2 リデル一家の日常

 椅子を降りた二人は、夏服のセーラー衿を跳ねさせながら、噴水の周りを飛んでいた黄色い蝶々を追いかけた。

 ぴょんぴょんと軽快な足どりは野ウサギのように愛らしい。


(手元にスマホがあったら、動画を撮って永久保存していたのに!)


 産業革命で工業製品が増えたとはいえ、さすがに電子機器は発明されていない。

 写真を撮る技術はあることにはあるが、被写体を静止させて時間をかけなければ映像を焼き付けられないので、思い出の瞬間を激写できるような代物ではない。


(せめて目に焼き付けよう。うなれ、私の記憶力!)


 目蓋の筋肉に力を入れて目をカッと開く。

 記憶をつかさどる海馬をフル作動させていると、ダムは一直線に噴水へ向かい、ディーが迂回して蝶々をはさみこんだ。


 虫取りにしては本格的に追い込んでいく。さすがうちの子、最強だわ、と感心していたら、半袖から伸びた手が服の下にもぐった。


 私は、はっとして声を張り上げる。


「ダム、ディー、武器は使用禁止よ!」


 すると、隠し持っていたダガーナイフとボウガンを取り出した双子は、大きな目をまん丸にして振り返った。


「「使っちゃだめ?」」

「ダメです。かわいく小首を傾げてもダメなものはダメ」


 私が腕を交差させて『×』マークを作ると、双子はしぶしぶ武器を戻した。


 日常的に戦いが染みついているダムとディーは、今みたいに実力行使で何でも手に入れてしまいそうになる。

 元気で何より……と見守りたくもなるけれど、遊ぶ相手が可哀想なので、見かけたときは止めるようにしている。


「二人とも元気ねえ。あんなに走ったらアタシは溶けちゃうわ~」


 空いた椅子に腰かけたのは、伸ばした髪を片側で結った若者だ。


 名をリーズという。

 オネエ風の話し方と垂れ目が色気を醸しだしている美人で、リデル男爵家では、多彩な人生経験を生かして『アリス』の相談役をこなしている。


 美容法やファッション情報を逐一チェックしていて、パリの流行まで把握しているお洒落さんなので、着こなしの相談をするなら彼だ。

 実際、私の服のほとんどがリーズの見立ててで仕立てられたものである。


 暗い色のシャツにチェーンベルトを回した着こなしが目立つが、リーズのスタイルをひときわ華やかに見せているのは、首に巻いたストールだろう。

 濃淡がついたピンク色が悪目立ちして、首から上が宙に浮かんでいるように見える。


 夜の通りで出会ったら腰を抜かすキャラクター、不動の第一位である。


「アタシくらいの年齢になると、何かを捕まえてどうこうするより、どうやったら何ものにも捕まらずに生きていけるか考えちゃうのよね。このままだと、あっという間におじいちゃんになるわ。嫌になっちゃう」


 中年みたいな発言をしているが、リーズはまだ二十五歳だ。

 肌はツヤツヤしていて、老いの気配は微塵も感じられない。


「リーズがおじいちゃんになる頃には、私もおばあちゃんね」


 私は、白髪になって腰の曲がったリーズと同じように年を取った自分を想像した。


 心がぽかぽかして幸せな気持ちになる。

 だって、それだけ長生きできたってことだから。


 アンチエイジングが美の主流だった前世の日本では、年齢より若く見える事がステイタスだった。けれど、死と隣り合わせで生きることを運命づけられた今の私は、年齢を重ねた分だけ老いていきたい。


 大切な家族と一緒に――。


(その点で言うと、乙女ゲームの世界って厄介なのよね。トゥルーエンドに辿り着いたキャラクター以外とは、離別するのがセオリーだもの)


 乙女ゲームのトゥルーエンドは、たいていが『しあわせな結婚』で締めくくられる。攻略キャラクターとの結婚式シーンが最後のスチルであることも珍しくない。

 最終的に結ばれなかったキャラクターとは、距離ができてしまうのが王道のテンプレだ。


 私に言わせれば邪道である。


 花嫁にあこがれを抱く女性が多いから不可抗力なのだけれど、女性の幸せのかたちは結婚ばかりではない。

 もしも私が乙女ゲームを作るなら『みんないっしょに幸せに暮らしました!』という、特大トゥルーエンドを用意する。


「長生きして、みんなといつまでも一緒にいたいわ」


 見えない未来に思いを馳せる私の言葉に、リーズは「お嬢は心配症ね」と笑ってくれた。


「一緒にいられるに決まってるじゃない。アタシたち、みんなお嬢が大好きなんだもの。たとえお嬢が嫌がっても離してあげないんだから、こんな風に――って、痛―っ!」


 両腕を広げてハグを迫るリーズの額に、高速で飛んできたスコーンがぶつかった。

 はるか十メートル先で野球選手のようにかぶりを振っていたのは、執事服を着崩した黒髪の青年――ジャックだ。


「てめえ、お嬢に何してやがる……」

「何って、親愛のハグをしようとしただけよ」


 跳ねあがったスコーンをつかんだリーズは、涙目で抗議する。


「それより何なの、このカッチカチのスコーン。焼きすぎなんじゃないの!?」

「生焼けよりいいだろ。ただでさえ暑いのに余計なことさせんな。うぜぇ……」


 ジャックは、白いクロスをかけたテーブルの横にワゴンを寄せた。

 ワゴンの上には、狼の口が開いたスコーンと一口サイズのプチケーキが並んでいて、メインの大皿からは、ほかほかと甘い湯気が立つ。焼きたてで美味しそうだ。


「いい匂いね」

「フラップジャックの香りだ。オーツ麦に、バターと砂糖とゴールデンシロップを染みこませて、カリカリに焼いてひっくり返した。さっそく切り分けよう」

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