2 新たな紳士に茜さす

 突然の横やりに、私はわれにかえった。

 見れば、大きく口を開けてあくびする青年が温室に入ってくるところだった。


 針人形のようにほっそりしたスタイルと長い足を交差させる足取りは、まるで勝ち気な野良のらネコのよう。

 暗い色のオーバーサイズニットと細身のパンツが、どことなく前世で流行はやっていたファッションを思い起こさせる。


 ひときわ目を引くのは、首に巻いている派手な濃淡のうたんピンクのストールだろう。

 服との色彩の差によって、体から首が切り放されて宙に浮いているように見える。人と会うたびにギョッとされるが、彼はこれがお気に入りなのである。


「おはよう、リーズ。といっても、もう夕方だけれど」


 柱時計を見ると、針は四時をさしている。

 温室に入る陽光も、だいぶ傾いできた。

 そろそろアフタヌーンティーもお開きの時間だ。


「あら、アタシが遅れたんじゃないわよ。時間のほうがせっかちなの。合わせてやる時計も時計だわ。相手に従順じゅうじゅんなことは愛じゃないって、そろそろ学んでもいい頃よ」


 悪びれずに笑うリーズも、攻略キャラクターの一人だ。

 人生経験が豊富なおネエに見えて、中身は痛いほど純情じゅんじょうというギャップで、数多くのプレイヤーをとりこにした。


 リーズの個別ルートにあるお着替えエピソードでは、うっかり下着姿のアリスを見てしまった彼の照れ顔スチルが話題になり、のちにタペストリー化されて五秒で完売という伝説を作った。


 通称・つみな男ルート。

 こちらにも、今の私では進めない。


「私は時間の速度は変わらないと思っていたわ。速くなったり遅くなったりするの?」

「するの?」

「するの?」


 続いた双子の言葉に、リーズは大人びた顔で肩をすくめた。


「三人にも分かる日が来るわ。なかなかえない恋人ができる頃にはね」

「それなら、私には一生無理ね」


 これは私の本音じゃない。ゲーム内の台詞通りだ。

 けれど、今の状態では本当に無理なのだから皮肉ひにくである。


 それに、リデル男爵家当主の座は、恋にうつつを抜かしているほどひまではない。


 ダン・ドズリーのような凶悪犯がいれば、地の果てまで追っていって始末する。

 大英帝国の平和をかげながら守る『黒幕くろまく』として生きることが、『アリス』にとっての存在理由なのだ。


「あら。無理なことなんてないわよ」


 リーズは、テーブルに両肘をついて、目を伏せた私にほほえむ。


「いつか運命だと思える人に出会えるわ。おじょうは世界一かわいいんだから、相手が放っておかないわよ」

「可愛い? 私、平凡顔へいぼんがおだけど……」


 言ってしまってから、はっとする。

 そういえば、絶世ぜっせいの美少女に転生したんだった!


「あら。お嬢ったら、自分のことをそんな風に思っていたの?」


 リーズは上手いこと謙遜けんそんだと思ってくれたようだ。

 褒められなれていない私の方はというと、わたわたとボロを出す。


「だ、だって自分では可愛いところなんて見えないんだもの! 着ているものも普段着のエプロンドレスだし」


 私は、シンプルなワンピースにエプロンを重ねて、リボンを編みこんだ髪を下ろしている。


 乙女ゲームのキャラクター衣装は、だいたい2パターンある。

 いつも身に着けている『普段着コーデ』と特定イベント時の『ドレスアップコーデ』だ。


 私がいま身に着けているのは、普段着コーデの方。

 なんでもない日の、なんでもない服装だ。


「着ているものなんて関係ないの。今日のお嬢は、アタシが知る中でいちばんよ。自信が持てないなら、キレイになる魔法をかけてあげるわ」


 そう言って、リーズが顔を近づけてきた。

 彼は、純情なのを隠すためにキスみたいに振る舞っているのだ。


 身構みがまえる私は、頭をフル回転させた。


 このキスを受けたら、リーズの個別ルートに入れるだろうか?

 攻略する難易度なんいどは、高かったっけ、低かったっけ。


(どうせなら、生涯生存率しょうがいせいぞんりつの高いキャラと恋に落ちたい……)


 祈るように目を閉じたそのとき、地獄の底からひびくような低い声がした。


「てめえもフロマージュにしてやろうか……」


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