夕闇を翔る死装束/2

 その頃――

 二階の自室で、ロッキングチェアに揺られていた崇剛のそばには、丸く赤い円を描くガラスのティーカップが華麗なるフィナーレを迎えた――カラになった。

 冷静な水色の瞳はまぶたというカーテンの中に隠されていて、茶色のロングブーツは優雅に組まれていた。

 崇剛は鮮明に思い出す。隣にある寝室で、執事がさっき言ってきた言葉――。


『お前、つかむ相手を間違ってるだろう――』


 細く神経質な両手を腹の上で軽く組ませたまま、主人は知らぬ間に、執事に情報漏洩してしまったことを、冷静な頭脳で推し量っていた。


 ――どなたにも、あちらの話はしていません。

 どのようにして、涼介はあちらの話を知ったのでしょう?

 そうですね……?


 ひまわり色の髪を持つ男の言動が何ひとつ順番も間違えず、脳裏に浮かび上がる。


 ――こちらのようにしましょうか?

 本人から情報を引き出しましょう。

 どちらの方法がよいでしょうか?

 そうですね……?


 ロッキングチェアが揺れるたび、窓から色づく斜傾で、ロイヤルブルーサファイアのカフスボタンが豊艶ほうえんという輝きを讃嘆さんたんした。

 デジタルに記憶した会話を並べてゆく。


 そちらの言葉はどのような意味ですか――? と、私は聞きました。

 俺がお前のこと知らないわけないないだろう――? と、彼は返して来ました。


 そうなると、以下の可能性が出てきます。

 私が意識を失っている時であるが97.57%――

 私が倒れた時に、彼が看病するという可能性は99.99%――

 これらから判断すると、次の可能性が出てきます。


 土と緑の匂いが風に舞い上げられ、机の上の羽ペンがくるくるとリズムカルに回った。


 私が無意識の時に、彼が情報を手に入れたという可能性が85.89%――

 もしくは、別の何かから手に入れたという可能性が14.11%――


 ルビー色がガラスのカップの底で円を描くのを眺めなら、崇剛の独特な声色が一人だけの部屋に静かに降り積もった。

「私が無意識の内……」

 人差し指を軽く曲げてあごに当て、スマートに足を組み替えると、ロッキングチェが振り子のように少しだけ揺れた。


 ――そうなると、寝言もしくは夢魘むえん[脚注]。

 それらふたつの可能性が出てきます。


 瑠璃色の貴族服も、紺の長い髪も、神経質な頬も、西日の暖色系が混じり込み、宵闇色へと移ろい始めていた。


 ――そうですね……?

 どのような言葉を私は口に――!

 そこでいきなり、崇剛の脳裏に、


 ババッ!


 と、真っ白い着物を着た女の映像がにわかに割って入ってきた。肌は血のなどとは無縁というように青白く、表情は喜楽というものをすぐ消し去ってしまうほど、苦しくて悲しげだった。

 人が立ったまま浮遊する、怪力乱心な心霊一閃スピリチュアルインスピレーション。さっきまで平和で穏やかだった時の流れへ、無理やり横入りしてきた。

 誰かに取り憑いてさらうかのように、ベルダージュ荘へ猛スピードで重力の法則を無視して、空中を横滑りしてくる。

 脳裏という黒板に全てを正確に書き記したまま、冷静な水色の瞳はさっと開けられた。さっきまでとは風景が違って、陽の光は屋敷まわりにうわっている樫の木にさえぎられている。

 メシア保有者の聖霊師は不気味なものの正体を、中性的な唇でつぶやいた。


生霊いきりょう……?」

(こちらの可能性が45.56%――)


 ロッキングチェアから線の細い体はスッと立ち上がり、神経を研ぎ澄ます。千里眼の力を使って、霊が目指している未来の方向を読み取った。

「玄関……」

(こちらの可能性が89.78%――)

 窓へ急ぎ足で近寄り、美しい春の庭を見渡した。しかし、樫の木たちが長い影をあちこちへと伸ばしていて、色は失せてゆくところだった。

 聖霊師は今がどんな時間帯かを霊的に分析して、不吉を口にする。

逢魔おうまが時……」

 玄関近くで花びらを降らせている桜の木へ向かって、芝生の上をぽんぽんスキップしている小さな後ろ姿を見つけた。

 肉体を持っていない霊――。

 他人の体へ勝手に乗り移ったり、簡単に操作したりしてくる。そうなると、病気になったり、事故に遭いやすくなる。最悪な場合は死――霊界へと連れていかれてしまうのだ。

 崇剛からは珍しく優雅な笑みは消えていた。

「瞬……!」

(そちらの可能性が99.97%――)

