第5話 その彼女、背水の陣。


 あたたかい春の日差し。雲一つない青空に、窓を開ければ庭の草木と花が香る。

 今日は、デートするには絶好の天気だ。


「まさに、プレシャスなフライデー……! あああ! どうしようどうしよう! 今日うちに彼が来ちゃうよぉ! どうしよう、まろちゃぁん!」


「……にゃあ」


 私は愛猫の『ましゅまろ』をにょいーんと伸ばし、内側から零れる笑みを抑えきれないままその旨をチュイチュイ呟いた。


『新しい彼氏と初デートにはうってつけの天気! 風はちょっと冷たいけど、今日はおうちだからいいよね♡』


 青空をバックに庭の一角に咲いたアネモネを映して投稿すると、さっそく『イイネ♡』がいくつか付く。


(こないだのメロンパンもけっこーえたケド、やっぱ花と猫はみんな好きみたい。けど、みんながもっと好きなのは――)


「ふふ、楽しみだなぁ……!」


 数日前からぴかぴかに掃除した部屋の真ん中で、ハート型のクッションを抱き締めながら顔を緩ませていると、部屋の扉が乱雑に開けられた。


香純かすみ? ンだよ……今日出かけねーの?」


「ふにゃあ」


「わっ。ましゅ、ここにいたのか? 一階にご飯出しといたぞ?」


 こしょこしょ。


「うにゃあ」


 とてとて……


「で? 朝からバタついて何してんの?」


 寝間着のスウェット姿で茶髪を掻き上げるのは、弟の鋭士えいじだ。


「入るときはノックしてよ。鋭士こそ出かけないの? 今日プレシャスフライデーでしょ?」


「ああ、いいのいいの。俺、今回のはヤる気になんないから。つか、どうしたこの部屋? 綺麗すぎてキモいんだけど? ほんとに香純の部屋?」


「べ、別にいいでしょ!? 私もたまには掃除くらいするの!」


「つか、朝っぱらから化粧して部屋で何ニヤついて――ははぁ……?」


 鋭士は寝ぼけまなこから一変、にやにや顔を私に近づける。


「……男だな? へぇ、もう来るの? 今回のやつは手が早いじゃん? なんか親近感~♪ つかさぁ、そういうことなら俺に言えって。協力してやったのに」


「協力って……何を?」


「そそる下着選び」


「サイテー」


 これだからウチの弟は。こういう輩がイヤで私は進学校に行ったの! でも、受験がんばって本当に良かった。だって、今回の彼氏はめちゃアタリっぽいんだもん!


 五人目の彼氏。友野ともの大輝たいき君。

 中学ではバレー部やってて、甘党で、ゲームの話ができて……

 私が口下手なのを気遣ってか、向こうから下校に誘ってくれたりする、とってもいい人なの! ちょっと陽キャっぽいから気が合うか心配だったけど、今のところ問題ナシ! しかも、鋭士と違ってまともなイケメン!

 ちょっと地毛が明るめで、でも染めてなくて。年の離れたお兄ちゃんとお姉ちゃんがいるせいか、身なりもそこそこ気にしてて……何から何まで『適度にイケてる』感じがいいの!


「ほんと、なんで同じ男の子なのにこうも違うのかな?」


「ンだよその目」


「いや? 鋭士が私の彼氏じゃなくて本当によかったな~と思って」


「当たりめーだろ? 双子なんだからどうシャッフルしても鉢合わせねーよ。俺だってお前みたいな陰キャの炎上女願い下げだ」


「炎上してないもん! あれはバズるっていうの!」


「はぁ……これだからSNS厨は。ほんと懲りねぇな? 前の男もそうやってネトストしてんのがバレてドン引きされたんだろ? は~。ヤンデレこわ~」


「ちがっ……! アレは! 自分の彼氏がどんな人か知りたいと思うのは当たり前でしょぉ!?」


「物は言いようだな? 三次元リアルを生きろ三次元リアルを。ネットの海に引き籠ってんじゃねーよ? こんなにイイもん持ってんだからさぁ?」


 ぐわしわしっ。


「ちょっとぉ! 胸触らないでよぉ! キモい! 親しき中にも礼儀ありって知らないの!? これだから低偏差値のパリピはイヤなの!」


 がばっと胸を抑えると、鋭士は悪びれる素振りもなく私のワンピースの裾を捲りあげる。


「別にいいだろ、減るもんでもないし? お前相手にどうこう思わねーよ。ただのクッションとかマッサージャーと一緒だ。つかさぁ、せっかく男呼ぶのにこの色気のねーワンピースはどうかと思うぞ?」


「わっ、乱暴に触らないでっ……! しわになっちゃう!」


 そうやって無遠慮に私のことモノ扱いする! 弟のくせに! ちょっと時間差で生まれただけだけど!

 でも……え? 今なんて言った?


「ワンピース……ダメなの?」


「ダメだね」


「えっ……どこが?」


「かろうじて横にファスナーがあるけど、これ、着るのメンドいやつだろ?」


「えっ。でも、可愛いくない? 春らしくて、清楚さとフレッシュさが入り混じった程々のミニ丈だよ?」


 SNSでは好評だったのに……あ。顔出しはしてないけどね?

