Beginning time/2

 電気という技術が外国から最近きたが、まだまだ普及率は低く、国の役所街だけだった。

 休憩室のすぐ隣にあるタバコの自動販売機の前で、国立はジーパンのポケットから皮の小銭入れを出した。

 無造作にお金をつかみ、ジャラジャラと硬貨投入口に入れてゆく。購入ボタンが赤く点灯し、野郎どもがよく口にする銘柄をつぶやく。

「赤マル。セッタ……どれでも一緒だろ。葉巻には敵わねぇぜ」

 カタンと出てきたタバコの箱を取り出し口から引き上げた。

 不思議と人が通らない治安省の広い廊下。窓際に斜めにもたれかかるのは、二メートル近くもあるガタイのいい男の体。映画のワンシーンみたいに男のロマンを語った。

 斜めに寄り掛かったまま、タバコを手に持ったまま、シガー用のジェットライターを葉巻と同じ要領で近づけた。そこではたと気づき、

「……葉巻と違って、口で吸いながら火ぃつけんだよな」

 タバコを口にくわえて、ライターの炎をその先端へ合わせるのに慣れない神経を使う。イラッとしながらも何とか火がついた。

 口の中でくゆらせる。肺に入れずそのまま吐き出して、国立は激しい後悔に襲われた。

「いつ吸ってもまずぃな。プラスチックみてぇな味しやがる。葉っぱのうまさ半減だっつうの」

 あまりにもひどい代替え品を前にして、まったくリラックスできないでいた。人工的な匂いと味に侵されてしまった、口内を洗浄しようとする。

「甘いもんほしいな……」

 長い廊下なのに、未だに誰ひとり通らない。不自然なくらい静まり返った、誰もいない休憩室。

 締め殺される人がもだえ苦しんで、爪で引き裂いたような破れがあちこち目出つソファー。それを背にして国立は陣取った。

 ポケットからコインケースを再び出して、ブルーグレーの鋭い眼光が向けられる。

「……小銭、さっきのでオール使っちまったぜ」

 理不尽な理由で、能力もまったく活かせない仕事へいきなり回された。霊感のない自分にはどうすることもできない案件ばかりが、毎日舞い込んでくる。

 誰も事件だと思うこともなく、事故だと判断し、解決責任など同じ寮の人間は誰も持っていない。

「墓標建てられちまったぜ。何でこんな機関があんだ? この国は宗教国家ってか。洒落しゃらくせぇ……」

 うなるように吐き捨てると、ストレスでトゲトゲしている、心はとうとうリミットオーバーした。国立は口の端をにやりとさせ、へどが出るというように、


「ここもかよ!」


 吠えるように言って、慣れた仕草で自動販売機へジーパンの長い足で、回し蹴りを見事に決めた。

 ドガーン!

 衝撃でへこんだ自動販売機から、カラカラと缶がひとつ転がり出てきた。無償で手に入れたオレンジジュースを手に取って、胡散臭そうに眺める。

「天のお恵ってか? オレはそんなん信じねぇ――!」

 視線を感じて、手のひらでポンポンと投げていた缶を握りしめた。

 衣擦れや人の話し声は聞こえない。それでも、こっちを見ている。それはわかる。日頃の生活の中で感じる視線と一緒だ。


「誰かいんのか?」


 くわえタバコのまま後ろへ一歩あとずさり、遠近法を感じるほど長い廊下を眺めた。

 人ではない何かに、空間を切り取られてしまったような、薄気味悪い静寂が漂うだけ。

「気のせぇか……ん?」

 今度は反対側から、人の気配というか、やはり視線を感じた。国立はそっちへ素早く顔を向けるが、不自然なほど静かな廊下が広がるだけ。鋭いブルーグレーの瞳には誰も映っていない。

