飯山さんと昼休み

「なあ、尾形」

 六月のある日の昼休み、佐川が声をかけてきた。

「なんだ?」

「最近めっちゃくちゃ飯山と帰ってんじゃん。やっぱそういう……?」

 佐川はにやつきながら聞いてくる。俺は少しうんざりとした感情を抱いたが、それもまあこいつらしいと溜飲を下した。

「ちげーよ。ゲームしてるだけだよ」

「ふーん……」

 佐川は疑わしい、と言った目をした。

 考えていることは分かる。男女が家の中で二人きり、となったら普通は何かが起きてしまうものだろうから。だが、俺は首を振った。飯山と俺の間にはゲームでの熱い闘争しか発生してない。

「本当にそれだけだよ」

 そう言うと佐川は肩を竦めた。

「まあいいけど」

 釈然としない様子であったが、この話の筋からじゃなにも引き出せないと考えたのだろう、佐川は別の話題を振ってきた。

「ところでさ、飯山って最近ずっと寝てるけどなんかあったん?」

 佐川が突っ伏している飯山をちらりと見る。

 飯山は完全に眠っているようで少しも動かない。時たま、アホ毛が揺らついている。

「あれな。どうやら親にゲームを没収されたらしい。家に帰ってもゲームできないから俺の家でゲームしてるわけ」

「えっ、お前の家で?」

「……ああ、まあ、うん」

「急に歯切れが悪くないですか尾形氏」

 佐川がまたにやついた顔を見せた。

 ああうっとうしい、などと思っていると、佐川はすぐにふっと笑った。

「別にいちいち突っ込みはしねーよ。安心しろ。そこら辺の節度はわきまえてるつもりだぜ。尾形は俺の恩人だしな」

 佐川はケラケラと笑った。恩人と言われ、少し恥ずかしくなる。

「よせ、そんなんじゃない。俺はただ単に――」

「話しかけたいと思っただけってか。まあなんでもいいよ、変わりねえ。それよりもさ」

 佐川は顎で飯山を指す。

「その話聞く限りだとさ、飯山は尾形と過ごす以外、やることないんじゃないのか?」

「え?」

 俺は頓狂な声を上げた。別に飯山の中で俺はそこまで特別な存在でもないだろう。それに飯山に日が出ている間ずっと絡み続けるのもうざったくはないだろうか。

「いや、厳しそうな家庭じゃんか。親と子の仲もうまく行ってるかちょいと微妙だぜ? そんな飯山さんからゲーム取り上げたら楽しいことってあるんかなって。そしたら尾形と話してる以外、空いた時間やることないんじゃねーの?」

 佐川の言葉は俺の心中を悟ってのものではないだろう。ましてや、俺と飯山の中を冷やかしてのものでもない。きっと、冷静に物を考えた故の言葉だ。

 言葉を返しあぐねていると、佐川は顔を寄せてきた。近い。

「そういうのも含めて確認してみたらいいんじゃないか? 俺もそろそろ部活の昼練行き始めなきゃなと思ってたところだし、尾形も暇だろ?」

 佐川はちらりと男子のグループを見た。相変わらず『リンクラ』で盛り上がっているようだ。俺はため息を吐いた。あそこに俺の楽しめる環境はない。佐川が立ち去ってしまったら、完全にぼっちの昼休みだ。

 それもいいかもしれないと返そうとした瞬間に佐川の顔がひどくにやついた。

「お前が飯山さんのこと好いてるなら、な」

「ばっ、お前……!」

 こいつはいらんことを言いやがって。一発なにかしら見舞おうとするも、佐川はケラケラ笑いながらロッカーへと走る。

「そんじゃーなー! あとで報告しろよー!」

「待てこの馬鹿!」

 佐川は体操着を取り出したかと思うと、サッと教室から消えていった。なんてすばしっこい奴だ。意味なく伸ばした手を戻し、頭を掻く。

 俺は飯山の方をちらりと見た。飯山の周りに友人がいる気配はない。相変わらず突っ伏して眠っているだけだ。慢心ぽいが、佐川の言っていたこともあまり間違いではないかもしれない。俺は飯山の席に向かった。

