夕闇を翔る死装束/3
崇剛は優雅に片膝を立ててしゃがみ込み、子供と同じ目線になる。
「何か見ましたか?」
聖霊師が千里眼で見たものと、小さな子供が体験したことの相違点を探してゆく。瞬は振り返って、玄関へと続く石畳を小さな手で指差した。
「あそこに、ひとがいたの」
「女の人でしたか?」
「たぶん……そう」
「どのような服を着ていましたか?」
死装束だとわかっているが、幻を見せられているかもしれない、という可能性が残っている以上、崇剛は決して断定しない。
「しろい……きもの?」
崇剛は聞きながら、不自然にならないよう会話を続けてゆくという、デジタルにふたつの動作を両立してゆく。
生霊であるという可能性が45.56%あります。
冷静な水色の瞳と純心なベビーブルーの瞳は真っ直ぐ見つめ合う。
「何か言っていましたか?」
「たすけてって、いってた……」
「そうですか」
崇剛は間を置くための言葉――相づちを打って、情報を素早く処理する。
(死期が迫っていて、助けて欲しいのでしょうか? そうでしたら、あちらを言ってこないとおかしいです)
走ってきた衝動で乱れてしまった、紺の後れ毛は神経質な指先で耳にかけられた。
「他には何か言っていませんでしたか?」
「いってなかった」
「そうですか」
崇剛は館の二階でも一番東にある部屋を見上げた。未だに姿を現さない住人一人の面影を脳裏でなぞる。
瑠璃さんが気づかない。起きてこないということは……。
生霊であるという可能性が高くなり89.98%――
助けてを求めて、こちらへ来ているのでしたら居場所を言うという可能性が78.45%――
しかしながら、言っていないみたいです。
そうなると――
背中を見せている、聖霊師のロイヤルブルーサファイアのカフスボタンが高貴な光を放っている袖口を、瞬の小さな手が引っ張った。
「せんせい、あとね?」
「えぇ」
優雅にうなずき、崇剛は顔を元へ戻した。
「ひとがたくさんいて……ん?」
五歳の子供には少々伝えづらく、よく覚えていないから、闇に染まり始めた夕暮れの空を見上げて難しい顔をした。
崇剛は千里眼を使って、今ここにいない死装束を着た女の霊を霊視する。時間を巻き戻し、石畳の上でさっきあったことを視覚、聴覚化した。
今世での記憶……という可能性が46.78%――
今しがた瞬が見たものと同じものを時間差遅れで全て霊視して、冷静な頭脳に記録した崇剛は、子供が答えやすいように質問を簡単にした。
「何かがぶつかった音が、聞こえたのではありませんか?」
「そう」
「あとは、夜ではありませんでしたか?」
「そう」
瞬は少しだけ不安げな顔をした。崇剛は大きな手のひらで、ずいぶん暗い色になってしまった小さな頭を優しくなでながら、
夜、女性の悲鳴が聞こえ、血の匂いがした。
こちらは、過去世の記憶……という可能性が78.87%――
実際にその場を見たわけではなく、策略家は何ひとつ事実として断定できなかった。
「あとは落ちませんでしたか?」
「んー……? たぶん、そう」
空が遠くなっていく風景をぼんやりと思い出して、瞬は首を傾げた。
「そうですか」
崇剛は立ち上がってあごに手を当て、思考時のポーズを取った。生霊がいたであろう石畳の上を眺めたまま、
今世での記憶であるという可能性が45.46%――
ここまで出てきた情報に
死装束を着た女は一人でした。
ですが、声が複数聞こえてきました。
冷静な水色の瞳はついっと細められる。
おかしい――
夕風の温度は下がってゆくのに、崇剛の思考回路はヒートアップしてゆく。
別の何かが起きているという可能性が87.65%――
本人が落ちたという可能性が65.43%――
ですが、声は複数聞こえてきています。
そうなると、他の方も落ちたという可能性が出てきます。
落下し、怪我をして、助けを求めにきた……。
さっき記憶した死装束の女から疑惑という薄闇が、聖霊師の脳裏で次々と
そちらの理由だけでは、こちらへ念を飛ばすのはおかしいです。
歩いてくることもできます。
他の方に相談することもできます。
念をわざわざこちらへ飛ばす必要性は0.38%――
ゼロに限りなく近い……。
そうなると、何かが原因で本人は動けないという可能性が出てきます。
さらには、心霊的理由で人に相談できないという可能性も出てきます。
魂の事情は複雑だ。輪廻転生という鎖が遠い過去までつなげているのだから。思考の旅を一休みさせて、冷静な水色の瞳は、あどけない瞬の顔で焦点を合わせた。
「あとは何かありましたか?」
「かなしかった……」
心の澄んだ子供は共鳴してしまって、ひどくしょんぼりしていた。ベビーブルーのくりっとした瞳は陰り、芝生へと視線が落ちていることに気づいて、崇剛の神経質な手は瞬の柔らかい髪をそっとなでる。
「あなたは優しいのですね。あなたが悲しむことではありませんよ」
瞬は地面を見つめたまま、近くに落ちていた小枝を靴の底で少しだけ転がした。崇剛はあごに手を当て、夕闇のベールをかぶせられたスミレの花を視界の端で捉える。
(確かに悲しみという感情はあるみたいです。ですが、死を前にしての悲しみとは違うみたいです。それでは、相手は何を望んでこちらへ来たのでしょう?)
