Sacred Dagger/2

 すぐ後ろ――聖堂の壁と重なるように、二メートル超えの背丈で、腰までの長い金髪の人が、天国からにわかにすうっと降臨した。

 真っ白なローブを着て、頭には天使の証である光る輪っか。背中には立派な翼が広げられていて、どこからどう見ても聖なる存在だった。

「おや〜?」

 緊迫した戦況なのに、ゆるゆる〜と語尾が伸びていた。

 目は心の窓とよく言う。こんな言葉は存在しないが、誘迷ゆうめいで邪悪なサファイアブルーの瞳を持つ人物が、崇剛を守護する天使――ラジュ。

「名前を呼んでいただかないと、登場しませんよ〜」

 悪霊を成仏させることもせず、自分のそばで死という再生不可能なものを迎えようとしている守護するべき人間――崇剛に向かって、女性的なりんとして澄んだ声がおどけた感じで非道に浴びせられた。

 ニコニコした横顔を見せている天使を、冷静な水色の瞳がちらっと見やる。

「先日約束しましたよ。名前を呼ばなくても浄化してくださると」

 神父ははっきりと主張したが、人差し指をこめかみに突き立て、ラジュは困った顔をした。

「おや〜? そのようなことを約束しましたか〜?」

 と言いながら、心の中で覚えていると思っている。嘘つき天使。

 悪霊と邪悪な天使の狭間で、崇剛の優雅な声が舞い続ける。

「早くしていただけませんか?」

 消滅するかもしれないという状況下で、催促したのにもかかわらず、ラジュからはこんな残酷な言葉が浴びせられた。


「崇剛の成仏したところを見たいと思いましてね? うふふふっ」


 すっかり殺す気の天使。


 迫ってきている悪霊たちと対峙しながら、崇剛はもう何度聞いたのかわからないことを質問する。

「なぜ、あなたは負ける可能性が高いものを選ばれるのですか?」

「人が負けて死ぬところを見たいんです〜。うふふふっ」

 邪悪ではなく、これはピュアなのだ。ラジュの心の内はこうだからだ。

(天国へと人々を導く、私の仕事が増えますからね〜。人が死ぬという可能性の高いものを選びますよ〜)

