第2話 修羅場は風と共に


 その後、俺達はもっちゃんから今後一年の学校行事や明日から始まる授業や部活についての説明を受け、教材などを受け取ると放課後を迎えた。


 さぁ、ここが運命の分かれ目だ。


 通常であれば、この『初めての下校』を共に行えるか否かで今後の恋人との方針や好感度は大きく分かれることになる。いくら法律で推奨されているとはいえ、個人の時間の使い方は自由。定められたイベント以外は四六時中オフィシャル恋人(オフ恋)と一緒にいる必要は無い。

 つまり、『初めての下校』を共にすることで『下校は一緒にしよう』という習慣を作ることができるか否か。それが大きな意味を持つというわけだ。


 俺は前回、それで失敗して彼女とどうにもギクシャクした関係のまま終わりを迎えることになった。例え下校の間だけとはいっても、毎日一緒に過ごす時間を作ることのアドバンテージを俺は理解していなかったのだ。それに加えて、一緒に下校したいと思っても『一緒に帰ろう』の一言がうまく言い出せなかった。女の子側としては、誘ってもらえたらまんざらでもなかったかもしれないっていうのに。


 そんな苦い経験を思い出していると、友野に声をかけられる。


「あれ?緩峰ゆるみね五樹いつきと帰んないの?」


「いや、そりゃあ帰りたいとは思うけど……」


(なんて声かければいいんだよ……!?)


 言い淀んでいると、友野はバシッと背を叩く。


「お前ほんとシャイだなぁ!こんなんノリと思いきり!後は少しの勇気だ!」


「勇気って……少年誌ジョンプかよ?」


「いいじゃん、少年誌ジョンプ!俺大好き!俺ら青春真っ盛りの青少年だぜ?そんな辛気くせー顔すんなよ?」


 友野は快活に笑うと鞄を手にして背負った。


「よし!俺がお手本見せてやる!お前が更生施設アビス行きになるのはイヤだしな?」


「え……」


 戸惑う俺をよそに、スタスタと女子に近寄る友野。


「おーい。ちょっといいか?」


 数人で話している女子の輪にこともなげに割って入っていく……!

 大人しそうなゆるふわパーマの小柄な女子に視線を向けたかと思うと、一言――


桐崎きりさき、一緒に帰ろ?」


(いった……!)


 もじもじと、それでいてほんのり口元を緩ませる桐崎。ひとまず仲良くしようという友野のスタンスに、まんざらでもなさそうだ。


「え……?えっと……うん。じゃあ、私先に帰るね?」


「うん。香純かすみまたね~?」


「また明日……」


(あっさりクリアしやがった……!)


「桐崎って好きなものとかあるの?帰りになんか食べてかない?」


「えっと、じゃあ、駅前のメロンパン……」


「へ~、あのアイス挟まってるやつ?甘いもの好きなんだ?なんか、いかにもって感じだな?」


「うん……?友野君は甘いものキライ?」


「いや、大好き。甘党男子ってやつ?」


「ふふっ、なにそれ……」


 そして放課後デートを手土産に、円満に教室からフェードアウトする。


「…………!」


 俺は、感動した。


 お手本としては、百点満点だ……!


(友野ありがとう!)


 なんか、ここまで鮮やかだと俺ですらなんだかできる気がしてきてしまう。俺は視線を五樹さんに向けた。五樹さんは教材を鞄に入れ、帰りの支度をしている。


(勇気、勇気、勇気……!俺は少年誌顔負けの青春真っ盛り少年!)


 精一杯の自己暗示をかけて五樹さんに歩み寄る。


「……五樹さん!」


「……?緩峰君?」


 大きな瞳が、ぱちくりとこちらを見ている。

 早鐘を打つ心臓に鞭を打ち、俺は勇気を出した。


「一緒に……帰らない?」


 その問いに、五樹さんはあっさりと答えた。


「いいわよ。帰り、どっち方面なの?」


「え……」


 固まる俺に、五樹さんはきょとんとした眼差しを向ける。


「だから、駅は西新町?東新町?」


「えっと、西だけど……」


「なら、私と一緒ね?逆だったらどうしようかと思った」


 五樹さんはくすりと笑うと鞄を肩にかけた。


(なに今の『ふふっ』って……笑った?めちゃこら可愛いんですけど?)


「行きましょ?」


 俺はすたすたと教室を出る五樹さんの後を追った。


(うっそ。こんなうまくいくなんて。やればできるじゃん、俺……)


 そして……ありがとう!友野!

