飯山さんとデート?②
上りの電車は五分の間隔で駅を出入りしていたから、俺たちがホームで汗をかきながら待つということはなかった。電車は俺と飯山がホームに入った時に、到着のメロディを流した。電車の中は冷蔵庫ではないかというくらい冷えていて、俺は先ほどコートを脱いだ飯山が心配になったが、彼女は心地よさそうに冷風を浴びている。どうやらこのくらいの温度が快適なようだ。
「寒くないか?」
心配の声かけ、というよりは話題のためにそう聞いた。飯山は心なしか、いきいきとした様子で答える。
「うん。全然平気。私いつも家でこのくらいの温度だし」
「飯山って暑がりなのか?」
「というか、汗がすごくてさ。あまり外には出たくないんだよね。夏の時期の体育とか地獄。体操着とかびしゃびしゃになる。まだ六月だからどうにかなるけどこっから先はあまり考えたくない」
飯山は気だるげだった。これから来る季節がひどく憂鬱なのだ。俺も、そこまで汗かきというわけではないが、例年やってくる夏の蒸し殺されるような暑さにはうんざりしている。夏が好き、という人間の気が知れぬほど。そういう点では飯山の沈みには共感ができた。
だがそれとは別に、飯山が汗かきだということが意外に思えた。いつも身じろぎせず一つゲームを黙々と行うクールな姿。そこから汗かきの姿が連想されることが全くなかったからだ。ただ、こんなものは俺の勝手なイメージの産物なんだろう。よくよく考えれば、いくらクールな人間でも汗をかくし、ゲームばかりの飯山でもクレープに興味を示すのかもしれない。実際、飯山は今日クレープを食べる計画を立てている。
「意外だったな、なんか」
「新陳代謝悪そうな顔に見えるでしょ。私もそっちの方がよかったよ」
飯山は、軽くおでこを拭った。まだ今日はそれほどの暑さでもないが、彼女の汗腺はすでにこの気候に対して『暑い』との評価を下しているようだった。触れなくとも分かるほど、彼女の肌はじっとりと湿っている。飯山の暑がりは相当なようだ。
それなのに薄手とはいえコートを着てくるのは、気に入っていた格好だったからだろう。正しくは『気に入った』格好だから、だが。確かに、コートを脱いで体のラインがはっきり見える今の状態もいいが、コートを着ていたときの方がどちらかと言えばおしゃれという感じがした。俺もファッションに関して偉そうなことは言えないので、これは単なる感性の問題にはなるが、とりあえずはそんな印象を抱いた。
「そういえば、なんだっけ、『それでこそ飯山』」
電車に乗るまでの会話を、飯山が思い出した。そうだ、その話を電車に入るまではしていたのだった。
「飯山がクレープを食べたいとかいうから俺の気が動転したって話だよな」
「それそれ。言われて思い返したんだよね。ゲーム以外のことしようって思ったのいつ以来だろうなって。珍しいなって自分でも思った。まあついでにVRゲーしに行くんだけどさ、それでも珍しいや」
俺は、そうだよな、と頷いたが、頭の中で言葉をじんわり理解していくうちに、首を傾げた。
「……ん? VRゲーのついでではなく?」
飯山はかぶりを振った
「クレープとパンケーキのついで、だよ。VRゲーは確かに興味がある。けどやっぱ体感型よりも手元のコントローラーでポチポチやってる方が性に合ってるのは分かってる。だから、『ついで』。やっぱ義務感あるし」
「そうか」
俺は飯山の話を聞きながらも鼓動が強く速くなっているのを感じた。そこまで暑くもないはずだったのに、この空間が熱を帯びたような錯覚に見舞われる。のぼせているのだと自分でも分かった。が、自意識過剰だと思った。飯山は俺との外出に楽しみを直接見出しているわけではない。……ただ、自分が(実際はそこまででもないが)好きなものに興味を示してくれたことと、自分とゲーム以外でも関わってくれる姿勢が、そう思わせてしまったのだった。これが普通の女子なら別に事は大きくない。しかし相手は飯山である。そうなると話は違うのだ。
俺はこの感情の処理に困ったが、とりあえずは平静な表情を作ることに努めた。頭の中では、男性に好意を向けられた瞬間、その人物に嫌悪感を抱く女性、といった内容のネットニュースがさらりと流れていった。友人としての飯山を、失いたくはないなあ、そうぼんやり考えていた。
「そういえば尾形。池梟でおいしいところとか、知ってる?」
相も変わらず飯山はこちらの事など気にしていないようだった。その姿になんとなく安心した。同時に自分の脳内会議が馬鹿らしくなった。別に、いつも通り、いままで通りでいいのだ。
「あー……うーん……」
俺は池梟に関して、思考を巡らした。
池梟。水族館を始めとするレジャー施設が立ち並ぶ土地。しかし、その中にはゲームやアニメに関した販売店も並び、俗な言い方をすれば一般文化とオタク文化がいい塩梅に混じり合った地域と言えるだろう。どちらにもなりきれない中途半端な俺は、池梟にあまり足を踏み入れたことがなかった。土地勘は全然ないし、その付近に関する情報もからっきしだ。
「俺もよく分からないんだよな。一、二回通りかかったくらいか」
「だよねえ。私もせいぜいゲームを買いに来たことしかないんだけどさ」
すると飯山はスマホの画面をこちらに向けた。おすすめのパンケーキ屋さん五選、のような題目のサイトが開かれており、そこにはクレープ屋の情報やパンケーキの情報などがタブをまたいで表示されていた。
