飯山さんとパンケーキ

 飯山が見つけた店はゲームセンターから歩いてすぐのビルの中にあった。様々な店が入った商業施設だ。その目の前に立つと飯山は、うわーと声を上げる。

「こんな建物、私には無縁だと思ってたよ。それにしても大きい」

「いろいろ店が入ってるからな。洋服から雑貨まで。ついでに電気屋も近くにあるぞ」

 飯山は複雑そうな表情をした。

「天国か地獄か……」

「ゲーム取り上げられてると、やっぱりゲームソフト物色するのはきついか?」

「まあね……。めちゃくちゃお腹空いてる時にショーケースに並んだ食べ物見るのしんどいでしょ。これから食べられるっていうなら話は別だけど」

「そうだなあ」

 中に入り、エスカレーターで上まで行く。飯山曰く、エレベーターは人が混み合うから嫌い、とのことだった。流れる階段に身を任せている間、飯山は落ち着かなさそうにきょろきょろと辺りを見渡し、時折こちらに困った顔を向けた。普段身を置かぬ空間で、落ち着かないのだろう。だが、その目は好奇の色も示していた。立ち並ぶマネキンや棚に見栄えよくディスプレイされた雑貨など、ゲームしか知らなかった飯山にとっては未知のものなのだ。彼女の様子を見て、俺は少し楽しくなった。もっと、彼女が知らないだろうどこかに連れ出してみたいと思った。

「陽キャはこういうところぶらぶらしたりするんだ?」

「ああ」

「ふーん。まあ、楽しそうかも」

「じゃあ後で寄ってみる?」

「ん」

 飯山は短く返事をした。どうやら少しは興味を持ったらしい。

八階に到着し、レストランが立ち並ぶ区画を探すと、目的の店はすぐに見つかった。ただ、ハートが描かれたメニューや白い内壁が、どことなくメルヘンな雰囲気を漂わせていた。果たして男が入ってもいいのだろうかと戸惑っていると、飯山も同様のことを思ったのか、こちらを見てにやけた。

「尾形の場違い感」

「うるせえ」

 言いながら、俺は客層が気になった。これで全員が全員、女子などであったらいたたまれない。恐る恐る、店内を確認すると、予想通り女性が多いが、中には男性もいて、思い思いに食事や談話を楽しんでいる。男性が異端というわけではないことに俺はほっとした。

「気になっちゃった?」

 飯山は引き続き、俺を茶化してくる。余計なことを言うからだ、と伝えると、飯山はごめんごめん、と軽く謝った。そのあと、店員に案内を受けた。俺と飯山は角の席に向い合って座った。飯山はソファ席で、息を深く吐いた。疲労から来るどんよりした吐息。どうやら慣れない外出で疲れていたようだ。ふと、自分の足もまた、だるくなっている事に気づいた。

「なんかすんごいお腹空いた。こんなの久々だよ」

「VRではしゃいだからか?」

 そう聞くと、飯山は、んー、と少し唸る。

「それもあるけど、なんというか、新しいこといっぱいだったからさ。VRもそうだし、メダルゲーもそう。ゲーセンで格ゲーしたのも実は初めてだった」

「アーケードのコントローラー初めて触ってアレだったんですか……」

 格闘ゲームはアーケードコントローラー、略してアケコンを使ってプレイすることが多い。ゲームセンターの筐体のレバーやボタンなどが正にそれだ。だが、家庭用のゲーム機になると、当然使われるのは普通のコントローラーとなる。つまり、携帯ゲーム機からリンクラを始めた飯山にとっては、不慣れな環境だったはずだ。