優雅な聖霊師の元へ、いきなり舞い込んできた心霊事件。情報が不十分で、疑問ばかりが浮かんでくる。
「どこにいっちゃったんだろう?」
キョロキョロし出した瞬を、水色の瞳の端に移しながら、冷静な頭脳に死装束を着た女の詳細を思いめぐらせた。
(全身がはっきりと見えます)
手足がどこもかけていない完全な霊体。そうなると、崇剛の中にはこの見解が浮かび上がった。
非常に強い念であるという可能性が87.67%――
そこまで弾き出したが、聖霊師は物質化していないからこそ心霊事件は難解だとよく心得ていた。
(ですが、私だけで判断することは危険です。瑠璃さんに
専門用語が崇剛の心の中に浮かび、もう一度最初から瞬が見た生霊を見ようと、今度は角度を屋敷より少し高いところへ移動した。
その時だった。白い服を着た男が上空に浮かんでいたのに気づいたのは。
(どなたでしょう?)
すらっとした長身で、髪が風もないのにさらさらと吹かれている。遠くの宙に立っているのに、瞳がとても印象的だった。ルビーのように真っ赤だったからだ。
しかも、頭上の空を飛んでいて、視線が合ってもいないのに、一生忘れられないような強烈な品格が感じられた。
背中には立派な翼がついていて、見えはしないが頭には金色に光る輪があるのかも知れない。
だがしかし、きちんと確認していない以上、断定をするのは非常に危険である。崇剛はすぐさま、霊界の法則を頭の中に引っ張り出した。
(邪神界――もしくは正神界。どちらの存在でしょう?)
敵か味方か。生霊と関係するのか、しないのか。天使なのか、違うのか。それとも第三派か。あらゆる可能性を含んだ男だった。
崇剛が霊視する高度をもう少し上げようとすると、そのまま遮断機が下りるように男はさっと消え去って、何度追いかけようとしても――何度もその時間だけを霊視しようとするが、もう見ることはなくなった。
(幻だったのでしょうか? おかしい――)
千里眼の持ち主は生まれてこの方、ないものが見えるということは体験していなかった。
(私の霊視から逃げられる存在となると……)
そこまで考えた時、はつらつとした少し鼻にかかる声が心配そうに割って入ってきた。
「――どうした? 瞬」
崇剛と瞬が屋敷のほうへ振り返ると、廊下のガス灯が手前からひとつひとつ灯されてゆくのが見えた。
それに少し照らし出された涼介が近づいてきて、瞬はさっきまでのことをすっかり忘れ、嬉しそうな笑顔になった。
「パパっ!」
走り寄ろうとしている瞬の手が空っぽなのを見て取った、父は何かあったのだとすぐに直感しながら、現実的な話をした。
「お前、イチゴどうした?」
「え……?」
瞬は走り出すのをやめて、慌てて両手を顔の前へ持ってきた。空っぽなことに今気づいて、目を激しくパチパチする。
「あっ! わすれてた!!」
冷たくなってしまった芝生には、小さな影が大慌てて石畳へ向かって遠ざかってゆく影があった。
瞬は起きっぱなしにていていたカゴを取りにいき、落とした衝撃で散らばったイチゴを丁寧に取り上げてゆく。
「こっち、あ、こっちにも!」
視線は息子を追いかけていたが、涼介は小声で崇剛にだけ聞こえるように問いかけた。
「また見たのか?」
「そうみたいです」
息子は時々誰もいない場所に向かって話しかけたりする。幽霊が見えることを否定するつもりはないが、安心できる存在でないのも確かだった。
崇剛はまた落ちてしまった後れ毛を神経質な指先で耳へかけるが、東の空と同色と化していた。
「ですが、幽霊とは違――」