「そう思って、評判のところを調べた」
「非常に助かる。グッジョブ。その中でどこか行きたい場所とかあるのか?」
「うん。行きたいっていうか丁度いいなあって思ったのがここ。パンケーキだけじゃなくて普通に洋食もやってるみたいなんだよね。なんか甘いものだけ食べるのも罪悪感あるから、ちゃんと食べたいなって」
「どれどれ」
俺は飯山からスマホを受け取り、内容を確認してみた。パンケーキの種類も豊富だが、オムライスやパスタを始めとした多彩なメニューが用意されているようだ。確かに昼食にはちょうどよい。俺も、スイーツだけの昼食は避けたかった。出来ることならがっつりと食べたい。俺は笑顔で頷いて見せた。
「うん、よさそうだな。ここに行くか」
「おっけー、楽しみ」
飯山はスマホをポケットへと滑り込ませた。パンケーキの話をしたとき、飯山は俺とパンケーキを食べることを『楽しみ』と言っていた。俺はその言葉を社交辞令のように感じていたが、今の楽しそうな飯山の様子を見るに、決してご機嫌取りではないことに気づいた。飯山は純粋にこのイベントを心待ちにしてくれているようだ。
「とりあえずゲーセン行って、そのあと昼飯食べるのは良いとして、そのあとはどうする?」
「うーん、今再びのゲーセン? なんなら尾形の家でゲームでもいいけど」
「結局ゲームばっかりじゃねえか」
一応、ちゃんと他のことに興味を示しているのは理解しているが、やはりゲームが中心の飯山の思考パターン俺は思わず苦笑した。しゃあないじゃん、と飯山も釣られて笑う。
「今までこんな過ごし方してこなかったんだからさあ。……陽キャ流の休日の過ごし方はなんなんですか尾形先生」
飯山がそんな風に質問をしてくるが、実際俺も自信があるわけではなかった。しかし、飯山よりは選択肢が豊富である確信はあった。
「そうだな。まあ、手軽なのはカラオケ。とりあえず歌ってればだいたいその場は乗り切れる。こういう曲好きなんだとか言っとけばいい。ボーリングとかそういったレジャー系もいいだろうな。共通項があるから話しやすいと思う」
「攻略情報みたいになってるよ、尾形。しかもそれ私が尾形以外の見知らぬ陽キャと絡むとき用じゃん。そんな機会はないから安心して。私は今日尾形と過ごす選択肢が欲しいだけだよ」
「おっと……すまん。そうだなあ。うーん、まあそういうレジャー系とか……食べ歩き。あとはウィンドウショッピングとか? いや実際にモノを買うわけじゃないけど、そうやってぶらぶらしたり、って感じかなあ」
「それ、盛り上がるの?」
飯山は疑わしいようだ。気持ちは分かる。根本的に住む世界が違うのだ。俺も正直これら述べた過ごし方をしていてしんどくなることはある。俺も別に陽キャとかではないのだ。ただ、溶け込むことができるだけである。俺は肩を竦めた。
「コミュ力がめちゃくちゃいる。あと仲が良くないとやらんかな」
「ふーん……。まあ、今のところ尾形としか遊ぶ予定ないし、そこらへんは考えなくていいや」
飯山は誰かと関わることを諦めている、といった様子ではなかった。その代わりに、今ある友人関係以外には興味がない。そんな態度だった。
その後、飯山とはいくつかゲームの話をした。『クリーチャー』の最新情報がどうとか、このゲームはここが面白いだとか、飯山のコントローラー操作の素晴らしさ講座など、いつも通りの会話をするうち、池梟駅に着いた。押しのけられるように、追い立てられるように降車すると、飯山は少し不快そうな顔をした。人混みはこれだから苦手とのことだった。
「ゾンビゲーなら大歓迎なんだけど、ちょっとこれはね」
喋る飯山の顔から、余裕がなくなっていった。この人混みにだいぶストレスを感じているらしい。
「デッドロードならグレネード投げて突撃か?」
飯山の気を紛らわせるためにゲームの話題を振る。飯山は苦笑しながらこちらを見た。少しおどけた顔をして、話を促すと、飯山は広くて窮屈な構内を見渡した。集団で歩く二十歳前後の男女、スーツを着た凛々しい顔つきの男、こじゃれた服に身を包んだ女性、キャリーケースを引く外国人。その全てが、今、彼女の目にはゾンビに見えていた。
「うーん、そうだねえ。このゾンビの大群なら、そうしちゃうかな。尾形はいつも通り援護してくれればいいよ」
「いつも援護できてるか怪しいんだがな」
「出来てる出来てる。いつも助かってますよ、尾形大尉」
「恐れ入ります、飯山少佐。ただ、私が近辺にいるときに爆発を起こしまくるのは控えていただきたい所存です」
「考えておこう」
くだらない会話を交わしていると、段々飯山の顔色がよくなってきた。たぶん飯山は人酔いするタイプなのだろうが、酔いというのは気を逸らせばどうにかなるのが大半だ。揺れる車内でのゲームはまた別だが。
「……あんがとね、尾形」
飯山が、ふとそう零した。
「いいって、わざわざ言わんでも」
照れ隠しにそう言うと、飯山は伏せた俺の顔を覗き込んで、にやりと笑った。
「尾形、あんまり感謝され慣れてないな、もしかして。照れてる?」
「うるせえ。いいだろなんでも」
飯山が笑みを濃くした。それと同時に、俺の顔も熱を持った。顔が赤くなるのを自覚する。
「ああもう、その笑い方やめろよ」
「絶対やめてあげない」
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