夕闇を翔る死装束/1
庭先の家庭菜園では、季節を鮮やかに染め上げる、野菜たちが
しなやかで艶のある鮮緑のベルベットで、大切に包まれたようなキャベツと乳白色の顔を見せるカリフラワー。
ぬくぬくした土のベッドから起こされ、
エネルギーと栄光をもたらす太陽をつかもうと、手を空へ元気一杯伸ばすようなアスパラガスの竹林。
それらに囲まれながら動いている人影がふたつあった。
ひとつはガタイがいい男――涼介のもの。小さなシャベルで腐葉土を慎重に掘り起こしながら、さっきの策略的な主人のBL罠発動に、執事は文句ダラダラだった。
「普通に、どうしてブランデーを使ったのかって聞いてくればいいだろう」
何をどう計算しているのかさっぱりわからないが、菜園から屋敷を見上げると、大抵あの猛吹雪を感じさせるような冷たい視線が、自分をうかがっている。
じっとしていつもうかがっているのかといえば、そうではない。主人の落ち着きのなさは自分といい勝負だ。さっきだって、いつの間にか教会へと行ってしまっていたのだから。
そう思うと、涼介は手元を見ているしかないのだった。
「前置きいらないだろう。この間だって……」
すぐ近くで、イチゴを摘んでいた小さな人が不思議そうに振り返った。
「パパ、せんせいにイタズラされたの?」
「悪戯された……」
土色の地面から、はつらつとしたベビーブルーの瞳が素早く上げられると、涼介と同じひまわり色の柔らかなウェーブ髪を愛らしく持つ男の子が立っていた。
それは肩につくかつかないかの長さ。同じベビーブルーの純真無垢という宇宙が広がる瞳が、パチパチとまぶたをしばたかせていた。
乙葉
父親に似て正直で素直。霊を見ることができ、純粋であるがゆえに、輪廻転生という魂の人生たちから紡がれる悲哀に心を痛めることがよくある。天使であるラジュは見ることはできない。
息子からのイタズラという絶妙なチョイスの言葉に、父――涼介の背筋はぞぞっと凍りついた。
「別の意味に聞こえる……」
春の柔らかな白日の中で堂々と、大人の脳裏に
*
――窓からこぼれ落ちる月影が、男ふたりだけの部屋を妖艶に愛撫するように青を散らす。
肉体の交わりを否応なしでも匂わすベッド。
と、
中性的で策略的な主人。
の間へと、いつ間にか涼介は立たされていた、どんな罠にはめられたのかも知らずのうちに。それはまさしく大人の悪戯だった。
感覚人間の執事が妄想すると、主人の言動に一貫性がなくなってしまう。しかも、崇剛の性格を無視したまま、勝手に作られた性衝動の中で、物事が矛盾だらけで進んでゆく。
仰向けに倒れるように、崇剛の細く神経質な手が、男らしい涼介の肩を押す。その力はレースのカーテンを扱うような軽いもの。
のはずだったが、涼介のゴツいアーミーブーツはかかとをベッドに引っかけ、
「っ!」
天井を仰ぎ見る形で簡単に後ろへと倒れ、シーツの海へと無抵抗なまでに投げ込まれた。
突然の出来事に思わずつむったまぶた。ベッドがギシッと軋み揺れた音で、純粋なベビーブルーの瞳は姿を現す。
しかし、もう遅かった。
少し日に焼け頬の両脇は、
純潔なホワイトジーンズを履いた両足の間には、崇剛のロングブーツに包まれた片膝が、体の内側を
開け放たれた窓から夜風が強く吹き込み、ローチェストに置いてあった花瓶が倒れ、赤い薔薇の花がこれからの涼介を案じするように、床に敷いてある絨毯の上に力なく落ち、花びらが砕け散った。
几帳面な主人はいつもならばすぐに直そうとするのに、もうすでに狂気な
「それでは、こちらで、私に強制的に従っていただきましょうか?」
感覚で妄想中の執事の中では、この言葉はこう訳されるのだった。
(あなたの体を通して、色欲という快楽を、私に与えていただけませんか?)