 飯山の跳ねた毛束がかすかに揺れている。こいつの中で元気そうな部位と言えばこのアホ毛くらいで、本体はぐだーっとうなだれていた。

「飯山、起きてるか」

 声をかけると飯山はのそりと顔だけ起こし、こちらを見るとゆっくり身体を起こした。

「ん……。あ、尾形じゃん。どうしたの」

「ああ、いや……昼飯食ったんかなって思って」

「ん?」

 飯山はポケットからいつもの栄養食を取り出す。

「食べてないや。そういえばここ最近お昼なんも食べてないかも」

「……しっかり食べてくれ」

「おけ」

 飯山は栄養食の袋を開けようとする。俺はそれを止めた。

 それを食べ始められて、よしそれじゃあな、って席に戻ったら俺は飯山にオカンムーブをしただけになる。

「待て待て! ……あー、ええと、俺も昼飯まだなんだけどさ。飯山、一緒に食べないか? 学食で」

 飯山はひどく驚いた顔をした。しばらく辺りを見回してから、俺の方を再び向いた。多分、俺といつも飯を食っている奴がどこに行ったか気になるのだろう。

「……佐川のバカなら部活の練習行ったよ」

「そっか」

 飯山は、しばらくアホ毛をいじってから、頷いた。

「まあいっか。尾形だし。おっけ、学食行こ」

 俺の高校の学食はおそらく広い方だ。しかしそれに比べて生徒数が少ないのは中途半端に田舎なせいだろう。だから、学食は人気があるが、遅めに行っても席は確保できる。

「学食初めて来たんだよね。ずっとこれ食べてたから、来る機会もないと思ってた」

 彼女がもてあそぶ栄養食には「プレーン」と書いてあった。

「……飽きないか?」

「気にしたことなかった。栄養取れれば十分だし」

 どうやら食に関してのこだわりはないようだ。

「じゃあ、好きな食べ物とかもないのか?」

 飯山は頷く。

「特にないかな」

「パンケーキとか、クレープとかも?」

 とりあえずクラスの女子の間で飛び交っているワードを出してみるが、飯山はかぶりを振った。

「なんなら食べた記憶もない」

「まじか」

 飯山は俺の方へと目線を上げる。

「尾形は好きなの?」

「え? まあ……」

 別に好きでも嫌いでもないので曖昧に答えたが、

「尾形が好きなら少し食べてみたい。今度連れてってよ」

「えっ」

 思わず大きな声が出た。学生たちがちらちらとこちらに視線を投げてきた。

「まあ、いい、けど……」

 それはなんかゲームという言い訳がない単純なデートではないか、と思うのは俺だけなのだろうか。しかし、当の飯山本人はそのような観念を持ち合わせていないのか、こちらを不思議そうに見て、少し微笑み、

「楽しみ」

 とだけ言った。


 注文した定食を受け取り、俺と飯山は少し閑散としたテーブルに向かいあって座る。

「それにしても、尾形って変わってるよね」

 座ってすぐに飯山がそんなことを言った。俺はペットボトルのお茶を一口飲む。

「変わってる?」

「うん。よくもまあこんな陰キャ女に話しかけたなあって。ゲームっていう共通の趣味があるとはいえさ、君には君のコミュニティがあったわけじゃん?」

 自分のことをそんなに卑下しなくてもいいとは思うが、確かに話しかけづらいとは思う。基本的に人はコミュニケーションの意思が見られるからこそコミュニケーションを取ろうとするのであって、飯山のように自分の世界に入り込んでしまうタイプの人間に話しかけるのには勇気がいるのだろう。

「まあ……男子は『リンクラ』ばっかやっててさ、もうそれがコミュニケーションツールなんだよな。で、あの中で強い俺は接待プレイみたいなことしないと白けるんだよ。それが嫌でさ。で、もっと強い人と戦いたかったし、本気でやりたかったからさ」

 俺は飯山に素直な所を伝えた。そう、ゲームというツールを通してならこの女子ともコミュニケーションが出来るだろうと、俺が思っていたのはその一点だった。

 飯山はその話を聞き、大笑いをした。その笑いの意味が分からず、思わず眉を潜める。

「なんだよ」

「ごめんごめん。いや、尾形ってこっち側だと思ってたけど本当にこっち側だね。ゲームにおける上昇志向っていうか……それさ、一般人にはない感覚だよ? ある程度は勝りたいと思うけどさ。尾形、ネットとかで攻略見て研究したりしたでしょ?」

「……まあ」

 飯山は嬉しそうに手を叩いた。

「そこそこ! そういうところなんだよ、キモいっていうのは。でも、尾形のいいところはちゃんとコミュニケーションツール『でしかない』って分かっていながら上手くなろうとするところだよね。それでマウント取ったりもしないし。なんていうかゲームを楽しんでるっていうか、隅々まで楽しもうとしてるというか。ゲーム好きなんだね、尾形って」

