3 のけもの伯爵の来襲

 大きなナイフを取り上げたジャックは、『アリス』の執事、兼、リデル男爵家の使用人だ。

 料理から庭の手入れ、新聞のアイロンがけや雑事までを一人でこなしてくれていて、我が家の生活は彼がいないと成り立たない。


 不良っぽい見た目のせいで誤解されがちだけれど、真面目で思いやりのある人柄だ。欠点といえば、怒りが抑えられない激情家なところくらいだろう。


 ジャックも双子やリーズと同じく、攻略対象キャラクターの一人である。


 主人公至上主義のワンコ系従者キャラに、どれだけのプレイヤーの心が撃ち抜かれたか定かではない。

 何を隠そう、私の最推しもジャックだった。


 その愛はとどまるところを知らず、大量に集めたグッズで祭壇を作り、誕生日や発売記念日にはSNSに写真をアップするほどに夢中だった。


 狭いアパートの一角を占める祭壇がどうなったかは、突然の事故で転生した私には知るよしもない。中古系のホビーショップかフリマサイトに持ち込まれて、新たな持ち主に恵まれていますようにと願うばかりだ。


 フラップジャックを格子状に切り終えたジャックは、人数分の小皿に盛りつけていく。


「お嬢がすすめてくれた通り、上手に焦がしたから美味いはずだ」

「上手に焦がすって、キャラメリゼでも習得したの?」


 眉根を寄せるリーズに、私はぴんと指を立てて教えた。


「うちのオーブンは火加減が難しいみたいだから、サッと焼けるタイプのお菓子から慣れていったらどうかしらって提案してみたの。フラップジャックは、お焦げまで美味しく食べられる基本の焼き菓子だから、練習にちょうどいいわ」


 スコーンは少し焼きすぎだけれど、仕上がりは上々だ。


 リーズは、さして興味なさそうな顔で、切り分けられたフラップジャックを口に入れた。歯で噛みくだくと、ザクリと小気味良い音が鳴る。


「お嬢みたいに甘いわね。次はイートンメスを作ってほしいわ。酸っぱいストロベリーソースを焼いたメレンゲにかけるの。アタシ、あれが好きなのよ。まるで人生みたいな味がするんだもの」

「ずいぶん口当たりの軽い人生だな」


 軽口をいなしながらも、ジャックは「練習する」と約束した。

 努力家の彼のことだから、明日のお茶の時間には、焦げたメレンゲがテーブルに並んでいるかもしれない。


 ジャックは、かたく絞った布巾で手を清めて、噴水の周りを走るダムとディーを呼ぶ。


「おい、双子。蝶なんて食えないものを追ってないで、さっさと席に着け」


 すると二人は、足を止めて頬を膨らました。


「ジャック、試さなければ空理空論」

「ジャック、挑まなければ試合終了」


「ヘリクツをごねるな。食えないものを食って腹を壊したら、苦しむのはお前らだぞ。それに、蝶は人の手が触れて鱗粉が取れると上手く飛べなくなる。そんなことをしていいのか?」


「「それはかわいそう」」


「だろ。さっさと席について、オレが焼いた菓子を食え。タルトはまだ焼けないが、今日の菓子はけっこう良い出来なんだ」


 双子が席に着くと、ジャックはアイスミルクティーをグラスに注いで、二人のまえに置いた。リーズはポットから自分用のコーヒーを注ぎ、空になった私のカップを熱い紅茶と交換してくれる。


「ああ、本当に幸せだわ……」


 このところは、大英帝国の平和を揺るがす大事件も起きていないし、社交の季節が終わって多くの貴族が自分の領地に帰ってしまったので、気が重たいパーティーに出席する必要もない。


 おまけに、今までしょっちゅう顔を見せに来ていた、とある人物の姿もないのだ。

 開放感に包まれた私の目には、夏の日に照らされた世界がキラキラと輝いてみえた。


「ついに、ついに家族の団らんを楽しめる日が来たんだわ! もうダムとディーの養子縁組や、婚約披露パーティーの話を聞かなくてもいいの。生きとし生きる全てに、スタンディングオベーションしたい気分よ!」


「喝采中に失礼するよ」

「ひえっ!」


 思わぬ方向から聞こえた低音にびっくりした。

 ビクビクしながら声の方を見れば、薔薇の生け垣を通る小道に、今朝方ロンドンを発ったはずの美青年がたたずんでいた。


「あなた、どうしてここに……」

「君と離れるのが寂しくて、戻ってきてしまったよ」


 近づいてくる歩調に合わせて、帽子に巻いた大きなリボンが揺れる。ジャケットにもレースやフリルがあしらわれていて、舞台衣装みたいな過剰装飾だ。


 個性的な装いの彼は、ダーク・アーランド・ナイトレイ伯爵。

 私に求婚という名のストーカーをしている貴族だ。

『悪役アリスの恋人』のファンディスクにあたる『悪役アリスの婚約』で追加された、攻略対象キャラクターでもある。


 脇役時代から人気を博していただけあって顔がいい。

 有名声優が担当しているだけあって声もいい。貴族で、身長も高いし、頭も良いという、女性の理想を詰め込んだお買い得セットみたいな存在である。


 宝石のような青い瞳に見つめられたら、老若男女問わずノックダウン確実。もだえたままテンカウントを聞くことになるだろう。――私以外は。


「そうでしたのね。こちらは微塵も寂しくないので、心置きなく出立なさって。お帰りはあちら」


 つれなく言って、庭の向こうを指さす。

 見目麗しい攻略対象に囲まれて生きている私に、単なるイケメンは通用しないのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る