飯山さんとの出会い②

 放課後、着々と皆が部活や帰宅の準備をする中、一人だけ全く異なる準備をしている奴がいた。飯山だ。飯山は先生が立ち去るや否やゲーム機を取り出し、ぐしゃぐしゃになったイヤホンをほどいていた。

 だが、だいぶしっかり絡まっているようで少し眉間に皺が寄り始めている。イヤホンを丁寧にしまうめんどくささの代償がちょうど襲ってきているようだった。

 しばらく、暖炉の火でも眺めるようにぼーっとしていると、飯山のゲーム機に見覚えのある画面が映っていた。

「あれは……」

 飯山と俺の席はそれほど近いわけではない。名前の順などであれば、俺と飯山の席はかなり近い場所になるが、担任の意向で全くのランダムに席が決まっていた。やれランダム性は偉大だとか言いだす変わった担任のおかげで、俺は飯山を見てもそこまで不審ではない位置にいたわけだが。

 話が逸れた。そう、飯山のゲーム機に映っていたのはリンクラのタイトル画面だった。

 あいつもやっていたのか。

 確かにゲームは結構やっているようだったが、飯山の雰囲気からして対人型のゲームをやっているのは少し意外な印象だった。黙々とソロゲーをやっているものだとばかり思っていたが。

 その時、俺の頭の中に一つの考えがよぎった。

 飯山とリンクラで戦えば面白いんじゃないだろうか。

 飯山は入学式当日からずっとゲームをやっている女だ。私生活でも相当やりこんでいるに違いない。ゲーム歴とゲームのうまさは決して比例するものではないが、彼女からは揺らめき立つ猛者のオーラを感じる。

 飯山は強い。これは確信だ。絶対に面白くなる。

 俺は飯山の席へと向かった。席の左側に立ってみる。反応はなし。

 微塵も自分が話しかけられるとは考えていないらしい。

「なあ、飯山」

「ん?」

 飯山はイヤホンをつける直前で顔を上げた。気だるげな眼が向けられる。

 自分が把握しているよりも整った顔立ちに、少し息が詰まった。一旦、気を取り直し、声が震えないように警戒しながら声を出す。

「なにしてんだ、学校に残って」

 彼女は顔を再び伏せた。ゲームの操作のためだ。

「ゲーム」

「いやそれは分かる。放課後に残ってまでなにしてんだって思って」

 飯山に果たしてコミュニケーションを取る気があるのか、心配になった。全然こちらと目を合わせてくれないし、リンクラの方はキャラクター選択画面に移っている。

 だが、イヤホンを外しておいてくれているあたり、まだ俺と話してくれる気はあるようだった。飯山は、あー、と声を上げる。

「家に帰ると親がうるさいからね。布団にもぐって警戒しながらゲームするの、だるいんだよね」

 親が厳しいから学校でゲームか。飯山の両親がこの光景を見たら怒り心頭だろう。

 しかし、飯山がやはりかなりのゲーマーだという予感は間違いなかったようだ。普通、ゲームについて厳しくされたってわざわざ学校の時間の合間を縫ってゲームをしようだなんて思わない。せいぜい放課後に友達の家とかで隠れてプレイをするくらいだろう。

