第14話 スタート・ザ・ダークネス


 私が緩峰ゆるみねあゆむ君と付き合い始めてから、季節が一周した。

 今は春の終わり。一年前の高一の春。私は第5タームの恋人として歩君を指定されたのだ。


(もう一年かぁ……なんだか、あっという間だったなぁ……)


 それくらい、この一年間は楽しかった。


 今までのオフ恋との、あまり喜ばしくない思い出が嘘のように、歩君は私に沢山の『楽しい』をくれた。夏休みの宿題をしに、一緒に図書館へ行ったり。文化祭を一緒に回って見たり。クリスマスっていういかにも恋人らしいイベントを国が必死で盛り上げようとして、街中の浮ついた雰囲気が苦手だった私を気遣って、『こっそり、僕たちだけで』と言ってホームパーティを開いてくれたりもした。


 歩君の家にお伺いするのはそれが二度目だったんだけど、歩君は他の人と違って無理にふたりきりになろうともしなかったし、むしろふたりきりだと嫌なんじゃないかと気にしてくれたみたいで、ホームパーティには妹さんとその彼氏くんも呼んでいた。

 私達は国から指定された恋人同士だったけど、それでも、歩君と一緒にいると楽しかったし、バレンタインに『喜んでもらいたい』って思うのなんて、私にとっては生まれて初めての出来事だったの。


 だから、信じられなかった。


 私は、目の前の現実から目を逸らす。


「うそ、でしょ……?」


 いや。嘘だと言って。


 夕方、人の少ない閑散とした路地裏のカフェで、私はクラスメイトの男の子と向き合っていた。テーブル越しに送られる、痛ましい視線。


「俺だって……信じたくないよ……」


 零れるような、悲痛な呟き。泣きたいのはこっちの方なのに、そんな顔をされたら先に泣いた方が負けみたいじゃない。


歩君がそんなことをするわけがない! だって、昨日も一緒に下校して、『まだちょっと寒いね』って、手を握ってくれたのよ!?」


「俺だって……香純かすみとは今までの誰よりも仲良くやってきたつもりだよ……」


「ねぇ、友野ともの君。いったい何の根拠があってそんなこと……」


「…………」


「何か言ってよ? 嘘なんでしょ? そんな……」



 ――『歩君が、浮気してるかも』なんて……



      ◇


 遡ること数時間前。午後の最初の授業に供えて教室を移動していた私は、不意にすれ違った背の高い男の子に声をかけられた。

 ほんの一瞬。私にしか聞こえないような声で、耳元に。


『放課後、北校舎裏。緩峰のことで、ちょっと……』


「!?」


 咄嗟の出来事に振り返ると、それまでと変わりない笑みを浮かべて級友と話す友野君の姿があった。友野君は、歩君とは仲良しのクラスメイトだ。その彼が『緩峰のことで』と言うのだから、何かあったのかもしれない。

 でも、スマホを見る限り、歩君からこれといった変わった内容のLINEは届いていなかった。


(風邪で学校をお休みしたとか、そんなのでもなさそうだし……どうしたのかな?)


 しかし、さっきの友野君の尋常ではない雰囲気から察するに、『緊急事態』なのはおおよそわかる。

 放課後、私は意を決して、北校舎裏に向かった。

 そうして告げられたのが――


「緩峰は……浮気しているかもしれない。俺の……恋人と……」


「え――」


 信じられなかった。信じられるわけがない。

 だって、私達の恋は順風満帆で、私は今、とっても幸せで。歩君となら、将来のことを考えても――いや、考えたいな、なんて夢まで見ていたっていうのに……


「どういうことっ!? 冗談はよして!」


「冗談なんかでこんなこと言うと思うか!?」


「……!?」


 珍しく声を荒げる友野君。快活で明るい、誰にでも人当たりのいい彼のこんな表情を見るのは、初めてだ。


「俺だって……最初は信じられなかったよ。けど、香純の様子がおかしいのが気になりだしたのが、去年の夏。なんか、俺に隠し事をしているみたいだったんだ……」


「隠し事……?」


「ああ。なんとか聞き出そうとしたんだけど、どうしても話してくれなくて。それからしばらく様子を見てたんだけど……香澄、俺に内緒で緩峰と会ってたんだ……」


「え……それって……」


「証拠が、これ」


 そう言われて見せられたのは、一本の動画だった。

 ある一軒家から、茶髪の男子が出てきて……って、これ……


「……? 桐崎君?」


 久しぶりに、イヤなもの見ちゃった。


「え、知り合い? 俺の彼女……桐崎香澄は今の茶髪の双子の姉だから。ここは香澄の家だよ」


「彼女の家を盗撮なんて……見かけによらず、いい趣味してるのね?」


「勘違いしないでくれ。これはたまたま。兄貴の大学の遠征を応援に行った帰りに見かけただけで……」


 ストーカーを疑われたことに心底不服そうな友野君の顔。いっつもにこにこしてる彼でも、これが素なのね?なんだか親近感。

 ……って。今はそれどころじゃなくて。


「で。問題はここだ」


 友野君が静止させたのは、二階の部屋のカーテンが閉められたところ。


「この角部屋は香澄の部屋で、カーテンを閉めたのは香澄本人だと思う。けど、ここ……」


「……もう一人の、人影?」


「そうだ」


 そうして、友野君はあるLINEの文面を見せる。

 可愛らしい、ハートのスタンプがついた……


『今週は親が出張だから、いつでもうちに来てね♡ 弟が邪魔ならどっか行ってもらうから! 泊りに来てもいいよ♡』


(わ……)


「……随分、仲いいのね?」


「うるっさいな! 人のことは放っておけよ!」


「泊まりに行ったの?」


「行かないって! こんなテキトーな感じでいいわけないだろ!? そういうのはちゃんと自分から――」


「ふーん……?」


 ジト目を向けると、友野君は頬を染めたまま顔を逸らす。手馴れているように見えて、案外純情なのかしら? 意外。でも、このままだと私と歩君は先を越されそう。


(別に、競っているわけでもなんでもないんだけど……)


 そういうのは、個人のペースよね? でも、そうも言っていられないのがこの国だ。それもこれもは『富国強精ふこくきょうせい恋人斡旋法』なんてものがあるばかりに。


(はぁ……お隣の大国なんて人口が増えすぎちゃって『ふたりっこ政策』してるのにね……)


 ほーんと。なんでウチの国ってこうなんだろ?