 そんな考え抜いた自信アリコーデを弟は一蹴する。


「こんなん、パッと見てどこから脱がせたらいいかわかんねーだろ? それだけで萎えるわ。『ああ、こいつ今日スる気ねーんだな』って」


「……!? 男の子ってそういうことしか考えてないの!?」


「思春期の男子なんてそんなもんだぞ?女子のコーデなんて二の次だ。まずはそそるかどうか」


「うそぉ!?」


「ほんとだって。このワンピじゃあ0か1だ。童貞には敷居が高い」


「0か1……?」


 首を傾げる私に、弟は告げる。


「全裸かお預けか、だ。お前、そんなんだから未だに全ターム『白紙』なわけだろ? 香純のくせにお高く止まりやがって……もうちょい男に媚びたらどうだ? 露出度マシマシでさぁ?」


「絶対イヤ! てゆーか、誰のせいだと思って……! あんたみたいな奴がいるから男の子が信用できないんでしょぉ!? だから『白紙』なんでしょぉ!?」


「あーはいはい。人のせいにすんなよ喪女」


「喪女じゃないぃ! 友達からも可愛いってよく言われるもん!」


 お世辞じゃないもん! 多分!


「うっせぇなぁ……見てくれは悪くないくせに結局『白紙』じゃねーか。そういう非モテな奴を世間じゃ喪女って言うんだよ。双子の弟として、俺は恥ずかしいよ……」


 いかにも『はー、やれやれ』みたいなため息を吐いた鋭士は、私に向き直った。


「で? 今回はイケそうなんだろ? 登校初日にうきうきで帰って来てたじゃねーか。気合十分で部屋までピカピカにしちゃって……つかお前、今回でどうにかしねーとマジで更生施設アビスだぞ? どうすんだよ?」


「でも……自分から誘うなんて無理だよ……」


「何? 誘わないとイケなさそうな奥手っぽい奴なの?」


「そうじゃないけど……友野君は鋭士と違って気遣いができるいい人だもん。付き合い始めてすぐに手を出すような人には見えないよ……」


 でも、夏休みが終わるまでになんとかしないと……それはわかってる。


「どう、しよう……でも、友野君に無理強いするようなことはしたくない。そんなことするくらいならアビスに行った方がマシ……」


「お前、そんなウジウジしてっからさぁ……? もうはっきり『白紙』だからなんとかしてって言えば?」


「無理無理無理! 友野君にそんな相談できないよ! 絶対に気を遣ってしてくれちゃう! そんな気がする!」


「はぁ……つか、友野、友野って……そんな顔できんならイケんだろ……」


 鋭士は呆れたような顔をしたかと思うと、自分の部屋から一本の小瓶を持ってきた。それをおもむろにプシャッ! と私に吹きかける。


「きゃっ……! 何するのぉ!?」


 咄嗟に顔を覆うとほんのりいい香りが漂ってきた。


「え……? これ……香水?」


「どうだ?」


「うん……いい香り。お花みたいで、ちょっと甘い……」


「めっちゃそそるだろ?」


 そのドヤ顔気に食わないけど、センスだけは良いからムカつく。

 そんな弟はニヤッと笑った。


「土壇場でアタリを引いた香純に、俺からの餞別だ。お前がアビスに行ったら俺が困るからな」


「何ソレ? 姉が劣等生だと恥ずかしいって意味?」


「ちげーよ。双子だからだ」


 ふいっと視線を逸らした表情には、見覚えがあった。これは、小さい頃遠足の日に私が風邪でお休みしたとき。『つまんない』とか言って勝手に帰ってきたときのだ。


「鋭士……?」


「はー。その辛気臭い顔やめろ。さっき友野って奴の話をしてた時の顔。あの顔で一日過ごせ。SNSでデートの感想呟くのも禁止。そしたらAくらいこのタームでキメられるはずだ」


「え?」


「好きなんだろ? そいつのこと。パッと見陽キャっぽいアレに、香純が一目惚れするのはちょっと意外だったけど」


「そ、それは……!」


 はっきり言われると、なんか意識しちゃって顔熱いじゃん……!


「照れてんじゃねーよ、素直に認めろ。好意は隠すな。欲望には忠実に。それがマル付けの秘訣だ。お前は喪女だけど顔はそこそこ良い。ま、仮にも俺の姉だしな? 好き好きオーラ出されて嫌な気持ちになる男子なんてこの世にはいねーんだから」


 鋭士は私の背をバンッ! と叩くと『夕方まで消えとくわ。居るとやりづれーだろ』と言って着替えて家を出た。意外過ぎる激励に戸惑いつつもその背を見送ると、入れ違いのようにインターホンが鳴る。


(来た……!)


 私はワンピースの裾を直して出た。胸の中で弟の言葉を反芻する。


(素直に、素直に……! 好き好きオーラは隠さない!)


 家には誰も居ない! 今更恥ずかしがることなんて、ない……!


 私は震える手で扉を開けた。その瞬間、扉の勢いに驚いた友野君と目が合う。

 私は、精一杯の気持ちを込めて挨拶をした。


「いらっしゃい!友野君!」

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