 そんなラジュとは真逆の、生きる可能性が高いものを選ぶ人間の崇剛は、心の中で優雅に降参のポーズを取った。

「私とは違うみたいですね、ラジュ天使は」

 天使の聖なる光の影響で悪霊の力が少しだけ弱まり、死霊の手錠から崇剛の両手首は解放され、床へ足がストンとついた。

 神父はそれを見逃さず、足元で縦に突き刺さったままになっていたダガーを横蹴りし、反動で天井へ刃先が反転した。

 浮かんだところを、ロングブーツを履いた足の甲へ柄を乗せ、慣れた感じで軽く持ち上げ、

「っ!」

 天へ向かって、一直線を力強く描くジェットノズルのように、自分の右手に飛び上がってきたダガーの柄を素早くつかみ、無事に再参戦させた。すぐさま悪霊を一人斬り裂く。

「ウワーッッ!!」

 悲鳴が上がる。迫りくる白い透き通った手をダガーで斬り、時には壁に向かって投げつけて磔にしてゆく。


 戦闘中の神父。

 と、

 何もしない天使。


 どちらも男性なのに、綺麗な顔立ちと丁寧な物腰で中性的。だが今は、長い髪が色気という川を背中でたゆたわせ、ふたりとも女性的な雰囲気だった。


 百八十七センチの瑠璃色をした貴族服。

 と、

 二メートル超えの聖なる白いローブ。


 それらは背中合わせで、余暇をともに楽しむ貴族みたいな出で立ちで、悪霊たちと対峙する。

 聖霊師と天使のまわりには、悪霊が不浄の渦潮をなしていた。神父は影を聖なるダガーで着実に魂から追い出しながら、優雅に天使とおしゃべりを楽しむ。

「なぜ、神は私の守護をあなたに任せたのでしょうね?」

 が、ひどく皮肉まじりだった。対する天使は怒りもせず、ニコニコの笑みで平然と言い返す。


「あなたと私の楽園かもしれませんよ〜?」

「どちらから、そちらの言葉にたどり着かれたのですか?」

「神の御心みこころかもしれませんね〜?」

「なぜ、わざと返答をずらして返されるのですか?」

「そちらのほうが、崇剛が死ぬ可能性が高いと思いましてね?」

「無慈悲極まりありませんね、ラジュ天使は。正神界の天使とはとても思えませんよ」

「おや〜? 手厳しいですね、崇剛は。うふふふっ」


 とどめを刺さないまま、ふたりの言葉の掛け合いは続いてゆく。

 生きようとしている崇剛だけは、手足がきちんと動いていたが、運動には向かない彼の息は少しずつ上がってきて、ギブアップ寸前だった。

 未だに穢れが払われない古い聖堂を、冷静な水色の瞳いっぱいに映して、背後にいる無慈悲な天使に乞う。

「そろそろ浄化していただけませんか?」

 さっきから壁に磔にした悪霊は、魂から黒い影が浮き上がっているだけで、この場から消え去って――地獄に落ちていない。

 千里眼は見極める力だけで、浄化の能力は秘めていないのだった。


「仕方がありませんね〜。シャァァァァーーッッ!!!!」


 喧嘩している猫が発する威嚇いかくのような声を、ラジュは突如上げ、真っ白な聖なる光に旧聖堂は一斉に包まれた。悪霊たちは波を受ける砂浜のように、さーっと消え去ってゆく。