 しかし、人混みの中で自分にたくさんの視線が集中しているような感覚があった。

 実態のない得体の知れないもの。国立はタバコを灰皿の上にポイッと投げ捨てた。

「また、オレの目がおかしくなってんのか? 誰もいねぇのに、何か感じるっつうのは……霊感? なかったもんが急に出てくるってあんのか?」

 神経を研ぎ澄ましてみると、何も聞こえないどころか、


 キーン……。


 耳鳴りみたいなとがった音が広がってきた。


 キーン、キーキー……。


 ひとつが鳴り終わらないうちに次、次。


 キーキーキー……キ、キ、キ、キ……。


 その次、そのまた次……その音で、自分という輪郭がかき消されてしまうような不協和音。

 もし今ここで何かが起きて、自分が死におとしいれられたとしても、誰も気づかないだろう。それどころか、自身が存在していたことも、人々の記憶から抹消されてしまう。

 本当の闇にほうむり去られるような人気のない廊下――。

 それでも、野郎どもに慕われる兄貴はひるむことなく、鋭い眼光をあちこちに向ける続ける。

「一体何人いやがんだ? はっきりとは見えねぇから数えられねぇけど……。囲まれてんのはわかんぜ」

 霊感をまたっく持っていなかった国立。それなのに、感じ取ることができるようになってしまった。

 しかし、感じるだけでは何の対処もできない。リングに上がれないまま、無防備にパンチやキックを一方的に連打されるようなものだ。

 国立のウェスタンブーツはくるっと、聖霊寮の部屋があるほうへと向き直り、霊界という死の扉を背にして歩き出した。

「戻るか……」

 スパーの、カチャカチャという音が水の中にいるようにくぐもって、ゴニャゴニャとまとわりつくように聞こえてくる。

 水が耳の中に入ってきたような不快感から、自身を解放しようとしても、物理的な問題ではなく、なす術がない。

 休憩室から国立の大きい背中が離れてゆくと、


 自分についてくる気配。

 と、

 立ち止まっている気配。


 そのふたつに分かれたが、違いがなぜなのかさえもわからない。それでも、兄貴は別に臆することなく歩いてゆく。

 足取りが異様に重い。自分のまわりだけがやけに薄暗い。今にも自身を押し潰してしまいそうな圧迫感に息苦しさ。

「疲れるって言葉、案外、かれるから来てんのかもな。お化けさんに、ナイストゥミーチューって……か」

 多数の見えない気配とともに、誰にも出会わない廊下を、ポケットに手を突っ込んだまま、国立のウェスタンブーツはスパーをカチャカチャ鳴らしながら進んでゆく。

「崇剛 ラハイアット……。千里眼のメシア。ロマンチストの伝説じゃねぇのか、れって」


 千里眼――。

 それは、遠いところの出来事や人の心などを、直覚的に感知する能力。


 メシア――。

 それは、神が選びし者に与えた特殊能力。


 信じていない人が多い世の中。持っている人には、一生に一度出会えるかどうかの希少なもの。

 国立はそんな噂話を聞いても信じてこなかった。しかし、今の自分の感覚は事実で現実だ。受け入れる他なかった。

「人の能力引き出すほど、強力ってか。そそられんな、やっこさんにはよ」

 何気なく取り上げた一枚の写真。偶然のはずだった。それなのに、必然という異名いみょうが隠されていた。

 国立は運命を強く感じた。ふたつのペンダントヘッドをぶつかり合わせながら、自分を吸い込みそうな、トンネルのような薄暗い廊下を進んでいった――


    *


 不浄で黄ばみだらけの聖霊寮に戻り、自分の席につこうとした国立は、机の上にぶちまけられた事件現場に出くわし、鼻でふっと笑った。


「これは、呪縛だな……」


 うず高く積み上げてあった資料の途中から、さっき一枚紙を抜き出した。バランスを崩していた紙の山が収集がつかないほど、雪崩なだれをあちこちで起こしていた。

 ひとつ倒れたら次、次……。成功したドミノのように見事に総倒れだった。

 放置されている案件あまりに多すぎる。手つかずでどんどん上へ上へ乗せられてゆく。もうこれ以上は乗らないと、紙の山が訴えかけているのに。

 それが聞こえたとしても、国立にはどうすることもできない。そうして、日に一度は雪崩タイムが発生。これを呪縛を言わずして何と言うのか。


 帽子のツバを少し引っ張って、かがもうとした時、崇剛の写真とさっきの多額の保険金についての案件が一番上に乗っていた。

「神様のお導きってやつか? 人生何があんのかわからねぇな、まったく。だから、生きてんのは面白インタレスティングなんだよ」

 回転椅子にどさっと腰掛けて、床までこぼれ落ちて散らばった資料の上に、平然と足を乗せた。

 左右に大きく股を開いて、さっきタダで受け取った缶ジュースを一口飲む。しかし、今度は甘々の柑橘系が、兄貴の味覚に襲いかかった。

「オレはガキか……。果汁三十パーのオレンジジュースって……。葉っぱとシンクロ率低すぎだろ」

 手に入れたばかりの霊感を使って持っていた案件を、ブルーグレーの鋭い眼光で射殺す。すると、さっきとは違う見解が生まれた。

「ストレンジなフィーリングすんな、これ……。ただの保険金目当てじゃねぇ……な」

 死んだような目をして、椅子にただ座っている同僚を見渡し、黄ばみばかりが目立つ壁やファイルなどを瞳に映した。


「ここは墓場っつうことで、オレは墓守はかもり。らよ、それらしく仕事してやるぜ」


 幽霊の事件。未踏みとうの世界――

「どうやったら、これ立件できんだ?」

 こうして、霊能力初心者の国立は、聖霊師と深く関わる事件へと、聖霊寮の他の職員とは違って、やる気を持って挑み始めた。

 国立――心霊刑事は持ち前の勘の良さで、事件をどんどん明るみへと引っ張り出していった。

 この世では敏腕刑事でも、あの世では新米。解決できな事件は多々あった。その度に各地にいる聖霊師の助けを借りて、仕事をこなしてゆく日々。

 霊感を磨くということがあるとは知らず、感じる程度で見ることも話すこともできないまま、一年の歳月が流れていった。

 そんな過程で、メシア保有者の崇剛がどれほど優れているか、嫌でも気づかされた。


 そうして、自身で予想した通り、国立 彰彦にとって、崇剛 ラハイアットは一目いちもく置く人物となったのである――。

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