6 一夜あけてふりだしに


 窓の外が明るくなった頃、廊下につながる扉から軽いノック音がした。

 返事をすると、銀盆をかかえたジャックが現れた。


 後ろには、心配そうな表情をしたリーズが連なっている。

 今朝まで私用で外出していたはずなので、私の怪我を先ほど知ったのだろう。部屋に入るなり、まっすぐに駆け寄ってきた。


「お嬢、怪我の状態は?」

「少し腕を切っただけよ」


 答えながら、私はゆっくり起き上がった。

 眠らずに警戒をつづけたので、意識がぼうっとする。

 リーズは、私の手首から二の腕まで巻かれた包帯を見て、顔をしかめた。


「すごく痛そうだわ」

「見た目ほど酷くないの。これはジャックが念を入れて巻いてくれただけ」

「……アタシ、三人に付いていけばよかったわ。肝心なときに家にいないなんて、なんてバカなのかしら…………」


 苦しそうな声でそう言って、リーズは私の肩に額を寄せた。

 そのまま柔く抱きしめられた私は、目を伏せて微笑む。


「気に病まないで、リーズ。このくらいならすぐに塞がるわよ。傷は、まあ少しは残るかもしれないけれど……」

「アタシ、それでもいいわ」

「え?」


 返事に驚いて目を開ける私を、リーズが熱の籠った瞳で見つめてくる。


「傷が残ったら、アタシがお嬢のことをお嫁にもらうわ! アタシ、お嬢だったらボロを着ていようが、言葉が通じなかろうか、体が傷だらけだろうが愛せるもの。たとえになっても毎日キスして可愛がっちゃうんだからっ!」

「お嬢でグロい想像してんじゃねえ! お前にはやらん」


 父親のような口調でリーズを引き離したジャックは、私の膝もとに銀盆をのせた。


 盆の上には、おいしそうな朝食が準備されている。

 焼きたてのパンには黄金色のバターが染みこみ、ニンジンやセロリが浮かんだミルクスープが湯気をたてる。どれもやさしい匂いがした。


「すこし腹に入れろ。栄養を取らないと怪我が治らない」

「ありがとう、ジャック」


 私は、パンをつまみながら、昨晩あったことを二人に伝えた。

 ベッドサイドの椅子に腰かけたリーズは、コーヒーをすする手を止めて、双子の頭を撫でる。


「二人とも、頑張ったのね。偉いわ」


 答えるように、双子は「ふにゃむにゃ」とかわいい寝言を立てた。


「その影が悪魔だって、ヒスイさんは言っていたわけね」

「ええ。低級だと形を保てないから、影に見えるそうよ」

「なんでお嬢が悪魔に狙われなくちゃならないんだ?」

「理由には、見当がついているの」


 確信めいたひらめきはずばり、ファンディスクあるあるネタからだ。

 続編で新たに登場するキャラクターは、追加ストーリーの核心に結びついているという法則がある。


 キーワードで整理すれば、私が新たに出会った『ナイトレイ伯爵』と『眠り姫事件』と『影の悪魔』は、必ず干渉し合った形で全貌ぜんぼうを表す。

 そこから逆に推理を組み立てていけばいいのだ。


「私たちは『眠り姫事件』の調査をしているでしょう。『影の悪魔』たちは、犯人探しを妨害するために、当主である私を狙ったのではないかしら?」


 公文書館に侵入したのは、『ナイトレイ伯爵』家の情報を手に入れるためだった。だが、はたから見れば事件の犯人について調べているように見えただろう。


「眠り姫事件の犯人は、悪魔ってこと?」

「私は、悪魔そのものではなくて、悪魔とつながりのある人物だと思っているわ」

「つながりがある、ねぇ……」


 懐疑的なリーズの横で、ジャックはポンと拳をうった。


「どこかの『悪魔の子スティグマータ』が犯人かもしれないってことか」

「人間離れした犯行から、その可能性は高いと思うわ。低級の悪魔を操れる『悪魔の子』がロンドンにいるかどうか調べましょう」


 そう言ったあとで、こっそり二人の顔を見る。

 どちらも私の不安には気づかなかったようだ。


 闇を警戒しながら、一晩かけてこの推理にたどり着いた私は怖かった。

 もしも犯人が『ウサギ』だったらどうしよう。

 一時とはいえ『ともだち』だった彼を断罪できるだろうか。


(裁かなければならないわ。だって、私は『アリス』なんだもの……)


 自分に言い聞かせつつ、食事のほとんどを残してスプーンを置く。


「これからは、できるだけ昼に行動しましょう。今日はトゥイードルズを休ませたいから、調査は二人に頼めるかしら?」

「そのつもりだけど……。アタシたちがここを離れて平気? もしも悪魔が現れて、また攻撃してきたら……」


「平気よ。ヒスイ殿は、この屋敷なら悪魔は現れないって言っていたわ。あなたたちだって危ないのだから、暗くなるまでに必ず帰ってきてね」

「わかったわ。頑張ってきちゃうから、帰ってきたらハグしてちょうだいね」


 いつもの笑顔でリーズが立ち上がる。

 足音を立てずに出て行く彼をジャックは追いかける。


「行ってくる。食器は廊下に出しておけ」

「待って、ジャック」


 小声で呼び止めると、彼はゆっくりと振り返った。


「なんだ?」

「眠り姫事件とは別件で、あなたに尋ねたいことがあるの。昔、ダークに会ったことがあるような気がするって言っていたわよね。彼について覚えていなくても、先代のナイトレイ伯爵のことは思い出せる?」


 悪魔崇拝サタニズムをしていたほどの奇人なら、リデル男爵家と繋がりがあってもおかしくないと思った。

 ジャックは「それなら」と答える。


「覚えてる。旦那様が参加されたサロンにお供した際にお見かけした。貴族なのに酷くやせてて、死人みたいに顔色が青白かった」

「あら? その殿方なら、私も覚えがあるわ――」


 ただし、私が会ったのはサロンではない。

 先代の伯爵は、夜がとっぷり更けてから、密かにこの屋敷に来た。

 後ろに、シーツを頭からかぶった男の子を引き連れて。


「まさか」


 前世でプレイした『悪役アリスの恋人』に、『ウサギ』という登場人物はいなかった。そのことを覚えていたのだから、もっと早くに思いつくべきだったのだ。


 ――『ウサギ』もまた、だということに!


「どうして気づかなかったのかしら。そうだったのね……!」


 興奮気味に額を押さえると、ジャックがぎょっとする。


「眠り姫事件の犯人が分かったのか?」

「いいえ。幼い頃の『ともだち』を見つけただけ」

「お嬢に友達なんていたのか?」

「わ、私にも友達くらいいるわよ!」


 失礼なジャックを捜査に送り出した私は、窓の向こうの日差しを晴れやかな気持ちで見た。


 昼間のうちに計画を立てておこう。

 大切な『ともだち』にとっておきのサプライズを与えるために。



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