第23話 旅行と記憶と
記憶が怪しいくらい幼いころ、鵜飼いを見に行った記憶がある。旅館に泊まった家族旅行だった。幼い私は、かがり火の火の粉が舞う幻想的な絵だけが記憶に残っている。
両親は幼い私達を連れて、しばしば旅行に行った。
汽車を使った旅行の計画に欠かせないのが時刻表だ。分厚い時刻表の地図を見て行きたい場所を調べ路線を確かめる。母はすっかり父に任せっきり。父が独り言のように経路と予約する切符を唱えながらメモを書き出していた。
国鉄の予約切符は、連続用紙に印刷された切符を買う。家族全員分となると、結構な長さだ。それが予約切符だった。今のようにネットで予約もない。予約の申し込み用紙に記入して窓口で申し込むのだ。改札を通るときは、駅員さんがハサミをパチンと入れてくれる。
旅行中は、父は小銭でポケットを膨らませていた。移動中に買う弁当、飲み物とか、自販機のタバコや近距離切符など硬貨の活躍場面がたくさんある。定期的に国内に出かけている父は旅慣れていた。今ならSuicaとかモバイル決済みたいなものだろう。
こうして、体の不自由な兄、私と弟、両親の5人の旅が始まるのだ。
乗り物に乗ること自体が目的だったこともある、特急列車。新幹線。さらに、飛行機に乗るときは大イベントだった。
飛行機に乗るぞ、と思い立った父は、さっそく調べ始めた。
そして、父の思い付きは実現し、東亜国内航空便に家族で乗った。スタッフの方にカメラを構えてもらって、飛行機の前で家族写真を撮ったのを覚えている。それが恥ずかしくないくらい、飛行機に乗ることは特別だった。機内で配布されている説明書も丁寧に持ち帰って記念にした。
乗り物の切符・チケットの半券、パンフレットの類は大事に写真と共にアルバムに閉じてあった。貴重な家族の思い出になる・・・はずだったが、洪水で水に濡れほとんどが失われた。だから、両親と私と弟の記憶だけが残されている。
暖房で蒸した冬の列車で窓を触るとひんやりする感覚。
駅弁屋で売っていた、お湯とお茶っ葉の入った特製容器で飲むお茶の味。
怖くて渡れなかった吊橋。
断片的な感覚が、今でも蘇る。
手触りだったり、車窓からの風景だったり。
これらは、どうやっても記録することはできない。
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