 俺は内心で感謝の土下座を披露した。


      ◇


 西新町方面に出る西門前。まだほんのり肌寒いような春の風に黒髪を靡かせる五樹さんの隣に並ぶと、新しい期待に胸が膨らむのがわかる。

 けど……


「…………」


 話題が……ない!


(どうしよう……)


 何を話すでもなくてくてくと並んで歩いていると、不意に五樹さんが足を止めた。どこか不快そうな視線の先には、茶髪で長身の男子生徒。制服からすると、どこかの私立みたいだ。

 門に寄りかかっていた男子生徒は五樹さんを視認するとゆらりと身を起こした。


「よぉ、詩織しおり。元気にしてたか?」


「桐崎君……なんであなたがここにいるのよ?偏差値の低い私立に行ったんじゃなかったの?」


(え?桐崎……?)


 鋭い五樹さんの問いかけに、にやりと口元を歪める桐崎。


「別に?元カレが元カノの帰る方面知ってても、何もおかしいことなんてないだろ?」


(元、カレ……!)


 だが、苛立たしそうに眉間に皺を寄せる五樹さんの様子を見る限り、円満な関係ではなさそうだ。

 お互いがお互いを特に意識することなく終わっていった俺と元カノの関係よりタチが悪い雰囲気を感じる。

 不穏な空気にそわそわしていると、桐崎がため息を吐いた。


「つかさぁ……お前特別生活区域ユートピア行ったんじゃなかったんだ?」


「どうして私が特別生活区域ユートピアに行くのよ?」


「てっきり男に興味ないのかと思ってさぁ?お前、女が好きなんじゃねーの?だって、まさかこの俺が何もないまま一年半逃げられるとは思ってなかったよ」


(えっ……逃げる?)


 いくら国から定められた恋人とはいえ、そこまであからさまに避けるなんて。何か事情があるのかと視線を向けると、五樹さんは苦々しげに口を開く。


「別に。あなたみたいな軽薄な人がキライだっただけよ……」


「へぇ……?けど、俺はお前のことキライじゃなかったよ?」


 にやにやと不敵な笑みを浮かべる桐崎の視線は、五樹さんの豊満な胸元に注がれている。

 俺は、直感で理解した。


(こいつ……下衆だ……!)


 その下卑た視線から隠すようにして腕を組む五樹さん。

 悪いけど、胸が腕に乗っかって逆効果だと思う!なんか強調されちゃってる!

 ばいーんってなってどぉーん!ってなってるよ!?

 だが、この張り詰めた空気の中でそんな突込みを入れる勇気は俺には無い!

 はわはわしていると、桐崎はぬらりと口の端を舐めた。


「お前……そのナリで『白紙』とか、ありえなくね?」


「……っ!」


 カッ!と顔を上げる五樹さん。けど、『白紙』……?それって――


(俺と同じ、『劣等生』ってこと?あの超絶美少女でスタイル抜群の五樹さんが?俺と同じで今までABCのどの項目にもマルが付けられてないっていうのか?嘘だろ?)


 信じられないような眼差しを向けると、五樹さんはぼそりと呟く。


「人の報告書を盗み見るなんて……サイテー……」


「別にいいだろ?彼氏だったんだから」


「……っ!そういう上から目線がキライなのよ!少し顔が良いからって、女の子のことをなんだと思ってるの!?絶対、下に見てる!」


「そういう訳じゃねーよ?被害妄想も大概にしろ。ただ、気になるもんは気になるんだからしょうがないだろ?」


「プライバシーの侵害よ!」


 その言葉に、桐崎は再びため息を吐いた。


「うっせぇなぁ……だからこうして会いにきたんだろ?」


「え――」


 動揺する五樹さんに、桐崎は静かに告げた。


「俺が、お前の経歴にマルつけてやるって言ってんだよ?」


(それって……)


 くすりと笑うと、桐崎は歩み寄って五樹さんと距離を詰める。


「今できるのは、A……Bくらいか?」


「ちょ、ふざけないで……!」


「ふざけてんのはどっちだよ……?」


 その瞬間。桐崎の周囲の空気がひやりとした。


「俺さぁ……いままでずっとオールクリアだったんだぜ?中学入って童貞卒業してから、前の女にも声かけて、全項目にマルを付けてきた。それが、お前と付き合った第四タームはまさかの真っ白!俺の今までの功績を台無しにしてくれやがって……」


(は……?何言ってんだあいつ?まさか……アレが噂のコンプ厨?)


