁けない凶悪犯を断罪することだ。


 逃亡している犯人を捕らえて、そのまま処刑する場合も多々ある。ただでさえ血なまぐさい日常を送っているのに、わざわざ通り魔になる必然性がジャックにはない。


 もっとも、暗躍していることは秘密なので無罪証明にはならないが、私は貴族だ。上流階級に属する私の発言は、市民の目撃談よりは重く扱われる。


「これは男爵家の当主としての発言ですわ。きちんと記録なさって。ジャックは、殺人事件など起こしません。共に暮らしてきた私が主張します」

「申し訳ありませんが、その証言は重要視しかねます。男爵家より高位であるシャロンデイル公爵の証言がありますので」


「公爵が、目撃者なのですか?」

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