 相手の狙いが誰であるかわかって、策略家の異名を持つ聖霊師はドアへ一度振り返るが、

「間に合わない!」

(そちらの可能性が99.99%――)

 庭へ顔を再び戻し、冷静な水色の瞳は素早く情報集取する。まずはいつもの癖で、懐中時計を取り出した。


 十七時十六分三十五秒――


 次に視線をせわしなく動かす。


 木の位置。

 窓との距離。

 ダガー。

 私の身長。

 私の体重……。

 これらから判断して、そちらの方法が成功するという可能性が99.99%――!


 たった一秒で弾き出した。崇剛は物質界のダガーを鞘から素早く抜き取り、窓枠にスマートにロングブーツで飛び乗る。

「っ!」

 部屋から少し離れた場所にある樫の木へ向かって勢いをつけ、聖霊師は突進するように前へ鮮やかに飛んだ。

「ふっ!」

 ビューっと頬を切る風が紺の長い髪をはためかせ、重力に逆えず落下しながら、線の細い瑠璃色の貴族服は木へと斜めに向かってゆく。

 冷静な水色の瞳へと小さな枝と葉っぱがあっという間に迫ってきて、両腕を顔の前でクロスさせた。

 がさがさと音が耳を通り抜けて、視界が開けると、太い木の幹が眼前に浮かび上がる。そこへ聖なるダガーは勢いよくズバッと突き刺された。

「っ!」

 シルバー色の柄を右手でしっかり握ったまま、崇剛は木と向き合うように宙吊りになった。地面とはまだ三メートルほどの開きがある。ロングブーツの足で木を押し蹴りする。

「くっ!」

 ダガーが木の幹からはずれると、瑠璃色の貴族服と紺の長い髪は地面へ向かって落下し始めた。崇剛は身軽にストンと芝生の上に着地する。


 導き出した可能性を使い、二階にある自室のドアから出て廊下を歩き、階下への階段を降りて、外へ出るよりも断然早く庭へ出てこられた。


 茶色のロングブーツはそのまま館の玄関――狙われている瞬を救うために、足早に芝生の上を歩き出した。


    *


 涼介の言いつけ通り、瞬は正面玄関から屋敷へ入ろうとしていた。スキップしてイチゴが浮かび上がると、彼の心も軽やかに弾む。

「あ、ちょうちょ!」

 時々寄り道しながらイチゴは運ばれてゆく。太陽もだいぶ西に傾き、幼い瞬の顔には、オレンジの木漏れ日が様々な形で濃淡を差していた。

「イチゴ〜、イチゴ〜♪」

 何もかも平和に見えたその時――。

 強風がにわかに吹き荒れ、たくさんの桜の花びらが死後の世界を連想させるように、空へと逆流するように舞い上がった。

「っ!」

 瞬は思わず目をつむった。突風はすぐさま止み、カーカーとカラスの鳴く声が夕闇に響き渡った。

 ベビーブルーの純粋な瞳が姿をまた現すと、玄関へと続く石畳の上に、真っ白な着物を着た女がゆらゆらと立っていた。体の向こうの景色が透けて見える。


 心霊現象。

 死装束しにしょうぞく、幽霊。


 髪は乱れ長くたれ、虚な瞳は真正面――ベルダージュ荘の玄関をじっと見つめたままだった。

 子供であり、霊を見るのが当たり前の瞬は臆することなく、まるでこの世の人に向かって話しかけるように問いかける。

「だれ?」

「…………」

 青白い唇からは、返事は返ってこなかった。油断させるためなのか、瞬には見向きもせず地面から離れた位置でゆらゆらと揺れている。

 さっきとは違う冷たい寒気を感じさせるような風が、葉音を切るようにサラサラと鳴らして吹き抜けてゆく。


 子供一人。

 幽霊一人。


 死後の世界――常世とこよへと突如連れ去られる神隠しが、いつ起きてもおかしくない状況だった。

 死装束の女の霊力にって、瞬の意識が無理やり別の時空へと飛ばされる。いきなり立っていた、中心街の大通りの中ほどに。

「え……?」

 人と馬車がたくさん行き交う路上で、ガシャンと何かがぶつかった音がした。

「なに?」

 二、三歩あとずさると、様々な音がキュルキュルとねじれるよう高くなってゆき、景色が猛スピードで巻き戻されていき、ゆっくりになり、通常の速度に戻った。

「どこ?」

 暗い人気のない夜道で、ぼうぼうと伸びている草むらに、瞬の小さな背丈は完全に隠されてしまった。