 慣れない環境で、いつもと遜色ないプレイを見せるのはさすがだ。

「使い心地よかったな~。本場って感じがしたよ」

「まあ、間違ってはないんだが……」

 俺は頭を掻いた。楽しかったようでなにより。

「あとは、そうだね。こうやってなにかを食べたいって外に出たのも、たぶん初めてかな」

「小さいころからそうなのか?」

「小さいころはノーカンでしょ。小さいころの夢をさあ、そのまま抱えてきてる純真無垢な方々なら別だけど」

「夢、ねえ」

 飯山の言うことは最もだった。今の自分と過去の自分を比べたときに、同じ存在だとは少し言いにくい。

「なんか幼稚園とか、小学生でもいいんだけどさ、あったりするじゃん。将来の夢を書いてみましょうって。幼稚園だと絵か」

 幼少期の飯山がどんな感じだったかに、俺はかなり興味が湧いた。昔からゲームは好きだったと聞くが、どのような経緯で今のようになったのかを知りたいと思った。

「飯山の夢はなんだったんだ?」

 飯山はやや俯く。前髪のカーテンの向こうに、困った様子が伺える。

「……笑わないでほしいんだけどさ」

「うん? ……ああ、笑わないけど」

 飯山は顔を俯けたまま、しばらく黙っていたが、やがて小声で答えた。

「お嫁さん……」

 顔を赤らめていた。初めて見る表情に、俺は少し驚き、拍動が早くなるのを感じた。飯山は、前髪の間からこちらをちらちらと伺っている。しばらくは恐る恐るこちらの顔色を見ていたが、やがて、あー! と荒い声を上げた。

「やっぱ笑うじゃんか尾形! 笑うなって言ったじゃん!」

いや、笑ってなどいない。反射的に思ったが、俺はどうやら口元が緩んでいるようだった。

「いや、ちが、これは違うって、微笑ましいなって、そんだけ! もし、もしもだぞ? ここに幼稚園児が居て『将来の夢はお嫁さん』って言ってたらちょっとにっこりするだろ? そういうことだぞ? 馬鹿にしてるわけじゃないからな?」

 飯山は頬を膨らませていたが、納得したようで、身を引き、再び深めに腰かけた。 ただ、納得はしても、飯山はまだ若干拗ねた様子だった。羞恥の色が顔に残っている。そんなに照れ臭いことなら真面目に答えなくてもいいのに、丁寧に答えてしまうところに、飯山の人柄の良さというものを感じた。良さというよりは嘘などをつけない純粋さだろうか。しばしの沈黙の後、飯山から質問が飛んできた。

「……はい、尾形さんの夢はなんでしたか」

「俺の夢か」

 自分の昔の夢を思い出そうとする。過去の光景がまるで昨日起きたことのようにフラッシュバックする。手を差し伸べて笑う少年。泥だらけの俺。あいつだけがいない教室。画鋲の入った上履き。落書き。あいつの言葉。そのどれもが、自分にとって強すぎる意味を持っていた。なんと答えたものか、少し悩み、

「……ヒーローかな」

 そう答えた。飯山は俺の目を見て、少しの間黙ってたが、そっか、と静かに頷いた。

「まあ、戦隊ヒーローとか当時流行ってたし。俺だって、ほら、主人公格のレッドとかに憧れた時期もあったんだよ」

 盛り上がりに欠けた発言で白けた場を誤魔化そうとしたが、飯山は苦笑した。

「戦隊ヒーローでそんなに感傷的な顔するかなあ」

「…………」

 軽く流そうとしたが、痛いところを突かれた。飯山は頬杖をつく。

「私だって、ほら、曲がりなりにも尾形とコミュニケーション取ってるわけだし、なんとなーく分かるよ。でもまあ、尾形が話したくなったらでいいよ、その話は」

「……ああ、サンキュ」

 俺が礼を言うのを見て、飯山は微笑んだ。飯山は人の心の機微に無関心かと思ったが、違うようだ。しっかりとこちらの様子を見ているし、話も聴いている。飯山の言う通り、曲りなりに、ではあるのだろうが。俺は心の中で飯山に小さく謝った。

「ところでめちゃくちゃにお腹空いた。尾形、どれ頼む?」

 この話題の急転換も、何度かあったが、もしかしたらこちらを気遣っての行為なのかもしれない。そうだとしたら申し訳ないが、ここでその謝罪を伝えるのはどう考えても場違いだった。感謝の意をしっかりと伝えられないことに漠然と罪悪感を覚えつつ、メニューに目を走らせる。このお返しは、いつかどこかでしよう。