 飯山は爽やかな笑みで捲し立てる。褒められてるのか貶されているのかは分からないが。

「……飯山って、なんかゲーム以外で好きなことあるの? 趣味とか」

 すると、飯山は考えるそぶりも見せずに、

「ない」

「即答ですかい。じゃあ家でなにしてるんだ」

「最近は……うーん、なにもしてないね。宿題とか予習復習はやるけど、それでも時間は余るからスマホいじってゲームニュースとか眺めてる」

 飯山は勉強に対してはかなり真面目な方だ。宿題を忘れたところは見たことがないし、先生に当てられてもすらすら回答する優等生だ。ただ、それ以外、となると本当にゲームしかないらしい。

「スマホゲーとかはやらないのか?」

「スマホゲーは別。あれはなんか、もっと別なんだよね。いや、たまにやるけど……。それにスマホでゲームやってるってバレたら父親に今度はスマホを割られるから」

 飯山が、ほら、と言って見せた画面には一切ゲーム系統のアプリは入っていなかった。

 個人の端末であるスマホに監視の目が入るとは。どうやら飯山家は相当厳しいらしい。ゲームへの恨みすら感じるが、どうしてそこまで目の敵にするのだろう。

「飯山の親父さん、どうしてそんなにゲーム嫌いなんだ?」

「私も分かったら苦労しないよ。まったく話してくれないし、ゲームの話するとすぐキレるからさ」

 飯山は不満そうに口をへの字に曲げる。

「昔は、普通に優しいお父さんだったんだけど……」

 父親を嫌っているわけではないようだが、佐川の見立て通り、うまくはいっていないのだろう。

 飯山は少し黙りこくってスマホを操作し始めた。こういう家庭の問題に出くわしたとき、俺はどういう風に声をかければいいのか。慰めればいいのか? それとも共感すればいいのか? 俺にとってはそのどちらも間違っている気がした。俺のように家庭事情に満足している人間にそれを言う資格はきっとない。俺は、目の前のから揚げを食べることに専念した。

 しばらく無言の時間が流れる。気まずいと思い始めた頃、飯山が、あ、と声を上げた。

「そういえば『クリーチャー』また新情報出てたよ」

「ん、ほう?」

 いきなりの話題転換にびっくりした。どうやら暗くなっていたのは俺だけで飯山は至って平常運転のようだ。心配して損した。ちょっと今の時間返してくれ。

「新しいクリーチャーの話とか、世界観のこだわりとか。インタビューだけど」

「いや、まじか」

 それは聞き捨てならない話だ。俺はスマホを取り出していつものニュースサイトを確認するが、更新されていない。

「どこで情報出てる?」

「んー。……あ、リンク先送ろっか」

「ああ、送って……いや、連絡先知らんのだけど」

「あ、そっか。待って。ID出すよ」

 飯山が見せてきた画面には、可愛らしい犬のイラストが載っていた。飯山のアカウント画像だ。その下にIDが載っている。

「……飯山は猫派だと思ってたんだけど」

「え? まあ、どっちも好きだよ。でもこれ特に可愛かったからさ」

「へえ」

 可愛い、かあ。飯山の意外な趣味に思わず口元がにやついた。

 飯山はしばらく怪訝そうにしていたが、その意味を察したのか睨みつけてきた。

「……なに? その笑い方キモいよ」

「完全に暴言じゃねえか」

 俺は少しショックを受けつつ、IDを登録する。飯山が少しスマホを操作すると、すぐにリンク先が送られてきた。

「おお……まじだ……。ありがとな飯山。あとでじっくり読むわ」

「結構いいこと書いてあったよ。お楽しみに」

 早く読みたい気持ちは山々ではあるが、こういうものは一人で落ち着いて読むのがいい。俺ははやる気持ちを抑え、ニュースサイトを閉じた。

 サイトを閉じると、飯山とのトーク画面に戻った。そこでふと気づく。

 ……あれ? 今、俺、飯山と連絡先交換したか?

 改めて画面を確認するとしっかり友達登録がされている。飯山の方を見ると、いつものやんちゃで、小悪魔な微笑みを浮かべていた。

「尾形のIDゲット。週に何回も遊んでるのに一回も連絡先交換しようってならないのちょっとひどいじゃん? へこんだよ?」

 飯山はスマホをひらひらとさせてからポケットにしまい、頬杖をついた。

「クレープでもパンケーキでもいいけど、楽しみにしとくね」

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