第29話 彫刻刀

 私は、工作好きな小学生だった。

 手を動かしてものを組み上げるのが好きだった。


 被覆銅線を使ってモータを作ったり、はんだコテを持ってAMラジオを作ったりした記憶がある。素材を買ってきて、本を見ながら作り上げる。夢中だった。


 工作キットのような部品が全部そろった教育製品は少なかった。かといって、ホビー向けのモータや素材は、子どもが購入するには高価だし、街まで出かけないと買えなかった。


 両親は、私と弟に雑誌「科学」を毎月買ってくれた。組み立て式の実験教材が付録だ。まだ来ないのかと母にせがんだこともあった。


 そんな子どもだったから、図画工作の授業は楽しみにしていた。特に、木版画の作製は図画と工作の2つの要素があって記憶に残っている。


 A3くらいの大きな板に下絵を鉛筆で描く。下絵をもとに彫刻刀で彫り進む。広いところは丸形、細くて線を出したいところは角形の彫刻刀を使う。


 学校では彫りきれなかったので、先生は週末の宿題として持ち帰らせた。


 その日は、曇りだった。


 部屋の窓の側に新聞紙を広げて、さらに新聞紙に包んで持って帰った木板を置く。ランドセルから彫刻刀のケースを取り出し紙のカバーを取り出せるようにして木板の脇においた。


 角型の彫刻刀で線を彫っているときだった。力があまって自分の膝を削った。一瞬で深くえぐり取られた皮膚は断面が見えた。すぐに、ぷつぷつと赤い色が差してきた。


「お母さん。切ったー」

 母を呼ぶ。


 駆け寄ってきた母は、傷口を見るとハンカチを渡し

「押さえときなさい」

 と言うと、私をおぶった。


 そのまま、庭先から外にでて病院に向かった。機敏に動く母に圧倒されていた。膝に八針縫う怪我だった。


 母の背中の感触は、この時の記憶しか私にはない。

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