6 秘めたる能力

 「レディ・リデルったら酷い方でしたのよ。握手を求めてきたと思ったら、わたくしの手をひねり上げましたの。痛くて悲鳴を上げてしまいましたわ」


 公爵夫人のサロンルームを借りてお茶会を催したティエラは、先日のアリスとの一件をかなり誇張こちょうして話していた。


 集まった令嬢たちはというと、ティエラの甘ったるい口調にうんざりしながらも、憧れのナイトレイ伯爵と、成り上がりの美少女探偵、そして何かと話題に事欠かないリデル男爵家の少女当主の三角関係に、胸をおどらせていた。


「アリス様は、どうしてティエラ様を攻撃なさったのかしらね?」

「きっと、そばにわたくしの婚約者がいたから、嫉妬しっとしたのだわ」

「婚約者というと、ナイトレイ伯爵様のことでしょう? 新聞にのっていたと、お父様がおっしゃっていたわ」

「そうなんですのよ。伯爵さまったら、正式なお披露目のまえなのに、署内でわたくしを抱き寄せたりなさるから……。こんな風に知られてしまってお恥ずかしいわ」


 ティエラは、ピンク色の羽根扇を持ち上げて、小さな顔をかくした。

 そうでもしないと、少しも照れていないとバレてしまうからだ。


 本心では、令嬢たちにうらやましがられるのが楽しくてしかたがないが、ここで調子に乗ってはアリスをおとしめる計画が無駄になってしまう。


(伯爵と結婚するのはわたくし。あの女にはさっさと退場してもらうんだから!)


 ティエラの脳内では、すでに伯爵夫人となった自分の未来が見えていた。

 一等地の大豪邸に住み、大勢の使用人にかしずかれ、高級なアクセサリーを山ほど買って、優雅な生活を送るのだ。


 しかも、未来の夫は筆舌に尽くしがたいほどに美しい男性である。永代貴族としても有名で有能。それにおごることなく紳士的。こんな優良物件は他にはない。


(服装は派手すぎるけれど、結婚すればさすがに大人しくなるでしょう。そうでなくとも、わたくしが教育しなおすから問題はないわ)


 ティエラは、ナイトレイ伯爵につり合うのは自分しかいないと信じていた。

 そんな空想が消し飛んだのは、治安キャンペーンの日。


 アリスと共にいた伯爵の顔を見たときだ。


 遠くからでも、表情がとろけているのが分かった。

 アリスに向ける視線はひたむきで、口元は幸せそうにゆるんでいた。

 

 言葉にならない『特別』を目にしたティエラは、アリスを伯爵から引き離さなければならないと直感した。

 どんな卑怯な手を使っても、だ。


「伯爵様はわたくしを心から愛してくださっているわ。わたくしも彼を愛しておりますの。それをひがんでか、こんな手紙が届いたんですのよ!」


 ティエラは『命が惜しければナイトレイ伯爵に近づくな』という文面の脅迫文を、わざとばらまいて。顔を手でおおった。

 令嬢たちは、拾い上げて顔をしかめる。


「これ、まさかレディ・リデルからですの?」

「送り主は分かりませんわ。でも、このタイミングでしょう? わたくし、怖くて怖くて。伯爵様との恋を叶えたら、どうなることか心配なのですわ。だって、相手は悪名高いなんですもの!」


 迫真の演技で訴えたとき、サロンの南側にある扉が開いた。


「話は聞きましたわ」


 そこには、黒いドレスを着たアリスが立っていた。手には黒レースを張った扇をもち、後ろには派手なストールを巻いた細身の男を従えている。


「ずいぶん面白い妄想をしておられるのね、レディ・ロックホームズ」

「あ、アリス、さま……」


 集まっていた令嬢たちは、顔色を変えて道を空ける。

 ティエラは、鬼のような形相で立ち尽くしていた若い警官をにらんだ。


「いったい誰、彼女を呼んだのは!? 今日の招待客はわたくしの友人だけのはずよ。連れ出して! はやく!!」

「はっ。おかえりください、赤髪のレディ」


 警官は、アリスに帰るよう申し入れた。断れば実力行使に出かねない迫力だ。

 だが、アリスはティエラに微笑みかけたまま動かなかった。


「誤解をといたらすぐに帰りますわ。リーズ、黙らせて」

「はぁい。こんにちは、お兄さん。ちょっとだけいいかしら?」

「な、なんだ、お前は……」


 片手を上げて警官に近づいたリーズは、高い身長をかがめて耳元に囁いた。


『――なんじ、我がしるべに従え。我らは本日の正当なる客人なり――』


 すると、険しい顔つきをしていた警官の肩ががくりと落ちた。

 体から力が抜けたのだ。虚ろな目で、リーズの言葉を復唱する。


「われ、そなたのしるべに、したがう……」

「何を言っているの。しっかりしなさい!」


 ティエラの怒号にも反応しない。

 すでに彼の主が、リーズに置き換わっているからだ。


『――我らが去るまで、扉の外にて待て――』

「はっ」


 背を叩かれた警官は、左右に体を揺らして歩いていき、一人で部屋を出ると扉を閉めた。

 その姿を見送ったリーズは、してやったりと言った顔で舌を出す。


 舌には、ジャックの手の甲に浮かんだものと同じ、薔薇の烙印スティグマが浮かんでいた。


 先ほどの囁きは、リーズの悪魔の子スティグマータとしての能力『二枚舌』だ。

 耳に条件を吹き込むと、相手を惑わせることができる。

 一定時間だけ従わせたり、偽の情報を信じこませたりと、戦力にはならないながら強力だ。


 サロンから追い出される心配のなくなったアリスは、ティエラに歩み寄ってドレスのスカートをつまみ、片足を引いてうやうやしく一礼した。


「こんにちは、レディ・ロックホームズ。素敵なサロンですわね。あなたの話に、私について誤解を与える表現があったので、訂正させていただきますわ」

 

 アリスは、部屋の四隅にかたまって怯えている令嬢たちを見回した。


「それでは、先日はじめてティエラ様とお会いしたときのことから、お話しましょうか――」

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