 聞いたことはあるが、本物を目にするのは初めてだ。


 ――『コンプ厨』。


 それは、今までのタームの恋人を振り返り、全ての恋人と関係を持つ人種のことを表す。コンプリートしないと気の済まない所謂ヤリチンやビッチの類で、“今付き合っている”恋人への配慮に欠けた、モラルに反する奴らだ。


 『富国強精恋人斡旋法』は、あくまでカップルを成立させるのが目的であり、不倫や二股を許容するものではない。俺達はこの『恋人斡旋法』がある環境下で様々な恋人と共に過ごし、より良い相手を見つけて幸せに暮らせる未来を目指す。

 マルの数はあくまで相性の指標であり、多ければ多い方がいいってもんじゃない。

 それはわかっているが、かといって全くないのも問題だ。

 だが……

 俺にはそれ以上にコンプ厨の方がよっぽど問題があると思う。

 だが、桐崎は目の前で苛立たしそうに首を傾けた。


「……どうしてくれんだよ?」


「どうもこうもないわ。私はあなたがキライ。そうやって、女の子をモノ扱いするような言動も、いやらしいその視線も。『恋人斡旋法』に対する歪んだ考え方も、何もかも」


「好き嫌いで恋愛してんじゃねーよ?」


 ……は?コンプ厨、マジで意味不明。

 好き嫌い以外の何で恋愛しろって言うんだよ?


 これには五樹さんもため息を吐いた。


「桐崎君……どうせ今の彼女が気に入らないからって私のところに来たんでしょ?」


「チッ……」


 苦々しげに顔を背ける桐崎。


(やっぱお前も好き嫌いで恋愛してんじゃねーか!何だこの棚上げ自己中野郎!!)


「……呆れた。報告書はマルをつけるのが目的じゃない。これは、自分に合った人を見つける機会チャンスなの。どういう人といるとイヤな気持ちになって、どういう人といると心が安らぐのか、自分を見つめ直す為の指標なのよ?」


「チッ……いい子ちゃんが……」


「それの何が悪いのよ!私は、私は……!お母さんみたいな思いはしたくないの!!」


(えっ……)


 声を荒げた五樹さんに、桐崎は鬱陶しそうに腕を伸ばす。


「知るかよ?あーもう、ムカついた。いいから来い。今日中に全部マルつけてやる」


「……っ!?」


 五樹さんのお母さんに何があったのかは知らない。

 けど、五樹さんの『恋人斡旋法』に対する考えは正しいと思う。

 それでもって――


「こんなの絶対間違ってる!お前なんなの!?頭おかしいだろ!?」


 俺は五樹さんの手を取って反対方向に走り出した。


「ちょっと、緩峰君!?」


「東から迂回して駅に行こう!人が多い駅ならあいつも手を出して来れないだろ!?」


「待って、待って……!早いよ!」


「あ、ごめん……」


 俺は息を切らした五樹さんを近くの路地に押し込むと通りに面した方を塞ぐように自分の身を収める。しばらくすると、桐崎の声が聞こえてきた。


「あいつら……!どこ行った!」


『五樹さん、路地を抜けてそこから逃げるんだ!ここの入り口は俺が塞ぐから!』


『でも、それじゃあ緩峰君が……!』


『早く!』


 俺は小声で促すと、華奢なその背を押した。

 五樹さんが路地の向こうにかけていくと、通りから桐崎が顔をのぞかせる。


「ンだよ……ここにいたのか。どけ。奥に詩織がいるんだろ?」


「……どかない」


 視線を逸らすと、その瞬間――


 バキッ!


「うぜぇんだよ!モブ面がいっぱしに彼氏気取るんじゃねぇ!」


 ……殴られた。


「あああ……!お前みたいなのがイヤだから進学校に行ったのに!ふざけんな!!」


「はぁ!?それはこっちの――」


(あれ?心の声洩れてた?)


 まぁいいや。こんな頭イカれたコンプ厨に嫌われたところでどーってことないもんね。俺にはイイ友達と可愛い彼女がいればそれで十分だ。悪いトモダチなんて要らない。

 思わずくすりと薄笑いが零れると、イラついた桐崎は二発目を喰らわせた。


「うぐっ……!何すん――」


「てめぇみたいのが詩織の彼氏とかありえないだろ!?」


「八つ当たりすんなよ!これは正当にシャッフルされた結果だ!」


「うぜっ……!」


 バキッ!


(ああ~……三発目。明日顔腫れたらヤダなぁ……)


 そんなことを思いつつ殴られていると、路地の向こうに人影が現れた。

 ベージュの髪をゆるく巻いた女の子と…………友野だ!