 口を開けば『若者のせい』。イヤになっちゃう。


 遠い目をしていると、友野君は照れを隠すように咳払いする。


「――で、だ。この週、香澄の両親は京都に長期の出張に行っていた。だから、この家には本来なら香澄と弟の鋭士えいじしかいない筈なんだ。けど、鋭士はさっき家を出たばかり……」


「じゃあ、この人影は――」


「三月二十日。緩峰はなんて?」


「え――」


 半信半疑のままLINEを遡ると、そこには目を疑いたくなるような文面が。


『妹がシフォンケーキを焼いたから、暇なときがあればいつでも取りに来て。今日、明日以外だったら、いつでも家にいるからさ』


「今日明日、以外……」


「このとき、緩峰には用事があったと言っている。つまり、この人影は――」


「待って! それでどうして歩君になるのよ!?」


「…………」


 その問いに、苦々し気に視線を逸らす友野君。

 それはまるで、『これは言うつもりじゃなかったんだけど……』みたいな顔で……


(なに……? なんなの? まさか……『これ以上』があるっていうの……!?)


 見せられたのは、一枚の写真。同日の、数十分後に撮られたものだ。

 家から出てきたのは、私の、恋人――


「……歩君……うそ……」


「とりあえず、落ち着いて話せる場所に移動しよう。ついてきてくれるか?」


「…………」


「ほら、鞄貸せ。持ってやる」


「…………」


      ◇


 そうして私は、半ば放心状態のまま友野君についてきて、苦いコーヒーをすすっている。いつもならミルクとお砂糖はたっぷり派だけど、今はそれどころじゃないの、わかる?

 ほげーっとしたままコーヒーに口をつける私に、友野君は問いかける。


「これからどうすんだ?」


「どう、って……」


「問い詰めるのか、放っておくのか」


「…………」


「次のタームまで恋人をやめるのか、やめないのか」


「そんな……! せっかく仲良くなれたのに!」


 思わず声を荒げると、友野君も大きなため息を吐いた。


「だよなぁ……俺も、そう思ってたのにさ。だから、せめて第6タームに入る前に最後の思い出を作ろうと、夏休みの最終週に旅行に行こうって、話したんだよ」


「えっ。まだ春よ? 気が早いんじゃない?」


「早くても、なんでも。約束は早めに取りつけた方がいいだろ? 他の予定を入れられちゃう前に。今から言っておけば、バイトとかも入れないだろうし」


(そんなことしなくても、桐崎さんの普段の様子と文面を見る限り、這いつくばってでも来そうだけど……?)


「まさか……アリバイを?」


「いや、そこまでじゃないけど。約束しておいて、段階を踏んでデートしたいから」


「ちょ……////」


(さらっと言うけど、それって旅行でCにマル付けるってことよね……?)


 え。高二って、そういうシーズン?


(…………)


 昔見たサイトで、『高二と高三の間が、一番C率高い』って書いてあったっけ……


(はわわ……)


 思わず俯いて赤くなると、友野君は再びため息を吐いた。


「けど、断られた。『どうしても外せない用事』があるんだって」


「え――桐崎さんに限って、そんな……」


「自慢じゃないけど、俺も『絶対来てくれる』って思ったよ? 実際、別の週にしようと言われた。つまり、香澄は俺と旅行へ行くのがイヤなわけじゃない。俺との最後の思い出より事項が、あるんだよ」


 ちょっぴり悲しそうな目が、こちらを見やる。そして――


「緩峰にも、聞いてみてくれないか?」


「え?」


「夏休みの最終週に、『旅行に行こう』って」


「え――」


 ふたりで、旅行……?


「温泉とか、どこでもいいから」


「温泉……?」


 カポーン……


 脳裏に浮かぶ、浴衣姿の私と歩君。

 お座敷お食事海の幸。和室に二枚の並んだお布団……


(…………)


「待って待って! 顔熱い!」


「声に出てんぞ?」


「うっ……!」


「何想像した?」


「……!」


「へぇ……? 五樹いつきでも、そういうこと考えるんだ?」


「うる、さい……!」


「で? 聞いてくれるの? 試しでいいから。『夏休みの最終週』に予定があったら……」


 ――完璧にクロだ……


「…………」


 ごくり……


 私の喉が鳴る。

 震える指で、メールを打って……


 ぴこりん♪


(……っ!)


「へ、返事が……」


「来たか!」


 ふたりで覗いた、スマホの画面。

 そこにあったのは……


(うそ……)


 ――『ごめん。最終週は、どうしても外せない用事が……』


(なん、で……)


 ――『違う日だったら平気なんだけど……むしろ行きたい!』


 どうして。


 ――『でもまさか、詩織しおりちゃんからそんな提案があるなんて。嬉しいよ』


「歩君……」


 ――『どこに行きたい? 夏休みまでに沢山調べよう!』


(お願い……)



 ――嘘だ。と、言って。

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