 俺は飯山の執念に感心、というよりはある意味で感動した。

「そうか、なるほどな」

「ん。それで、用件そんだけ? 楽しくお話したいなら、たぶん君の友人との方が捗ると思うんだけども……」

 ぶっきらぼうな飯山の言葉。さすがにゲームの邪魔をしたのはまずかったかと思ったが、飯山の目はこちらを見つめたままだった。

 怒っているわけではない。皮肉のつもりもないのだろう。ただ単純にどうして私と話すの? と疑問に思っているようだ。

「あー、その……リンクラやらね?」

 俺がゲーム画面を指さしながら言うと、飯山は目線を指の先に落とし、驚きと困惑の混じった表情で再び顔を上げた。目はまん丸く開かれていた。

 いつも細い目をしている飯山しか見ていなかったから、その顔が新鮮だった。飯山もこんなに目が開くのかと驚いていると、ふいと視線を逸らされた。

「ええっと……尾形君、だっけ。なんで私?」

「いや、うまいかなって」

「ああ……」

 飯山は、顔を伏せて考え込んでしまった。飛び出てしまった髪の毛の束を指の腹ですりすりと潰したり、おでこに手を当てたりしている。

 さすがにろくに話したこともない男から、リンクラやろうぜ、なんて言われたら嫌だったろうか。少し落ち込みかけたとき、飯山が俺をちらりと見た。

「まあ……いいよ」

「ほんとか」

 俺は思わず笑声になったのを感じた。

 飯山はずっと友人の影もなかったし、もしかすると人間嫌いなのかもしれないと思っていたが、よかった。

 俺は空いている隣の席に座り、ゲーム機を起動した。

 リンクラの対戦結果は惨敗だった。俺が飯山のキャラに攻撃を当てようと必死でボタンを擦っている間、飯山はいつもと変わらない表情で的確にボタンを押していた。飯山はするりと攻撃をかわし、こちらに的確にダメージを与えてきて、危なげなく俺を葬る。段々と何をするか迷いのない動きに変わり、俺はゲームのPVでも見せられてるのかと思うほど、予定調和的にボコボコにされた。

 それでも諦めがつくまで十戦はしただろうか。俺はようやく彼女に敵わないことを理解した。力の差なんて生易しいものではなく、明らかなギャップ。

 これを越えるのは無理だ。昼間の佐川のように顎をついた。

「……強くね?」

 顔を横に倒しながら飯山を見ると、イヤホンを片付けている最中だった。結局、本日の放課後にあのイヤホンは使われなかったが、机に出しっぱなしだったのだ。

「君よりはにわかだけどね」

 飯山は顔色一つ変えずにイヤホンを縛っている。根本のゲームスキルというかセンスというか、積み上げてきたものの格差に俺は唸った。

「はー、俺もそんぐらい出来たらなあ」

 すると飯山は、ふとイヤホンを結ぶ手を止めた。

「ゲームなんか極めたってキモいだけだよ」

「へ?」

 俺はその言葉にすっとんきょうな声を上げた。飯山は少し首を傾げ、こちらを見る。

「だいたい一人で延々と画面に向かってるのがさあ、キモくないわけないじゃん。一人でにやけたりぶちギレたり。そこら辺、君らはいいと思うよ。顔突き合わせて楽しくお話しながらゲームしてんじゃん。人間としてそっちの方が自然でしょ」

 俺は飯山が自分のことを言っているのがよく分かった。自虐の言葉を述べているのに、そこにあるのは悲壮とか羨望ではなく、愉快で仕方がないという表情。

 今日一番、人間らしい飯山の表情だった。

「……じゃあ、なんでそんなにゲームやってんの?」

「楽しいからね。あと出来たらかっこいいじゃん」

 矛盾する回答に俺は頭を掻いた。うなだれていた体を起こす。

「さっきキモいって……」

 俺がその事を指摘しようとすると、飯山は食い気味に、

「うん、キモいよ。でもかっこいいんだよ」

 飯山は爽やかな表情をしていた。だけどもその中には何か自嘲をするようなものが混ざっていた。左右非対称の複雑な表情。

 俺の心臓がどくんと跳ねた。返せる言葉がない。

 時間が止まってしまったかのような、静寂。

 ――キーンコーンカーンコーン

「やば、こんな時間か。帰るね」

 学校の完全閉鎖のチャイムを聞くと、飯山はそそくさと帰りの準備を始め、じゃね、と一言だけ残して飛ぶように帰っていった。

 俺はしばらくその場でぽかんとしていた。

 飯山の言葉の意味するところなんて、正直どうでもよかった。ただ、彼女の無邪気な癖に大人びて笑うあの表情が眼の裏に焼き付いている。 

「なんだったんだ……?」

 記憶の中のその微笑みに少しの間見とれていたが、はっとして帰宅の準備を急いだ。

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