「ぎゃぁぁぁっっ!!!!」


 視界が不良な中で、濁り切った断末魔が急に響き渡り、

「えぇっ!?」

 瞬が目を大きく見開くと、吹き抜けてゆく風は血生臭かった。

 様々な音と声が高音で渦を巻きながら景色が早送りされ、再び速度がゆっくりになると、真正面に茶色の壁が突然広がった。

「ん、なに?」

 答えるものは誰もおらず、


「きゃぁぁぁっっ!!!!」


 さっきとは違う感じで悲鳴が上がった。しかも、それは何重にも重なり合って聞こえた。瞬の体は空から猛スピード離れてゆく。

 そのままいくつも記憶が後ろへ向かってなだれ込んでくるように、音と空間が霊の影響に操られていった。

「……して……る……い……ふふ……てよ。……の――」

「……あが……むっ……けで……とう。……まみ――」

「……がよ……たた……すく……その……あ……はは――」

 次々と人の話し声が重なり増えてゆき、瞬を消し去るような轟音ごうおんとなってゆく。耳をふさいでも、それは自身の内から響いていて、どうすることもできず、風船が膨らみすぎて破裂してしまうような緊迫感だったが、不意に静かになった。

 そうして気がつくと、瞬は死装束の女の前に立っていた。さっきと同じ位置――ベルダージュ荘の玄関前に敷かれた石畳の上だった。


「助けて……」


 幽霊からか細い声が聞こえた途端、死装束を着た女の霊はゆらゆらと煙のように消え去ってしまった。

 霊界は心の世界――。

 幼い瞬には防御方法もなく、子供の澄んだ心へ相手の感情が土足で踏み込んできてしまい、柔らかな頬に涙が一粒伝った。

「かなしい……」

 雫を手の甲で拭いながら、

「だれなんだろう?」

 幼い声が夕闇に舞った時、背後から芝生を踏む音をともないながら、優雅な声が切迫した様子で近づいてきた。

「瞬っ!」

「あ、るりちゃん!」

 瞬はほぼ同時に慌てて振り返り、持っていたカゴは地面へと落ちて、中に入っていたイチゴがいくつか石畳の上へ飛び跳ね散らばる。

 走り出そうとする瞬は、瑠璃色の貴族服を着た大人の腕で捕まえられ、軽々と持ち上げられた。

 急に高くなった視界に少しびっくりして、すぐ近くにいた人の名を呼ぶ。

「……せんせい?」

「瑠璃さんは今はまだ眠っていますよ」

 小さな子供を大切に包むようにして、崇剛はひまわり色の髪に神経質な頬を寄せ、瞬の存在をしっかりと感じた。目を閉じて千里眼を使い、瞬に穢れがないか見てゆく。

「そうですね……何もありません。無事でよかったです」

 崇剛の細い手が瞬の柔らかなウェーブ髪を優しくなでながら、先の尖った氷柱のように瞳を鋭くする。

(可能性の導き出し方を間違ったのかもしれない……)

 神父はそう思って、神の御前おまえでするように、小さな子供へ向かって懺悔した。


「間に合いませんでした。私を許してくれますか?」


 心霊現象に出会う前に救いたかったのだ。それなのに、数秒遅れてしまった。ひとつ間違えば、大人とか子供とかは関係なく、尊い存在を守れなかったかもしれない。そう思うと、崇剛は自身を責めるのだ。

「ゆるす……?」

 不思議そうに首を傾げた、瞬の純真無垢なベビーブルーの瞳には、崇剛がダガーをさっき刺した樫の木が映っていた。

 生きている証拠の、小さな鼓動が夕風に混じって、崇剛の耳に届く。

(あなたは純粋で、優しいという傾向が高いです。こちらの話をこれ以上するのは、あなたを逆に苦しませることとなります。ですから、こちらの話は終わりにしましょう)

 すれ違う位置で抱きしめていた瞬を体から少し離し、崇剛は優雅に微笑みながらゆっくりと首を横へ振って、優しさという嘘をついた。

「何でもありませんよ」

「……?」

 そっと地面に下ろされ、自由を取り戻した瞬は目をパチパチしばたかせた。



 ――――――――――――

 [脚注]恐ろしい夢にうなされること。

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