最終章 アリスの烙印

1 お茶会の準備をはじめよう

 『真夜中の零時より、リデル男爵家主催のお茶会を開催いたします。

 会場は、ナイトレイ伯爵邸の鏡の間をお借りすることになりました。

 家族一同でお待ちしておりますので、ぜひお越しください。

 愛をこめて――アリス・リデル』



 生まれて初めて招待状を書いた私は、メッセンジャー役を買って出てくれたヒスイにたくして、身支度に取りかかった。


 私にあてがわれたナイトレイ伯爵邸の客間は、ローズピンク色のカーテンと絨毯じゅうたんが落ち着いた雰囲気の一室だ。

 年の近いメイドが一人、着付けを手伝ってくれる。


「アリスお嬢さま、どうぞお好きなものをお選び下さい」


 メイドにうながされて、ウォークインクロークに足を踏みいれる。

 四畳ばかりの小部屋に張りめぐらされたパイプには、華やかなドレスが隙間なくかけられていた。

 どれも、ダークの『ホームパーティー主催者に相応しい衣装を』という意向で、私のために集められたものだ。


 海色のグラデーションが美しいティアード。

 菜の花飾りが元気なフレアー。

 桃色小花柄の流行バッスル。

 どれも洗練されたデザインと美しい色で目を引く。


 短期間でよくここまで揃えたものだ。

 感心しながら、一枚一枚のデザインに目を通していった私は、クロークの最奥で足を止めた。


 ボリューミーな赤いドレスの端から、黒いチュールがのぞいている。

 引き出すと、大小さまざまな真珠が惜しみなく縫い付けられた、漆黒のドレスだった。


「素敵だわ」


 一目で気に入った私に、メイドが言いにくそうに進言する。


「お嬢さまくらいのお年でしたら、もっと明るいお色の方がよろしいのではありませんか?」

「これがいいの。着つけてくださる?」

「は、はい。かしこまりました」


 コルセットでウエストを締めて身に着けたドレスは、幅も長さも私にぴったりだった。

 ドレッサーに座って手袋に手を通しているとき、軽妙なリズムのノックが聞こえた。

 扉に走りよったメイドは、小さく戸を開いて訪問主に目を丸くする。


「お嬢さまのご用意は、まだ整っておりません」

「出直してこよう」


 私は、もれ聞こえた声から相手を察する。


「あとはチョーカーだけよ。ダーク、入ってらして」


 メイドと入れ替わりで入室したダークは、私の出で立ちを見て頬をほころばせた。


「やはり黒を選ぶんだね、君は」

「大英帝国の黒幕に、漆黒以外の何色が似合いまして?」

「家業にではなく、君に似合っている。とても美しいよ」


 ダークは、手に持っていた白黒ボーダーの帽子箱を私の膝にのせた。


「俺からのプレゼントだ。開けてご覧」


 私はリボンを解いて蓋を持ち上げた。

 収められていたのは、リボン型のヘッドドレスだった。垂れのはしが折り重なるように美しいドレープを描いている。

 気になったのは色だ。こちらもドレスと同じ漆黒で仕立てられている。


「ダーク。あなたは、私が黒いドレスを選ぶと分かっていたの?」

「好きな令嬢の趣味くらい把握はあくしているさ。俺だって英国紳士なのだからね」


 ダークは、ヘッドドレスをそうっと持ち上げて、私の髪に差した。

 私は、鏡の向こうの自分を見つめる。


 胸元が開いたドレス。

 スカートは透けるチュールが重なって、大きく膨らむ。

 頭のリボンから、フリルのついた手袋、足元のヒールブーツまで、黒一色だ。


 差し色は、毒々しい赤毛と復讐心に燃える赤い眼。

 リデル男爵家ファミリーを率いるにふさわしい色彩だといえよう。


 けれど、と私は残念に思う。

 純白のデコレーションコートを着たダークとは、相反していたからだ。


「……あなたに最初に会ったときにも思ったのよ。私とあなたは正反対ね」


 沈んだ顔で告げると、ダークは「今日はやけに感傷的だね」と面白がった。


「身のほど知らずは自覚しているよ。俺は、せいぜい夜に浮かぶ三日月だが、君は闇の女王だからね」

「私の方が高位なの?」


 ダークがドレッサーに載ったままだったチョーカーを取りあげたので、私は下ろした髪を右側によせた。

 細い首に、黒の一線が巻かれていく。


「そうさ。なんて朝には明ける。月が出ていれば手紙を書けるほど明るいし、星がまたたいたぶん時は動く。けれど、には光なんて差さない。己の輪郭りんかくさえ定まらない中では、どこまで続いているか想像もできない。果たしてこの闇は明けるのか、それとも、永遠に閉じこめられるのか――ぞくぞくするね」


「怖がっているようには見えないわよ」

畏怖いふという言葉もある。恐れるほど、君に魅了みりょうされているのさ。艶っぽいだろう?」


 私のうなじで蝶々結びをしたダークは、ふいに切なげな表情になった。


「闇のそばに夜はある。これから何が起こっても、俺が君のそばにいるよ。忘れないでくれ」


 ダークが、結び目にキスを落とす。

 かすかな温もりを感じながら、私は目を閉じた。


 この選択が正しかったのか。

 裏ルートの行く末が『生』か『死』か、私には分からない。


 願わくば、この夜が明けても同じ関係でいたいと思った。



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