完全に大人の話へ自ら墜ちて――いや自爆してしまっていた。
女性を連想させるような紺の長い髪を、抑制するように縛っていたターコイズブルーのリボン。
持ち主の神経質な手で無防備に抜き取られ、執事の顔に滑らかなのにコシがあるそれが、重力に逆らえずさらさらと落ちた。
崇剛はリボンを半分に慣れた感じで折りたたみ、中央に結び目をつける。女性に見えるのに、腕力は男性そのものだった。
涼介の両手首を合掌せるようにして、紐と化しているリボンをそこへぐるぐると巻きつけて一度縛った。
力が加わりすぎないように直角に端を中央へ通す。いわゆる、手錠縛りだ。
優雅な主人に手際よく両手の自由を奪われてしまった執事は、焦燥感という火に下からじりじりと炙られるような緊迫感で戸惑い気味に問いかけた。
「お、お前、これは何だ?」
と言いながら、心の中はこう思っている。
(お前、どうして、こんな縛り方を知ってるんだ?)
執事が本当に知りたいことはこれだった。主人の意外な能力を知りたい。そう願ったが、それは叶えられることなく、涼介の両腕は、崇剛の綺麗な手で頭上へ追いやられた。
片手でベッドに押さえつけられたまま、主人の指先は執事の男らしい頬を、わざとゾクゾクさせるように、触れるか触れないかの絶妙なタッチで行ったり来たりする。
性奴隷という
「何だと思いますか?」
すぐさま妄想中の執事の中で、意味深に翻訳される。
(行き止まりへとあなたを導きましょうか?)
それなのに、感覚人間はなぜか、崇剛の思考回路を器用に再現――少数点以下二桁まできっちり計算した。
こちらの方法で、あなたが私の望むままになるという可能性が98.98%――
まだまだ妄想は続く。亮介は拘束されていない両足で抗おうとする。
しかし、瞬発力なら負けず劣らず、主人にもあったのだ。ベッドの下へ落としたままだった、もう片方の足が、崇剛によって男ふたりだけのシーツへと招き上げられた。
執事の右足は逃げられないように力強く挟まれる。四肢の拘束という色欲漂うものに、涼介はびくびくしながら、
「な、何を言わせる気だ?」
主人から質問されたのに、し返した執事。崇剛は冷酷に注意をした。
「ひとつ前にした私の質問に答えてください」
執事の洗いざらしのシャツのボタンは、主人の細い指先でひとつずつはずされてゆく、生まれたままの姿にされるように。
ひまわり色の短髪に触れるほど、肘までシーツの海に崇剛はどさっと沈み込む。中性的な唇は、涼介のそれへと吸い付くように近づいた。
「そ、それは……!」
涼介の胸だけが無防備に露出され、崇剛はおどけたように笑う。
「答えないみたいですから、仕方がありませんね。こうしましょうか?」
すると、千里眼の持ち主で、高い霊力を持つ聖霊師は慣れた感じで人差し指と中指で、腰元の鞘にいる戦友――ダガーの柄を挟んだ。
物質界のもの――本物をすっと抜き取り、悪霊との戦闘開始時と同じように力を抜き、涼介の心臓へ向かって刃先を落とし始めた。
「く〜っ!」
このままでは死んでしまうという恐怖で、涼介は思わず目をつむった。しかし、主人は流れるような仕草で、ダガーの柄を逆手持ちする。
「それでは、こちらを使って、
涼介が目を開けると、命と引き換えの懺悔が待ち受けていた。主人は執事ののど元へ、悪霊を対峙する時と同じように容赦なく、ダガーをえぐりつけようとする。
「うわぁぁぁっっ!!!!」
激しく飛び散る
*
落ちるとこまで落ちてしまった涼介はそこでやっと、悪夢としか言いようがない残忍なBL妄念から解放された。
「はっ!」
春の穏やかな日差しが、無縁と言うように素知らぬ顔で降り注いでいた。手元のシャベルは、薄茶色の丸い塊を掘り起こしてある。
悪戯が過ぎる神父のお陰で、いらぬ恐怖に陥れられ、涼介は心の中で思いっきり毒舌を吐いた。
(あの、策略神父!)
