4 キスは邪魔するもの
筋金入りの乙女ゲーマー……じゃなかった、乙女ゲームの主人公をなめないでほしい。
ツンと顔を背けると、ダークは私のおとがいに指をかけて振り向かせた。
「分かったよ。お別れのキスをしてくれるなら、すぐに出て行こう」
「キっ!? そんなのする必要はないわ!」
「なぜそんなに驚くんだい。この間もしたじゃないか?」
「前のは、緊急事態で仕方なくよ!」
「嫌々ながらではなかったはずだ。だって君、俺に恋をしているもの」
「~~~!」
ニコリと微笑まれて、私の顔に血が集まった。
ダークに関して、重要な情報を一つ付けくわえる。彼の正体は悪魔で、キスをした相手の心を覗くことができるのだ。
人知を超えた力のまえでは、秘めたる恋心なんて通用しない。
(ダークにばっかり特殊設定を盛りすぎなんじゃないの!)
開発元に長々と書いたお客様アンケートを送りつけたいところだが、悲しき哉ここは乙女ゲームの中。世界を作りたもうた前世の人々に、思いの丈を伝える術はない。
むうと口を尖らせると、ダークは切なそうな顔で溜め息をついた。
「アリス、そんなに可愛い反応をしないでくれ……。本当に、するよ?」
ダークの背が傾いて、美しい顔が近づいてくる。彼に迫られると拒否できない私は、ドキドキと心臓を高鳴らせて、甘い雰囲気に飲まれていく。
目を閉じてキスを受け入れようとしたら、耳元でジャキンと鋭い音が鳴った。
「誰の目の前で、お嬢に手を出そうとしてやがる……」
目蓋を開けると、ダークの首元にサーベルが突き当てられていた。怒りの形相で刃をかまえているのは、剣の使い手であるジャックだ。
私の足下に仰向けになったディーは、ボウガンでダークの眉間を狙い、背中にくっついたダムは、私の脇の下を通して二本のダガーをダークの腹部に突きつける。
椅子に座ったリーズはというと、頭上にあるパラソルの石突きにチェーンベルトを引っかけて、垂らした錘でダークの後頭部を潰そうとしていた。
「お嬢から離れた方がよろしくてよ、ナイトレイ伯爵。うちの薔薇をさらに赤く染めたくなければね」
「やれやれ。君たちは、本当にキスを邪魔するのが上手だね」
頭上の錘を手で寄せたダークは、後ろに下がって刃から離れた。
「どうせ薔薇を染めるなら、白い花が咲く木を植えてからにしてくれたまえ。リデルの子たちがせっせと庭いじりする横で、俺はアリスを甘やかしているから」
「ふざけんな。こっちは本気だ!」
怒ったジャックの手袋が火を吹いた。あっという間に燃えつきた布のした、両手の甲に浮き上がっていたのは、黒い薔薇の紋章だった。
これは『烙印(スティグマ)』だ。
悪魔が蘇らせた人間に押す印で、押された人間は『悪魔の子(スティグマータ)』と呼ばれる異能持ちになる。
ジャックには『憎きものを燃やし尽くす炎』が宿っていて、感情が高ぶると表に出てしまうのだ。
「ジャック、落ち着いて」
「落ち着いていられるか。こいつは、オレたちをからかうために戻ってきたんだぞ!」
「さすがのダークも、そこまで性格は悪くないと思うわ。事情があるのよね?」
私が尋ねると、ダークの青い瞳が意味ありげに揺れた。図星だったらしい。
「なんかあったのか?」
ジャックが炎を弱めると、ダムとディーも武器を反らし、リーズはベルトを巻き取りはじめた。
リデル一家全員から心配そうな視線を送られたダークは、訪問先で紅茶に入れる砂糖の分量を尋ねられたときのように、控えめに言い放った。
「大声では言いにくいんだが……。実は、ロンドンから出られなくなってしまったんだ」
「「「は?」」」
信じられないカミングアウトで、幸せなお茶会に幕は下りた。
† † †
ロンドンの西に抜ける街道を、ナイトレイ伯爵家の馬車はひた走っていた。
道には長距離馬車がつくった轍がいくつも交差していて、車輪が乗り上げるたびに客車が大きく揺れる。
私は、ガタゴトとうるさい騒音に負けないくらいの大声で、向かいに座ったダークに話しかけた。
「ロンドンから出られなくなったって、いったいどういうことなの?」
「見てもらった方が早い。そろそろだ」
ダークに言われて小窓から顔を出す。
広がる夏草の草原は、毛足の長いラグのようだ。飛び込んだら気持ちよさそうな一面のふわふわに、走る馬車の影が落ちている。
(まわりは草原だわ。落石が起きそうな場所には見えないし、木が倒れて道を塞いでいるというわけでもなさそう)
進行方向を見ると、一台の馬車が近づいてくる。
大英帝国の馬車は、左走行が暗黙の了解として知れ渡っている。馭者は右手で鞭を振るうことが多いので、左側に寄ると他の馬車に当たりにくいのである。
ところが、毛並みのいい白馬に引かれた対向車は、こちらから見て右には寄らずに、まっすぐに向かってきた。あわや正面衝突の危機に、私の血の気が引く。
(これって、まさか死亡フラグなんじゃ――)
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