 たくさんの魂が浄化される余波に耐えられず、崇剛は目を右腕で覆った。手に持っているダガーが床へ力なく落ち、そのまま両膝は脱力したようにそこへ打ちつけられた。

 申し訳なさそうに差し込む陽光だけになると、上質なシルクのブラウスは前から床へどさりと倒れた。その背中に向かって、ラジュはおどけたように言う。


「おや〜? 霊体も気絶するんですね。そちらを確かめてみたかったんです〜」


 ラジュは完全に、崇剛をモルモットにしていた。天使は永遠の世界で生きている。病気も怪我もない。だからこそ、死という恐怖を知らず、純粋なまでに残酷だった。

 ラジュが右手を軽く上げると、白いローブの袖は揺れて、崇剛の霊体は一瞬にして肉体へと戻った。人を気絶するまで追い込んでおいて、ラジュはわざとらしく困った顔をする。

「天使の私では、崇剛の肉体には触れられませんからね。屋敷まで運べません。どうのようにしましょうか〜?」

 金髪天使は人差し指をこめかみに当てて、考える振りをする。

「乙葉 涼介を呼ぶのが一番妥当でしょうか? ですが、あの者は私を見ることはできませんからね〜。まどかもできませんね〜。瑠璃は眠っていますし……」

 倒れたままの崇剛の神経質な横顔を、二メートル超えの長身で見下ろし、ラジュは首を傾げた。

「しかしなぜ、崇剛はこちらの場所に来ては、このように気絶するを繰り返すのでしょうか?」

 廃墟などに行けば淀んだ空気が漂い、悪霊がいる可能性が非常に高い。勝利をつかみたいはずの崇剛。それなのに、わざわざ足を運んでしまうのだった。

 天使という人を守護する立場で、正体不明になっている人間――崇剛の紺色をした髪が頬に絡みついているのを指先で払おうとしたがすり抜けた。

「人とは弱い者ですね。過去の記憶ですか。たった数十年前のことなんですが、そちらに心を囚われるのも……」

 出生不明の崇剛。ここから少し離れた場所にあるベルダージュ荘に、以前住んでいた故ラハイアット夫妻にこの聖堂で拾われた。

 その時、ダガー以外に何もなかった。自身の起源を知りたくて、彼はここへと足を運んでしまうのだ。


「一度成仏して、生まれ変わるという手もありますよ。このまま魂を引き抜いて、神の元へ導きましょうか〜? そちらで、崇剛の心の呪縛は拭い去れます〜」


 死神みたいなことを平然という天使。ラジュはにっこり微笑んで、わざと見当違いな打開策を模索し始めた。

「そうですね……? 国立 彰彦にしましょうか? 私のことも見えませんし、時間もかかりますしね〜」

 そうして、この無慈悲で残酷な天使の本音が告げられた。

「やはり失敗してしまいましたか〜、と久々に言ってみたいんです〜。崇剛の守護をするようになってから、一度も言ってませんからね〜?」

 別の街にいて、刑事の仕事をしている、霊感のほとんどない国立をわざわざ呼ぼうとする、負けることが好きなラジュ。

 だが、堕天使と言ってもおかしくない彼のお遊びはここまでだった。


「――お前、真面目にやって」

 マダラ模様みたいな男の声が聞こえると同時に、祭壇を背にして身廊をこっちへ堂々たる態度で歩いてくる、背中で両翼を広げ、頭には光る輪っかを持つ天使がいた。

 ニコニコの笑顔のままだったが、サファイアブルーの瞳は隙なく、ルビーのように異様に輝く赤目を見つめ返した。

「おや? 君ですか。地上で会うとは何を企んでいるんですか?」

 倒れたままの崇剛を見下ろして、山吹色のボブ髪を持つ天使は足音もさせず、ラジュへ向かって足早に歩いてくる。

「お前、いいから仕事しちゃって。こいつのこと消滅させないよ?」

「おや? バレてしまいましたか〜」

「ほら、ちゃんとして」

 神からの叱りが落ちてきたように、ラジュはローブの肩をくすめ、守護の仕事をやっとし始めた。

「天啓という形で、乙葉 涼介に来ていただきましょうか?」

 手のひらで何かを空へ投げるような仕草をすると、一筋の金の光が打ち上げ花火のように上がる。ある方向を目指して、すうっと尾を横に引いて飛んでいった。

 ラジュよりも背の高い男は、参列席に浅く腰掛けて、手のひらにいきなり出てきたリンゴを、皮ごとシャクっとかじる。

「神様からお前に伝えたいことがあんの」

「おや? 神から呼び出しですか」


 さっきの放置は度が過ぎたのか。それとも別のことなのか。


 神の使いが役目の男は、甘くさわやか香りをふんわり広がらせるが、口調はさっきから変わらずかなり砕けたタメ口だった。

「お前じゃないと困んの」

「うふふふふふふっ……」

 不気味な含み笑いをもらす、腹黒はらぐろ天使とも噂されている同僚が、何をしようとしているのか、赤目の男はすぐさま察知して、螺旋階段を突き落とされたみたいなぐるぐる感のある声で、笑い声を強制終了させた。

「お前、失敗すんの好きだからって、他のやつにバラすのなしね」

「おや、釘を刺されてしまいましたか〜?」

 おどけた振りで、ネタバラシをするラジュに、男は戦車か何かで強引に踏みつぶすように話をまとめた。

「いいから、崇剛のこと終わったら神殿に来て」

「えぇ」

 ラジュがうなずくと、男はリンゴをかじったまま、すうっと消え去った。

 ニコニコ笑顔のまま、ラジュはその場に立ち尽くすが心の中は、暗雲が立ち込めていた。

「彼がここへ来た……」

 あの男は天使という格好をしているが、素性を誰も知らない。話を聞けば、守護の担当をする人間が長い間いないと言う。

 神出鬼没しんしゅつきぼつ。罠を張って行方ゆくえを探ろうとするが、誰があとをつけて行っても必ず巻かれてしまう。


黄霧四塞こうむしそく……」


 凛とした澄んだ女性的な声が響いた。はかなげな陽光は、時折吹いてくる風で葉でゆらゆらと揺れると、明暗を繰り返す。今はただの落ちぶれた聖堂だった。

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