「パパ、ぜんぶひろったよ!」
瞬の幼い声で大人の会話は途切れてしまった。涼介は息子を心配させないように、すぐさま笑顔になる。
「よし、中に入って料理だ!」
「うんっ!」
乙葉親子が歩き出すと、屋敷の廊下を照らすガス灯が東の一番奥まで全てついた。崇剛は一日の終わりを肌で感じながら、涼介たちのあとを追う。
0.01ミリのズレも許せない主人の観察力はいつでもとても敏感で、冷静な水色の瞳に今映っているものを一瞬にして全てを記憶し、涼介のホワイトジーンズの後ろポケットで、視線はピタリ止まった。
おかしいみたいです――
緑の弓状の葉っぱが何枚か顔を出していた。全てを記憶している主人は、数々の書物の中から、執事がポケットに入れている植物と合致している情報だけを取り出した。
スズランの葉であるという可能性が87.67%――
それだけならよかったのだが、神経質なあごに軽く曲げた指先を当てて、過去に同じような出来事が執事の、後ろポケットという現場で起きていたこともしっかり覚えいていた。
去年の四月十七日、月曜日――
十七時三十五分三十五秒にも、涼介は同じことをしていましたよ。
楽しげに話しながら玄関へと向かう親子の背後で、崇剛は慣れた感じで、懐中時計をズボンのポケットからそっと取り出す。
十七時三十七分二十五秒――
そうですね……?
今回も同じ目的であるという可能性が98.78%――
しかし、事実ではない。ここで主人が執事に注意をすれば、間違っていた時、気まずい想いという序曲が奏で始められるものだ。そういうわけで、主人は執事に疑問形を投げかけて、情報収集をする。
「涼介、ズボンのポケットに入っているものはなんですか?」
「スズランだ――」
崇剛の中にあった可能性が美しくもなが大胆に変化する。
スズランの葉であるという可能性は87.67%から上がり、100%――
事実として確定です。
二回も同じ葉っぱが、執事のポケットに入っているとなると、ありとあらゆる見聞きしたものを覚えている崇剛は、さすがに見過ごすことができなくなった。
「何に使うのですか?」
遊線が螺旋を描く弄び感はどこにもなく、優雅ではあるが猛吹雪を感じさせるほど冷たい声色だった。
涼介は崇剛と視線を合わせずに、一番星が煌き始めた夜空を見上げ、いつもハキハキと言うのに、やけに歯切れがよくなかった。
「あ……あぁ、飾るんだ」
花はなく葉っぱだけ。涼介のポケットに入っているのは、夜色ににじむスズランの葉っぱだだけ。
策略家の異名を持つ崇剛が見過ごすはずもなかったが、前を向いて瞬と一緒に歩いている涼介には、白羽の矢が主人から立てられたとは夢にも思わなかった。
スズランはあちらの用途で使うという可能性が87.65%――
そちらは到底許されることではありません。
そうですね……?
執事と反対に、素直ではない――まわりくどい崇剛は至福の時というように優雅に微笑んだ。
(涼介にはこちらのことを、どのようにして懺悔していただきましょうか?)
そこで、ブランデー事件が起きた自室での、執事の言葉が鮮やかに蘇り、
『お前今日は、フォーティーワンだ。それでチャラにしてやる』
冷静な水色の瞳はついっと細められ、悪戯少年のような光が宿った。
(ダーツの約束を今夜していましたね。そちらの時にしましょうか)
ハーフムーンが樫の木の向こうで星空に止まっている。夜の
――――――――――――
[脚注]想いのこと。
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