5 うわさの隠れ家

 オックスフォードサーカスから、そう遠くないホリウェル通りの路地裏。

 私とダークは酒樽さかだるの影に立っていた。


 まだ昼間なのに、酔っ払った労働者が道ばたに寝転んでいる。

 あまり治安のいい場所ではなさそうだ。


「こんなところに何の用なの?」

「しっ。来たようだよ」


 一指し指を立ててダークが見た先には、軒先まで本が積み上がった書店がある。

 そこに、小柄な客が入っていった。

 時代遅れの古着に身を包み、目深く帽子をかぶっているが、淡い色のツイテールには見覚えがある。


(ティエラ・ロックホームズ?)


 ティエラは店に入って三分もしないうちに出てきた。手には、大量の本を入れたとおぼしき紙袋を抱えている。

 彼女が小走りで裏通りを去ったのち、私はダークに問い詰めるような視線を向けた。


「そう怖い顔をしないで。入れば分かるよ」


 彼に連れられて書店に入る。

 暗い店内には、いつ刷られたのか分からない雑誌のバックナンバーが並び、労働者家庭の実用書『ビートン夫人の家政本ミセスビートンズ・ブックオブ・ハウスホールドマネジメント』が平置きになっていた。


 私を棚のそばに置き去りにして、奥へと進んでいったダークは、カウンターで煙草をふかしていた中年の店主に笑いかけた。


「ごきげんよう、ご主人。ここにアレは置いていないのかい?」

「アレってなんのことだかわからねえな。うちは普通の書店だ」

「そうなのかい? 俺は友人に、ここならばお目当てのものが手に入ると教わってきたんだが……」


 ダークは残念そうに顎に手を当てる。

 店主は彼が持っていたステッキをチラリと見た。

 白馬が彫り込まれた上等なもので、持ち手が翼の形になっている。


 値踏みすること、およそ二秒。店主は「メアリアンか?」ともらした。

 誰のことだろうと思いながら耳をそばだてる私は、ダークの声を聞いた。


「そう、そんな名前だった。美人なんだろう?」

「もちろんだ。だが、さっきバックナンバーを買い占めたいって客が来ていてな。ここにはもうネエよ。帰りな」


 手に入れたい雑誌は売り切れてしまったようだ。タイミングが悪かったらしい。

 だが、手でしっしと追い払われてもダークの足は動かなかった。


「冷たいことをおっしゃる。俺は言い値で買うつもりだよ。いくらだい?」


 売り切れだと言われているのに、ダークは値段交渉をはじめた。

 私はというと、広げた本の影からハラハラ見守るしかできない。


(迷惑客になっているわよ、ダーク!)


 どうやってダークを連れて帰ろうかと思っていると、店主が急ににやりと笑った。

 そして、カウンターの下に手を入れ、何冊かの雑誌を出した。


(――在庫、あったの!?)


 びっくりしたのは私ばかりのようだ。

 ダークと店主は、はじめから目の前に雑誌があったように話を進めていく。


「メアリアンが出てるのは、これで全部だぜ」

「一部ずついただこう」


 ダークは多めに銀貨を渡して、雑誌を買い上げた。私を連れて足早に店を出ると、通りで辻馬車ハンサムキャブをつかまえて乗りこむ。

 かたい座席に並んで座った私は、となりのダークを恨みがましく見た。


「あんな風に取引して、いったい何を買ったの?」

「……君に見せたくはないんだけど……」


 ダークが紙袋から出したのは、裸の女性が描かれた雑誌だった。


 デッサン画の裸婦らふ像のように自然体のものではない。豊満な体をくねらせたり、隠すべきところを広げたりと、悩ましげなポーズをとっている。


「こ、ここ、これって、まさかっっ!」

「いわゆる大人向けポルノ雑誌だね」

「法律で禁じられているはずだわ。こんな本を作るのは!」


 つま先から頭まで真っ赤になって憤る私を、ダークは微笑ましく見ている。


「そうだね。製造も販売も禁じられているよ。だが、このホリウェル通りは、こういった地下出版書籍の宝庫として有名なんだ。俺のような貴族が知っていても不思議ではないレベルで」

「どういうこと?」

警察ヤードに見逃されているということさ。いまの署長は、賄賂わいろがお好きだそうだから。雑誌を作る方も売る方も、それぞれ袖の下を握らせている。さて、メアリアンのページは……」


 ダークは雑誌をパラパラとめくった。

 私は、これ以上の桃色描写を見たくなくて両手で顔をおおう。


(ダークはどうして躊躇ちゅうちょなく開けるの! 信じられない!!)


「幻滅しているようだけれど、俺くらいの年齢の男なら平気なものだよ。アリス」

「っ! あなた、また私の心を読んだわね!?」

「読んでいなくても、だいたい分かるよ。ほら、これががこの店にきた理由だ」


 手を下ろしてわめく私に、ダークが開いたページを見せた。

 そこにはティエラの特集記事があった。美しいドレスをはだけさせ、胸元ギリギリまで肌を見せた過激な写真がのっている。三冊ともだ。


 だが、記されている名前がちがった。ティエラには、『メアリアン』というモデル名がつけられている。


「ティエラ嬢は、小金欲しさに名前を変えて、こういった雑誌のモデルをしていたらしい。証拠を隠すために買い占めようとしたんだろう」

「あなた、いつからこのことを知っていたの?」

「彼女に出会う前から……。ああ、あった。ここの文字、見えるかい?」


 ダークが指さすのはメアリアンのインタビュー記事。

 その文章に使われている「a」は、新聞の記事、そして脅迫状と同じくひび割れていた。


「この雑誌は、印刷工場が秘密裏に作っているものなんだよ。モデルとして雇われていたのなら発注もたやすいだろう。手がかりになったかい?」

「ええ……。この雑誌、借りていってもいいかしら」


 私が言うと、ダークは三冊すべてのページを閉じてしまった。

 間近で覗きこまれて、私は戸惑う。


「ど、どうかして?」

「アリス。『メアリアン』が掲載されているページの他は読まないと約束できるかい? 君には刺激が強いと思うんだ」

「心配はいらないわ。私も女性なんだから女性の裸の絵を見るぐらい、なんてことなくてよ!」

「本当にそうかな……?」


 強がる私に、ダークは雑誌の一つを開いて見せた。


「他のページはこんな風になっているけれど」


 そのページには、首輪や鎖で拘束された裸の女性が、卑猥ひわいなポーズをとらされているイラストが大量に載っていた。

 マニアック。わいせつ。なんなのこれ、気持ち悪い!

 グルグルと混乱した私は、半泣きで叫ぶ。


「いゃああぁあぁぁっ!」

「うん。やはり渡すのは止めておくよ、アリス。必要な場合は、俺を呼ぶこと。いいね?」

「分かったわ! 分かったから、ページを閉じて……!」


 私は、雑誌をダークに預けて馬車を下りるはめになった。

 ひどく疲れて帰ってきた私を見て、ジャックたちが心配したのは言うまでもない。

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