5 死亡フラグは手を振らない
死亡フラグは、転生した私がもっとも憂慮している事柄だ。
『悪役アリス』はただの恋愛物語ではない。
発売した年にもっともプレイヤーを死なせたゲームに贈られる『死にゲーオブザイヤー』の称号に輝いた、唯一無二の乙女ゲームなのである。
乙女ゲームには、攻略対象の好感度を上下させるための選択肢が表われるが、選ぶ内容によっては死亡することがある。
その危険性が、このゲームではことさら高いのだ。
それでなくとも『アリス』は危機に遭いやすい。リデル男爵家が、正攻法では裁けない凶悪犯を闇に葬り去るという、特殊な家業をしているせいだ。
前世の私は、恋を盛り上げるスパイスとしての危険は大好物だった。
けれど、転生して一度きりの人生を与えられたら、誰だって考え直す。
クイックセーブ&ロードの仕組みがない以上、純粋に好きだと言っていられない状況にもなり得るのだから。
たとえば、そう、今みたいに!
「このままではぶつかるわ! 馭者に命じて草原へ避難して!」
「避難する必要はない。こちらは左側通行を守っているのだから」
「意地を張っている場合? もう、ぶつかるわっ!」
私は両手で頭を抱えて、スカートに顔を埋めるように小さくなった。
飛行機が緊急着陸するときの対ショック姿勢だ。馬車でも有効かは知らないがしないよりマシだろう。
(こんなところで死にたくない!)
ぎゅっと目をつむって、舌を噛まないように歯を食いしばる。
客車が揺れても跳ね飛ばされないように足を踏んばる。
衝突する準備はばんたん、だったのだが――。
(あれ?)
待っても待っても衝撃が来ないので、私は体を起こした。馬車は先ほどまでと変わらずに走り続けていて、ダークは頬杖を突いて車窓を眺めている。
「避けられたの?」
「違うようだ。アリス、表を見てごらん」
言われて車窓を覗きこむと、周囲には牧歌的な情景が広がっていた。
風にたなびく夏草の草原に、先ほどあったはずの物が見えない。
「馬車の影がない……。ということは」
反対側の窓から見ると、馬車一台分の影が街道に落ちていた。
「さっきとは真逆に進んでいるわ。いつの間に方向転換したの?」
「していないよ。この馬車は、先ほどからまっすぐに進んでいる」
「まっすぐに進んでいるなら、ロンドンに引き返すのはおかしいわ」
「そう、おかしいんだよ」
ダークは、顎に手をかけて悩ましげに目を伏せた。
「街道を進んでいくと、いつの間にか道を引き返してしまう。何度やっても、どこを通っても、ロンドンへと戻ってしまうんだ。先ほど見た対向車がヒントになりそうだ。ぶつかりそうになった地点で降りてみようか」
回送場で方向転換した馬車は、街道を引き返して、対向車と衝突しそうになった境界付近でとまった。客車を降りた私は、注意深く道を観察する。
「事故が起きた形跡はないわ。車輪のあとはどれもまっすぐだから、反対車線に飛び出した馬車もいなさそうよ。さっきの馬車はどこに消えたのかしら……っ!」
顔を上げた私は、ぎょっとした。
ダークの後ろにとまっていた馬車が、消えた対向車に瓜二つだったから。
「ダーク! 後ろのそれ……」
「ああ、これはナイトレイ伯爵家の馬車だよ。今まで君と俺が乗ってきたものだ」
「ぶつかりそうになった馬車と、外観が全く同じだわ!」
金の装飾が施された馬車は、四隅に掲げられたランタンまで対向車とそっくりだ。
同じ工房で作られたのだろうか。
私がいぶかしんでいると、ダークが道の先を指さした。
「ぶつかりそうに見えたのは、恐らくそれのせいだね」
そこにはダークが立っていた。驚いて顔を戻すと、そこにも彼がいる。
「ダークが二人いる……?」
「同じではないよ。よく見てご覧」
進行方向にいるダークは、鏡に映したように左右が逆転している。
左肩からかけたエシャルプは右肩にかかっているし、帽子のツバに飾られた馬の模型は、逆に向かって前足を上げていた。
まるで、街道の真ん中に、大きな鏡でもあるようだ。
(けれど、私の体は映っていないわ。どういうことなのかしら?)
ダークが歩くと、鏡像のダークも一歩を踏み出す。
見つめ合ってニコリと微笑んだ彼らは、お互いにぶつかり合うように重なった。と思ったら、ダークは私の方に向かって進んできた。
鏡像の方は、背中を見せて遠ざかっていく。
「不思議だわ。鏡を通り抜けて出てきたみたい……」
「鏡か。言い得て妙だね、アリス」
ダークは、楽しげな顔で鏡像に手を振った。
すると、向こうも同じ動きで振り替えしてくる。
「俺がロンドンから出られないのは、この不思議な鏡があるからだと思われる。俺が乗っていれば馬車ごと、徒歩なら俺と身に着けている物一式が、元来た道へ戻されてしまうんだ。他の道や森の中も試してみたが結果は同じだった。汽車でも試してみたいが、もしも車両が進行方向と逆に線路を走り出したら大事故になってしまうから、あきらめたよ」
ダークは、リデル邸を訪れるまえに、考え得るルートを全て試行していたらしい。
徒労におわると人は予想以上に疲れるものだ。私は、彼に同情した。
「こんな現実離れしたことを起こせるのは、悪魔の子か悪魔くらいでしょう。悪魔の子の仕業なら、あなたの力で破れるんじゃないかしら」
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