「パンケーキって思ったより大きいんだねえ……こんなに食べれるかな」

「飯山、普段から栄養食ばっかりだもんな。胃が縮んでそうだ」

「そうね。たぶん、尾形の半分も食べられないと思う。尾形がお昼誘ってくれるまでまともな食を取ってなかったし」

「そりゃそんなにスリムになるわけですよ」

 俺は飯山の白く細い腕を見た。飯山の身体は、下手に扱えばすぐに崩れてしまいそうなほど脆く映った。飯山の姿は、餓鬼のように醜いわけではない。むしろ美しい比率を保ってはいるが、それは不健康な美しさだった。ゲームが楽しいのは同意できる。おせっかいなのは承知だが、それでも飯山には並の食事をして、並の運動をしてもらいたいと感じた。

「んー、パンケーキセットが丁度いいかも。ハーフサイズのパスタと、パンケーキ」

「いいかもな。……俺は、そうだな、オムライスのセットでいいかな」

「なかなかの量だね。さすが尾形。男の子だ」

「そりゃどうも」

 俺たちは運ばれてきた食事を、話しながらゆっくりと味わった。だが話の内容は、主にVRの話だった。いつも通りのゲーム談義だ。VRは確かに楽しいけれども体力をつける必要がある、と飯山は息巻いていたが、三半規管側の問題をどうするかと聞くと、飯山は苦い顔をした。

「そこはもう、技術でどうにかしてもらう」

 酔わないVRというものが近い未来、開発されたりするのだろうか。そんなことをぼんやり考えていると、飯山はこんなことを言った。

「誰も開発しないなら私が開発する。ゲームができないなんて屈辱を受けっぱなしでいるわけにはいかない」

「屈辱って……」

 大げさにも聞こえるが、飯山の物差しで測れば、悔しい出来事なのだろう。闘志、というよりは沼から這い出てきた執念深いラスボスみたいなオーラを纏っている飯山をよそにオムライスを頬張った。

「飯山って、将来どうするかとか、もう決めてるのか?」

 飯山は即座に、専門学校、と答えた。

「プログラマーとかになろうかなって思ってる。もちろんゲームの」

「結構はっきり決まってるんだな」

「まあね。ただ、専門学校行くかは迷ってる。というか、たぶん父親が許してくれないだろうしさ。家を出てって働きながら専門っていうのも正直体力のない私には絶対無理だって分かってるし」

 飯山の将来のビジョンの明確さに、俺は驚いた。飯山の将来への姿勢を鑑みるに、飯山が勉強を頑張ってやっている理由も、きっと選択肢を残しておくためなのだろうと気づいた。進路も何も考えず、ただぼんやり過ごしている自分のことが、少し恥ずかしくなる。

「尾形は? なんかなりたいとかあるの?」

「……いいや、ない、かな」

「そか。まあ尾形はなんにでもなれそうだね。順応性高そう」

「そうかなあ……」

 漠然と将来の姿を考えてみたが、具体的なイメージを持った像には結びつかなかった。俺は頭を掻く。なんにでもなれそう、というのはどっちつかず、とも言える。それはまさに、今までの俺の不明瞭な人生に対する回答であった。俺は何になればいいのだろうか。

「まあ……これは自分で出す問題だよな」

「別に相談してもいいと思うけどね。尾形きっといい友達いっぱいいるでしょ」

「それは……まあ、そうだな。じゃあ今度相談させてくれ」

「へ?」

 パスタを食べる手が止まった。飯山が目を丸くしてこちらを見ている。彼女は一度フォークを置いて、不規則に頷いた。

「ああ、えと……うん、そうね。うん。私でよければ聞くよ」

「ありがと」

 答えたあと、飯山はこくりと頷き、それっきり黙ってしまった。

「……いや、迷惑だったら別に――」

「いや! そんなことないよ、うん、全然。まあ、今度、そうだね、またなんかあったら言ってよ」

 飯山は慌てた様子で、早口で答える。違うとジェスチャーをするための手がフォークにぶつかり、少しうるさい音を立てた。嫌というわけではないのだろうが、なにを思ってそんな反応をするのだろうか。俺は飯山の真意をくみ取ろうと飯山の表情を見るが、彼女とは全く目が合わなくて、つい苦笑した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

飯山さんはゲームまみれ 時雨逅太郎 @sigurejikusi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