崇剛の部屋から、くしゃみが聞こえた気がした。五歳の子供の手前、本当のことも言えず、イタズラされたのかと質問されたが、
「注意されただけだ」
と答えたのに、
「…………」
自分に背を向けている小さな瞬から、返事は返ってこなかった。父はそれだけで何が起きているのか直感する。
「お前、つまみ食いはダメだぞ」
「えへへ……」
瞬は苦笑いしながら、野菜たちの隙間から小さな顔をのぞかせた。息子の口元にはイチゴの汁が緋色のシミを作り、甘酸っぱい香りが表情をほころばせている。
瞬のひまわり色の柔らかい髪を、春風が優しくなでてゆく。子供らしいふくらみのある小さな手が、鮮やかなルビー色の実をカゴへと摘み取る。
「イチゴ……ジャム〜♪ ケーキ♪」
デタラメな歌を口ずさみながら、心弾むようにウッキウキで収穫している息子の声を、涼介は背中で感じつつ一息つく。
「よし、こっちは終了」
夕食に使うジャガイモを掘り終えた彼は今度、昼夜問わず鮮やかな緑色を際立たせた夜会のエメラルドとも呼ばれる宝石――ペリドットのようなものに手をかけた。
「キャベツも獲れ時だ!」
キッチンから借り出された包丁は、根元へグッと押し込まれ切り取ると、涼介は片手で空へと野菜をかかげた。
「いいできだ!」
父は大きなカゴにキャベツを入れて、遊びながらマイペースでイチゴを摘んでいる、息子へ向かって振り返った。
「サラダにするハーブを取ってくるから、お前は先に行ってろ」
「うん、わかったー!」
瞬はぴょんと立ち上がって、右手を大きく元気よく上げた。
今は空室である診療所の入り口へ向かって、涼介のアーミーブーツは慣れた感じで芝生の上を歩いてゆく。
イチゴでいっぱいになったカゴを、瞬からは買い物にお出かけみたいに、小さな肘へ取っ手をかけて、嬉しそうにスキップし始めた。
「イチゴ〜♪ おいしい〜♪」
デタラメの歌をまた口ずさみ出した、想像力たっぷりの子供の幼い声。それを聞きながら、涼介は少しだけ後ろへ振り返り、誰にも聞こえないようにつぶやく。
「お前がいなかったら、俺は一人だったかもしれない」
水色の半ズボンに長袖のボーダーシャツを着た息子の小さな背中を、ベビーブルーの瞳の端に映して幸せそうに微笑むと、ステンドグラスをはめ込んだドアの前へやって来た。黒のアーミーブーツはふと立ち止まり、
「お前のお陰で、生きる気力を取り戻せたんだ。ありがとうな」
少しくすんだ金色のドアノブに、細いシルバーの結婚指輪がカツンと当たった。涼介はオレンジ色に藍がにじみ始めた空を見上げ、軽く目を閉じる。
返事が返ってこないことは百も承知で、それでも天国にいる亡き妻に話しかけた。
「崇剛のお陰で、俺は今でもここにいる。お前は元気でいるか――?」
一粒の涙が日に焼けたこめかみを落ちていき、瞳をそっと開けると、ステンドグラスの色たちはぼやけていた。
「もうすぐ二年か……」
畑仕事で汚れてしまった両手では、悲涙を拭い去ることはできなかった。上を向いて雫がこれ以上落ちないように何度か深呼吸をして、ドアノブを回し屋敷の裏手にあるハーブ畑を目指した。
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