「緩峰!?何してんだこんなとこで!」


「友野君、お口に生クリームついて――!」


「「――っ!?」」


「友野、いいところに!今チャラ男に襲われて――」


「よし!なんかよくわかんないけど……兄貴とケンカ慣れてる俺に任せとけ!痛くない殴られ方にはコツがあんだよ!カウンターもな!」


(持つべきものは、やっぱ友達……!)


 口の端をぺろりと舐めた友野が拳を構えると、桐崎は盛大な舌打ちと共にその脇をすり抜けて逃げていった。


「うわっ……ちょ、何だったんだ?」


「助かったよ、ありがとう」


 差し伸べられた手を掴んで身を起こすと、友野は路地の奥に視線を向ける。


「俺は何も。なんか聞いたことある声だなーって思ってさ。それより、五樹さんが心配してるぞ?いいから行けよ?俺らもう帰るから」


 そそくさと去っていくふたりの背を見送り、背後に現れた五樹さんに目を向ける。


「五樹さん、どうして……?向こうから行ってって言ったのに……」


「だって、私のせい……!そんな、できないよ……」


 うるうるとした、正義感の強い瞳。


(ああ~……マジでいい子じゃん。なんで『白紙』なの?)


 もう、俺は何を信じていいのかわからない。


 けど一個だけわかるのは、勇気を出してよかったってことだ。

 だって、ホッとしたように笑ってくれる彼女の顔が見れたから。


「へへ……」


「何笑ってるの?変な緩峰君……でも、ありがとう」


 ふいっと視線を逸らしながら、照れ臭そうに、それでも一生懸命お礼を言ってくれた。その顔を見ると、身体中のダルさが飛んでふわっと心が軽くなるのを感じる。

 つい顔のによによを抑えられないままでいると、五樹さんは地面に落ちていた俺の鞄を拾い上げた。


「遠回りになっちゃったけど、帰りましょ?」


「ああ……!」


 西新町駅までの帰り道。色々あったせいもあって、結局話題が見つけられないまま俺達は無言で駅に着いてしまった。改札をくぐると、不意に五樹さんは口を開く。


「ねぇ、次のプレシャスフライデー、どこ行く?」


「え――」


 そういえば、何も考えてなかった。新しい彼女ができたってことは、プレシャスフライデーの相手も変わるってことだ。

 『プレシャスフライデー』とは、毎月第三金曜日。『富国強精恋人斡旋法』の対象になっている若者に与えられた祝日だ。その日だけはどんなに普段接していない恋人同士でも、『ふたりで過ごす』という義務が課されている。要は『強制デートデー』。

 だが、この日だけは映画や遊園地、カフェなどの各種サービスが半額で受けられるということもあり、若者たちは思い思いにその特権を謳歌する日となっていた。


 でも、付き合って初日の現在、五樹さんが喜びそうな場所なんて思いつかない。

 言い淀んでいると、五樹さんはくすりと笑う。


「じゃあ、前日までに考えておいてね?行きたいとこあれば教えて?」


 そう言って、スマホを取り出す。


「連絡先、交換しましょ?さっきも『逃げろ!』って言われて困ったのよ?だって、連絡先も知らないのに別れたままじゃ、安否が心配で眠れないじゃない?」


 くすくす。


(は~……天使のスマイル降臨……!)


 俺は、史上最強に癒された。いそいそとスマホを取り出し、気持ち震える指で連絡先を交換する。

 ぴこりんと届いた五人目の彼女のアドレス。それが、こんなに嬉しいものだと思わなかった。

 しかも、デートのお誘いを向こうからいただけるとは……!

 感動していると、五樹さんは手を振った。


「電車来たから、また明日。ねぇ、明日も、その……」


 言い淀む五樹さん。俺はここぞとばかりに勇気を振り絞った。


「うん。一緒に帰ろう?またあいつが来ると困るし」


「……約束よ?」


 俺は千切れんばかりに首肯した。電車に乗り込む五樹さんを見送りながら思う。


(俺、明日死ぬのかな?)


 新しい彼女が超絶美少女で、連絡先交換しちゃって、一緒に帰る約束しちゃって……

 ここ数年分の運をじゃぶじゃぶに使っている気がする。

 けど、まだ死にたくないな。

 だって――


(五樹さんと一年半の恋人期間を終えるまでは死にたくない!)


 その為には……


 五か月以内に、キスしないと……!


 相手はもちろん?


(五樹さんがいいに決まってるだろ!?)


 俺は今日、この世で一番幸せ者で、この世で一番贅沢な人間になった。

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